過去編

過去編①

 エヴァはもともと、ヴェーデンスヴィル侯爵家に代々仕える使用人の家に生まれた。純粋なアルゼンタム人ではなく、東洋からやってきたという母サクラの血を半分受け継いでいる。


 彼女の人生の歯車が動き出したのは、四歳のとき。漠然と自分も両親のように、侯爵家にお仕えするのだと思っていたが、流行り病で二人とも他界してしまった。


 当時のヴェーデンスヴィル侯爵当主であるギャレットは、幼いながらも卓越したエヴァの優秀な頭脳に目をつけ養子に迎える。一夜で使用人の子からヴェーデンスヴィル家の令嬢になったのだ。そして、四歳年上の兄も出来た。


 ウィル・ヴェーデンスヴィル。侯爵夫妻の子で由緒ある侯爵家の跡取り息子である。輝くような金の髪に、母譲りの新緑を思わせる瞳。少年なのに恐ろしく整った顔。将来が約束された、自信に満ち溢れた令息の誇らしげな態度。


 エヴァは生前、兄が苦手であった。彼女が養子になることを夫妻が兄に伝えた時、部屋を飛び出したかと思うと、両手に抱えきれないほどのドレスを持ってきてエヴァに投げつけた。

「お前にはこれがお似合いだよ」

 と言葉を吐き捨てて、女中に目配せすると、窮屈なフリフリのレースがふんだんにあしらわれたドレスを着せた。今まで動きやすいワンピースしか着たことがなかったエヴァは、動きにくいし、窮屈だし、息がしにくいドレスを着せられるのが、拷問のように思える。


 一体、何の嫌がらせのつもりだ……と心の中で恨み言を吐く。


「疲れました……やめていいですか?」


 あれでもない、これでもない、と女中たちが次々にドレスを着替えさせる。衝立の向こうにいるウィルに降参の声を投げかけると、彼は鼻で笑って答えた。


「妹は兄に黙ってついてくるものなんだ」


 その言葉を聞いた時、エヴァはこれからの人生にかげりが見えた気がした。


 兄ウィルの横暴は他にもある。

 彼は乗馬が趣味で腕も良かった。養母に自分も乗馬がしたいと言うと、どうしてかウィルがエヴァ用の道具一式と馬を連れてきたのだ。


「お前のような鈍臭い奴にはこいつが良い」


 そう言ってウィルが連れてきたのは、栗毛のポニーだった。エヴァは兄と同じサラブレッドが良いと言ったのだが、兄はだめだの一点張り。全くエヴァの要望を聞き入れようとしない彼に腹を立てながらも、ポニーに乗る。

 乗っているうちにポニーを気に入り、エヴァは世話も引き受けるようになった。仲良くなった馬番にポニーについて聞いてみると、馬番は優しい顔で答える。


「ここにいる馬の中で一番気性が穏やかで、どんな人間でも乗せてくれるとても優しい子だよ」


 大きくなってもエヴァは馬の世話を手伝った。もともと、年老いていた馬番も押し寄せる老いには勝てず、エヴァがほとんど仕事を受け持っていた。水の入った桶を運ぶなど、重労働はまだ子どものエヴァでは出来ず、馬番と一緒に行うこともある。


(馬の世話が大変そうね。どうにか楽になる方法はないかしら)


 考えたエヴァは養父の書斎に忍び込む。アルゼンタム語以外の言語で書かれた本もあるが、エヴァは全て読むことが出来ていた。ある本の背表紙が目に入る。題名は「パラケルススの錬金術」というもの。重厚な本を小さな手で取り、中を開く。外国語だったが、エヴァが読める言語だった。本には、大昔パラケルススという人物がホムンクルスを作り出したと書かれている。


 これだ、と彼女は思った。ホムンクルスを作ることが出来れば、馬番の仕事を手伝ってあげられる。エヴァは他にもホムンクルスについて書かれた本がないか書斎をくまなく調べた。彼女がホムンクルス研究を始めた第一歩であった。


 ✢


 十歳になると、エヴァの教育レベルはウィルよりも高度なものになっていた。彼女の優秀さが気に入らないのか、ウィルは今受けている授業内容よりも遥かに難しい内容の問題集を数冊エヴァに手渡した。にんまりと笑みを浮かべて彼は言ったのだ。


「さすがのお前もこれは解けないだろう」


 挑発するような笑み。負けず嫌いのエヴァは絶対に解いてやると意気込んだ。もちろん、家庭教師から教わった範囲ではない。父の書斎の本を読みながら必死に問題集とにらみ合う。さすがのエヴァでも、独学で解くのは難しく、数日またいで勉強していると、ウィルが「お前には難しかったか?」と煽ってくるのだった。安い挑発でも火がついだエヴァは、根性で問題集すべてを解くことが出来た。


 嬉しさのあまり、解けた問題集を持って養父母とウィルに報告する。

 すると、養父母は驚き顔を見合わせて、エヴァの持っていた問題集に目を通す。


「これは大学入試レベルだぞ。エヴァが一人で解いたのか?」

「はい」


 誇らしげに胸をはると、ウィルが両親に向かって言った。


「やはりエヴァをノグレー院に行かせるべきだと思います」


 エヴァには「ノグレー院」というのは分からなかったが、神妙な面持ちで養父母が頷くので凄いところなのだろうと察した。


「さすがだわ、エヴァ。実はね、ウィルが一番貴女の能力を褒めていたの。ずっとノグレー院に行かせるべきだって」


 兄に目をやると、彼はエヴァから顔をそらした。

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