古代ギリシャの有名なイソップ寓話は短いお話の最後に教訓がつくのが定番のスタイル。
たとえば『人殺し』という寓話は次のようなもの。
人を殺したある男がその人の身内の者によって追っかけられていました。ナイル河のほとりにやって来た時に、彼は狼に出くわしましたので、恐れて河の岸に生えている木の上によじ登りました、そしてそこに隠れていました。するとそこで大蛇が彼の方へ登ってくるのを見ましたので、河の中に身を投げました。だが、河の中でワニが彼を食ってしまいました。
この話は、如何なる元素も――地のも空気のも水のも、追われる犯人には安全ではない、ということを明らかにしています。(山本光雄訳)
最後の教訓がわかりにくいが、要するに「人を殺した者に安住の地はない」といっている。
イソップ寓話のひそみに倣うと『霊感』の教訓は
「霊感のない者があるとウソをついてはいけない」
ということになるだろうか。
イソップ寓話と霊感の最大の違いはイソップ~が第三者が語る三人称で、霊感は少女の「私」が語る一人称である点。
だから読者はハラハラしつつ、人気者になりたい=愛されたいともがく「私」に共感してしまう。
三人称で語られるイソップ~の物語はしょせん他人事だが、一人称の霊感の場合そうはいかない。
「私がやったことは罪なのか?」
という疑問を多くの読者は持ったと思う。
古代の寓話と明らかに異なる、現代の民話=小説らしい余韻の残るいい読後感だった。