惚気と爆発

「宙ぁ。花火大会、どーする?」

学校からの帰り道、私が何気なく聞くと、宙はその潤んだ目でこっちを見つめて、ワクワクした声で言った。

「絶対に行きたいですっ!」

上目遣い。可愛すぎる。死んでしまう。


同じクラスの宙と付き合い始めたのは、前の彼女と別れたすぐ次の週だった。割と長い交際だったのと、別れ方が酷かったので傷心しきっていた私に、彼女は遠慮なく近づいてきた。

「一年生の頃からずっと狙ってたんです。絶対好きにさせるので付き合ってください!」

突然そんなことを言われて、クリクリした目で上目遣いなんてされたら、もう頷くしかない。今まで気が付かなかったけれど、私は以外に面食いなのかもしれない。期待を裏切られることなく実際に中身まで好きになっちゃったし、顔か中身か、どっちを先に好きになったかは別に問題じゃないんからいいんだけど。そんな訳で私は何故か周りに「彼女が途切れない男」として認知されて、一生分イジられた。基本的にはモテないのに。


宙と付き合うことが決まった時に、真っ先に頭をよぎったのは前の人のことだった。私には、中学生の頃からずっと付き合っていた人がいた。告白は私から。でも、私が色々下手なせいで、傷つけて、別れるに至ってしまった部分もあったと思う。そして、そのことがあって私は「恋愛」というものが怖くなってしまっていた。

恋なんてものがこの世になければ。幾度となくそう思った。好きっていう気持ちは少し逸れるだけで人を傷つけて自分も傷つく。それに、お互いに好きだという気持ちがあっても、その種類や方向性が違ったなら、やっぱりその関係性は破綻してしまう。上手く扱わないと何もかもダメにしてしまう劇薬みたいなそれと向き合うことは、私にとって拷問と化していた。なんで好きになったんだっけ。そんな簡単なことですら思い出せない日々が続いた。当時の私は毎日息苦しくて、業務のような恋愛をしていた。もはや恋愛と呼べるのかすらあやしい。幸せそうな、楽しそうな、笑顔の絶えないカップルを見ると、冗談抜きで爆発させてやろうかとさえ思った。周りに相談しようにも、言ってしまえば私もリア充。リア充なんだから幸せでしょう、と言われてしまう。私はあの人を幸せにするためにそばにいることを決めたのに、どうしてあんなことになってしまったのか。恋愛なんてろくなもんじゃない。リア充なんて概念、爆発してしまえばいい。

「私、宙のこと好きになれるように頑張るけど、ちょっと前の人といろいろあって。しばらく恋愛には前向きになれないかもしれない。それでもいい?」

と尋ねた。我ながら、告白をオッケーしておいて酷い忠告だと思う。自分のことを好きになってくれた人に、いきなり前の恋人の話を持ち出すなんて。私はつくづく恋愛が下手だ。しかし、宙はそんなこと気にならないといった様子で、

「ふふん、そんなもの、私色に塗り替えてしまえばいい話です!」

と返した。その瞳は自信に満ちていた。

宙は変に前向きなところがあって、私は宙と過ごす時間を重ねるにつれてそんなところが好きになった。

「でも、やっぱり心配ですよね。大丈夫です、最初は程々に、恋愛は趣味ぐらいの、疲れない感じでやっていきましょう? 私が楓くんを大好きだっていう気持ちの重さで楓くん本人を壊してしまったら意味が無いでしょう? 一緒に頑張って、そのうち、頑張らなくてもいいぐらいまで、繋がれる日が来たら嬉しいですから!」

私のことをちゃんと考えて、気遣ってくれるところも好き。それにしても、恋愛が趣味だなんて、今までの人生では考えられなかった。私にとって恋愛は人生そのもの、いや、自分の命よりも重かった。そのせいで何度も自分にも相手にも傷をつけて、最終的に、壊してしまった。愛が壊れる瞬間は、想像していたよりもずっと醜かった。思い出そうとすると頭に鋭い痛みが走る。でも、私にはそれを抱えて生きていく責任があった。


「北川さんってどんな人なんですか?」

夏休みに入る前、突然宙にこんなことを聞かれた。北川というのは前の人のことだ。

「なんで急に」

「いや、こんなのって変かもしれないですけど、私、北川さんと友達になりたいんです。今日ちょっと喋ったんですけど、そう思いました」

「彼氏の元カノと?」

「うん。だって、時期は違っても同じ人を好きになったんだもん。きっと気が合うと思うんです。だから、あの、試しに、学校でお昼ご飯、一緒に、四人で、って話しました」

私は、教室でご飯を宙と一緒に食べることはしなかった。席が遠いのもあったし、教室でイチャついてる、調子乗ってると思われるのが怖かったから。ここ最近は、一緒に食べるメンバーの中に前の人が入っていたから、宙も不安だったのかもしれない。それは申し訳なかった。ただ、二人で食べよう、では無くて空が今の私のグループに混ざってというのは、またどういうことだろう。

「気が合うかは分からないよ。今の私と昔の私は違うからね。でも、別に話してみる分にはいいと思うよ。ただ、千夏、北川のことあんまり刺激しないでやってね。私のせいで壊しちゃったみたいな所あるからさ。あいつには傷ついて欲しくないし、幸せでいて欲しいんだ」

「もちろんです。誰も傷つけないのが一番ですから」

よく出来た人だ。宙は恋人としてだけじゃなく、一人の友達として、一人の人間として、尊敬出来る。だから友達のような気軽さもあるし、でも恋愛もちゃんとする。前の人とも最初はそんな感じだったんだけどな。どこで変わってしまったのだろう。宙との関係は絶対に崩したくない。気がつけば私の方がズブズブだった。でも、また傷つけるんじゃないか、そんな想いが、恋というものを前にした私の足を重くさせていた。


「ねぇ楓くん。ライブ、私もついて行きたいです」

文化祭準備の後、二人で昼飯を食べているときに宙はそう言った。私が、友達が所属しているバンドの写真を撮りにいく、と言ったのを覚えていたらしい。

私は写真部に属しているが、部活として写真を撮りに行くということはほとんど無い。基本的には個人での活動で、私は友達伝いに、色々な部活の活動風景を撮りに行っている。今日は『発展途上国』というバンドのメンバーである四谷に頼まれて、小さなライブ会場へと足を運ぶ。「とにかくカッコよく、めちゃめちゃモテる感じで撮ってくれ」と言われた。目力が凄かった。私は「お、おぅ」としか言えなかった。

「わかった。一緒に行こ」

私が言うと、宙はすごく喜んでくれた。

「やった! 嬉しい! 大好き」

好き、と言葉に出してくれるのも宙のいい所だ。かわいい。宙はドリアをハフハフしながら食べている。可愛い。

前の人にはずっと疑われて、責められてきたから、純粋に「好き」と言ってもらえることは私にとってなんだかすごく嬉しかった。

私はカメラを首に下げて、カバンを持っていない方の手で宙の手をとった。宙が小さな手を絡めて、ギュッと握ってくる。私がちらっと宙の方に顔を向けると、宙はずっとこっちを見ていたようで、目が合った。宙がニコッと微笑むと、まるで空の周りに花が咲いたような感じがした。

ライブ会場は新京成線の沿線にあるので、私たちは武蔵野線で新八柱駅まで移動した。新八柱駅と八柱駅を繋ぐ道沿いに花屋を見つけると、宙は「ちょっと見ていい?」と私の返事も聞かずに走り出した。可愛い。可愛すぎる。ちょこちょこと走っていく宙。目をキラキラさせて花を見ている宙。本当に君色に染められてしまったよ。戻ってきた宙の手をぎゅっと握ると、宙は「いつもより強めですね、なんかありました?」とにやにやしながら私を見上げて、からかってきた。そういえば私は、宙にちゃんと自分の口で好きって伝えたことがあったかな。いつも与えてもらうばかりで、空に甘えていた。恋をするということの楽しさを思い出させてくれた宙に、ちゃんと感謝出来ているかな。言うなら今しかない。私が口を開くと同時に、私の視界が知っている人物を捉えた。

「千夏?」

目の前にいたのは千夏だった。何だか疲れているようだった。

「千夏もライブ?」

「あ、うん。そう。二人も?」

「そうです! 一緒にお昼ご飯食べて、その後はすぐ帰るつもりでいたんだけど、楓くんが『発展途上国』の写真撮りたいからって。ほら、ボーカルの四谷くん、楓くんの友達だから。私は付き添いです!」

宙が興奮してまくし立てている。可愛い。

「千夏も行くんなら一緒に行く?」

千夏は見ていて面白いほどの方向音痴なので、私が提案すると、千夏は迷ったような顔をしたが、少し間が空いあと、申し訳なさそうに首を振った。

「あ、ううん、大丈夫。あたし買ってくものあるからさ!」

「そっか。じゃあまたライブで」

「うん」

宙を見ると、宙は「早く行こ!」と私を引っ張って進んで行った。同じ制服のはずなのに、他のどの女子にも感じない愛らしさがあって、これが恋人フィルターってやつなのかなと思う。どうしよう。何もかもが可愛い。無意識ににやけてしまっていたのか、宙に「どうしたんですか? 可愛い女の子でも歩いてました?」と、拗ねた声で言われてしまった。可愛い女の子が私と手を繋いで歩いてるから。なんて言葉も思い浮かんだけれど、流石に恥ずかしいので「なんでもないよ」とだけ答えた。宙は「ふぅん」といって前を向き直す。まだ機嫌を直していないようだった。でも可愛い。


ライブ会場に入ると、四谷のところに、なんだろう、人が集まるというか、もう、たかっていた。それはもう、エサを投げ入れた時の池の鯉みたいに。私が四谷の好物であるえびせんを渡しに行くと、「お前もかよ楓ぇ。そろそろえびせん以外の好物公開しようかな。エビチリとかロブスターとか」なんて言われた。ロブスター持ってく負担重すぎるだろ。てかエビどんだけ好きなんだよ。

会場の反対側に、千夏の姿が見えた。あいつ方向音痴なのに。よく来られたな。そういえば、友達が多いはずの千夏が、誰も連れずに来ているのが意外だった。

宙は千夏の姿を見つけると、「ちょっと、あの、行ってきます」と言って、千夏の方に歩いていってしまった。ほんとに仲良くなりたいんだな。戻ってくると、宙は「千夏、さんもライブ慣れてないみたいで。ちょっと安心しました」なんて呟いた。

『発展途上国』の演奏は、なんだろう、私は音楽のことをあまりよく知らないから分からないんだけど、とにかくかっこよかった。私が持っている一眼レフは消音機能がついていないので、演奏の邪魔にならないように、音をよく聴きながら、盛り上がっている、シャッター音が目立たなそうなところでシャッターを切った。ファインダー越しに見える四谷は輝いていた。シャッターを押す度に、そこにある鮮やかな世界が切り取られていく。こいつは演奏するために生まれてきた人種だな。オリ曲は四谷が恋人のために作詞したと、他のバンドメンバーに聞いた。いいとこあるじゃん。そりゃあモテるわけだよなぁアイツ。私にもそのモテ成分みたいなものを分けて欲しいと思ったけど、今は宙がいればあとは別に何もいらない。

演奏が終わって、会場が拍手に包まれる。ふと気になって千夏を見てみると、千夏は走って会場を出ていくところだった。

千夏はこういう所あんまり得意じゃないからな。陽キャなのに。

四谷が女の子を中心としたグループに囲まれている。黄色い声というのはまさにこの事というようなものが聞こえてくる。

写真の中には、実際に発している可視光線しか写らない。でも、そこには確かに、演者が、観客が、その場の空気が出している、「感覚的な色」があると思う。優しい人なら緑の、熱い人なら赤の、人柄の色。悲しげな人なら青、嬉しそうな人なら黄色の、感情の色。そういうものって、カメラじゃなくてこの目で見るものなんだと思う。

四谷は色んな色を出していた。曲によっても違うし、話している時はまた違う色が出る。自分に真っ直ぐじゃないと、あんなに綺麗な色には染まらない。私は四谷のそういうところが好きだ。

「楽しかったですね!」

隣で宙が笑っている。

「楽しかった。一緒に来てくれてありがと」

「こちらこそですよ!」

「大好き」

やっと言えた。次のバンドの演奏が近づいていて、照明が消されていたのが私の背中を押して、私は宙の唇を目掛けて顔を近づけた。

宙の柔らかい唇に触れる。宙がビクッとしてすぐに顔を引いてしまった。分かりやすく頬を赤らめている宙は恥ずかしそうに

「ファーストキスは、もっと落ち着いてしたかったです」

と呟いた。黄色い感情の色を纏っていた。


「ほんとに、楽しかったです」

夜になってもまだ暑い八月の街を、私たちは手を繋いで歩いていた。

「付き合ってもらってありがとね。誰かとライブ行くのとか滅多にないから俺も楽しかったよ」

「沢山あっても困るんですけどね? 特に相手が女の子なら審議です!」

「流石にそんなことしないって」

宙が急に手を解いて、私の前に立った。私も立ち止まる。宙はしばらく俯いていたが、しばらくすると私を真っ直ぐ見つめて、

「もう1回してください。キス」

と訴えかけた。決意に満ちた強い眼光が私を貫いた。

「ずっと、したかったんです。 でも、どのタイミングでしたらいいかなとか、そもそも楓くんにとったら迷惑かもしれないからって、ずっと不安だったんです。それにほら、私、背がちっちゃいじゃないですか。立ってる時だと楓くんの唇まで届かないんですよ。だからどうしたものかと思ってたんですけど、まさか楓くんからしてくれるとは思いませんでした」

宙は一度大きく息を吸うと、パッと顔に花を咲かせて言った。

「ありがとう。大好きだよ、楓」

二回目のキスはちゃんと甘かった。そして街灯の下で見る宙はさっきよりも可愛かった。赤らんだ頬が照らされて、それを見られるのが恥ずかしくなったのか宙は私に抱きついて、聞こえるか聞こえないかと言うくらいの小さな声で、「ジロジロ見んなバカ」と呟いた。

誰かを好きになるってこんなに楽しかったっけ。誰かに愛されるってこんなに嬉しかったっけ。私は宙を強く抱きしめ返した。

愛してるって口に出すのも、本当に心から一人の人を愛するのも、難しいことだと思う。気持ちを伝えるのも気持ちが離れないのも、当たり前じゃない。意志が無いと出来ないんだ。だから私は、本当に大好きな人に私の全部の「好き」をあげたい。大好きな人の、「好き」っていう気持ちは、私が全部貰いたい。惰性でも強制でも無い、純粋な「好き」がいい。君にこれだけ夢中になったっていう事実は、きっとこれからの私たちを支えてくれるから。だから、たくさんたくさん、伝えるね。今も、これからも、私がちゃんと君を愛してるってわかるように、たくさん伝える。

「宙、君の可愛いところが好きだよ。優しいところが好きだよ。私に無理させないのも、私が好きな服とか髪型にしてきてくれるのも、私が行くところについてきてくれるのも、何故かいつも敬語なのに時々タメ口になるところも、手を繋ぐのもハグもキスも、全部全部全部、大好きだよ」

「だぁぁぁぁぁ、あの、嬉しいんですけど、あの、公衆の面前ですっっ」

宙はもう顔をあげられないというように私を強く抱き締めたまま動かないでいる。はっとして周りを見渡すと、たくさんの人が、それぞれいろんな感情の色を宿して私たちをちらっと見てはすぐに目線を逸らして歩いていった。たしかにちょっと恥ずかしい。でも今は、幸せでいっぱいのこの時間が少しでも長く続いたらいいなと思った。

「うわぁ、リア充だよ」

「ほんと場を弁えろよなぁ」

「爆発しろよ」

そんな声が聞こえる。うるせぇ。負け惜しみは間に合ってるよ。私の心の中は、黄色で満たされた。爆発するほどに嬉しかったから。

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