第10話

 瞬間、何処からともなく紅の獣が現れ、狐男の腕にかぶりつく。男は小さく呻いて、その手から剣を取り落とした。

 巨大な獣の出現に驚いたのか、ザックを捕らえていた兵の手が緩む。


 「ザック、おいで!」


 間髪入れず、ユウが叫んだ。

 ザックは、その声のままに走り出した。

 ユウも彼の方に向かって走りながら、マントを翻して剣を鞘ごと腰から引き抜く。

 我に返った兵士達が、どっと後ろから迫って来たのだ。


 ちらりと振り返った彼の目に、兵の間を優雅にすり抜けるジグの姿が映った。それを遮るように、ぬっと大きな男の影。彼を捕らえようとしていた兵の一人が、ほんのすぐそばまで迫ってきていた。

 ザックは、叫び声をあげた。捕まる、そう思った。


 ・・・・が、その時、伸ばした彼の手をユウがしっかりと掴んだ。そして、引っ張りながら彼を胸に抱き締め、鞘の先を向かって来た男の腹に叩きつけた。

 「ぐふっ!」

 男が、泡を吹いて膝をつく。そのまま、ばったりとうつ伏せに倒れた。


 まるでそれを合図にしたように、左右の木の影から一人ずつ誰かが現れた。

 それは、前にユウを連れ去りに来た人達。ルーフとシャリだった。

 二人は剣を抜き、兵士達を次々と倒していく。

 ザックは、その強さにびっくりして、茫然と二人を眺めていた。


 「怪我は無いですか?」

 そっと囁くユウの言葉で、我に返るザック。

 彼は、ユウが自分を抱き締めてくれている事に、眩暈がしそうな気分になった。

 胸が高鳴って、息苦しくなる。

 ユウの体は細くて温かく、そして爽やかな臭いがしていた。

 清々しい、草の香り。


 やがて兵を全て倒した二人は、剣を収めてこちらに近づいて来た。

 目の前まで来た彼らに対し、ユウは皮肉っぽい笑みを送った。

 「カライマ兵に情報を流したのは、あなた達ですね」

 「あんたが飽きるまで、待ってられないからな」

 ルーフが、挑発的に言い返す。

 ユウは苦々しく笑い、軽く肩を竦めた。

 「それにしても、貴殿は剣を使えるのに、何故抜かなかったのか?」

 昏倒している兵を眺めながら、シャリが言葉を挟んでくる。

 ユウもそちらに視線を流し、素っ気なく言った。


 「私は、剣を抜けば必ず人を殺してしまいます。だから剣は、二度と抜くつもりはありません。それに、ここでカライマ兵を殺すのは、賢い方法ではないでしょう?」

 視線を戻したユウの面に、ミステリアスな微笑みが浮かんでいる。

 不可解な微笑だ。それに、ザックと話す時とは違う、真意の読めぬ喋り方。

 ユウとは一体どんな人なのだろうと、彼は首を傾げた。


 ————いや、ユウはユウだ。やっぱり、優しくて強くて頭のいい、凄い人。


 彼は結局そう結論を出して、どうにか自分からユウの腕を離れた。

 「ユウ・・・本当に御免よ」

 ユウは、うなだれた彼の頭を軽く叩き、優しく言う。

 「私より家族を選ぶのは、当然の選択です。私が兵に言った事は、どうぞ気にしないで下さい。あれは、嘘ですから。私は、嘘付きなのです」

 もう一度頭を叩いて、ユウは手を離した。


 ルーフとシャリが、それを見計らって言葉を発する。

 「あんたも、いい加減観念したらどうだ?あんただって本当は、その気になっているんじゃないのか?こんな世が、何時までも続いていい訳がない」

 「ユウ殿、同盟軍はあなたを必要としている」

 そんな二人に向かって、ユウは肩を竦めて見せただけ。

 森を包み込む夕暮れが、彼女の髪に溶けて輝く。ユウはふと、木々を染める紅をバックに、柔らかな微笑をザックへと向けた。そして、はっきりとこう告げる。


 「民なくして、世界は成り立たない。本当に世界を変えるのは、あなた達です。あなたが大人になった時、私の言葉を思い出して下さい」

 言うなり、高らかに指笛を鳴らした。空を抜ける澄んだ音に、鳥達が一斉に羽ばたく。

 それが消えるか消えないかの間に、一頭の馬が現れて彼女の前で止まった。


 「・・・・ユウ」

 ザックには、もうユウが行ってしまう事が分かっていた。

 この美しい女性は、風の精なのだ。捕まえようとしても、手からすり抜けてしまう。

 きっと、誰だろうとユウを捕まえる事は出来ないのだと思った。

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