第9話
鍔広帽を目深に被っているせいで、どんな表情かはよく分からない。けれど、口許は笑っているように見えた。
緊迫した沈黙の後、ユウはゆっくりと口を開いた。
「断る・・・と言えば、どうなりますか?」
「この少年を殺します。それでも嫌と言うなら、あなたも殺します。他国に奪われるよりは、ここで死んで貰った方がましですから・・・・・」
「おやおや、随分私も買いかぶられたものですね。私一人が、カライマにとってどれほど脅威と言えるでしょうか?」
狐男は、抜いた剣をザックの首に突きつけ、ちらりとユウに視線を流した。
「あなたの存在そのものが、大いに脅威なのですよ。あなたの為ならば命も惜しまぬ信者達が、それこそ大勢いるのですから。第一、カライマ軍であなたがした事を考えれば、恐れるのは当然です。五百の兵で、数万の大軍を打ち破った。もはや、伝説です。あなたは、恐ろしく頭の切れる人だ」
にやり、またユウが笑う。
こんな絶体絶命の状況でありながら、彼女は随分落ち着いていた。それどころか、余裕すらある。
ザックなど、首にちくちく刺さる剣先を見つめ、がたがた震えていると言うのに・・・
彼は改めて、ユウという人は凄く強い人なのだと思った。
「では、その頭の切れる私が、むざむざとここで待っていたと思いますか?あなた方がこの町に来ていたのは、知っています。鳥が騒いでいましたからね、動物は余所者には敏感なのですよ」
ユウの言葉に、兵達は一瞬騒然とした。
周囲を見回し、罠が張って無いか確認する。
「無駄な抵抗は止めて下さい。さもなくば、この少年の首は飛びますよ」
「どうぞ、お好きなように。その少年は、私との約束を破りました。私は、約束を破られるのが嫌いなのです」
ユウの言葉に、ザックの胸は引き裂かれそうだった。
じんじんと圧迫され、鼻の奥がつんと痛くなる。
あの人が、そんな事を言うなんて・・・・・。
けれど少年は、ぐっと拳を握って歯を食い縛った。
約束を破ったのは本当なのだ。仕方無かったと言え、約束は約束である。それを破ったからには、見捨てられて当然だと思った。
「ごめんよ、ユウ。こいつら、母さん達を殺すって言ったんだ。だから俺、約束を破って話しちまった・・・」
ザックは、喉を詰まらせた。
泣くまいと思うのに、涙がじわじわ溢れてくる。
ユウに軽蔑されたんじゃないかと思うと、どうしようもなく辛くなってきた。
そんな彼を見つめて、ユウが言葉を続ける。彼女の目に、咎める色はない。ただ、何時ものように哀しくて、優しい色を浮かべているだけだった。
「・・・・ただ、カライマ兵が騒動を起こしたとなると、由々しき問題ですね。メセタはカライマと条約を結んでいるとはいえ、立場的には中立国家です。この騒ぎが広まればダンドリア側に靡くとも限らない」
「揉み消しますよ」
「出来るのですか?」
と、面白そうにユウ。
相手の脅しにも、全く屈する事がない。
男が、少し怯んだ様子を見せた。相手の自信に満ちた姿が、彼を不安にさせたのだ。
「・・・・出来ますとも。ここには、我々しかいません。そして誰も、あなたの事を知らないのです」
「無理ですね。さっきも言ったように、私が何も手を打っていないと思いますか?私が何故恐れられたのか、あなたも知っている筈です。私には、今でも多くの目があります。ここにこうして居るだけで、世界の動きが全て分かるのですよ。今この時にも、私の目の一つがこの場を覗き見しているかもしれない」
ユウの言葉を聞いて、男は唸り声をあげた。
若く小柄な女、見た目だけで言えば全く恐れるに足りないこの人物が、何故カライマ軍で恐れられていたのか、その男はよく知っていた。
ス=ユウという人物は、情報を操作する技に長けていたのだ。
彼女には多くの目に見えない影があり、それらが様々な情報を流し敵を攪乱させる。
動く筈のない陣を動かし、攻め込む敵兵の勢いを挫き、勝利目前の隊をも敗走させる。
時には様々な情報を交差させ、敵に一体どれが本当の情報かさえ分からなくさせてしまう場合もあった。
昨日までは強固だった陣が、突然訳も分からずに乱れる。
傍目から見れば、正に奇跡に見えたろう。
ゆえにカライマ軍の兵士達はユウを、『奇跡の風を操る者』と呼んでいた。
悔しそうに、男が剣を持つ手を握り締める。
ザックは、ぷるぷると震える剣先を見つめ、ごくりと喉を鳴らした。
今にもそれは、自分の喉を裂きそうな気配だったのだ。
「あなた様には、言ってもお分かり戴けないようだ。拒否すればどうなるか、その目で知った方がよろしい。なに、あなた様は殺しません。しかし、力尽くでも戻って貰います。妻が夫の元へ帰るのは、当然の事なのですから・・・・」
狐男が、低い声で呟いた。
ぐっと、剣を握る手に力が籠もる。
殺される!ザックが思わず目を閉じようとした時、いきなりユウが叫んだ。
「ジグ!」
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