第4話
「さあ、あなた・・・・何と言う名前か知りませんが、こっちにいらっしゃい。ここで私の話し相手になってくれるのなら、あなたにとびきり大きな魚を釣る方法を教えてあげましょう」
「ほっ、本当?」
少年は、ぱっと輝せて顔を上げた。そんな彼の目に、女神のような微笑みが映る。
ザックは、今度は違う気持ちで顔を俯けた。頬が、少し赤くなっている。
「俺、ザック」
俯いたまま彼女の隣に座り、ザックはぼそぼそと口の中で呟いた。
「ザックですか、いい名前ですね。メセタの国に、四人の商人がいました。彼らは皆自分が一番だと言って譲らず、結局誰が一番かを競う事になったのです。内容は、価値のある美しくて良い品を、一番安く手に入れてくるということ。それに勝った者が、メセタで一番の商人と認められるのです」
突然奇妙な話を始めた女性を、不思議そうに見つめるザック。
その話と自分の名前が、どう繋がるのか分からなかったのだ。
女性は長い髪を形の良い耳にかけ、少年の顔を覗き込むように首を傾けた。彼は間近に迫った女性の顔にどきまぎして、かーっと身体が熱くなってきた。
俯いたまま、上目使いに女性を見る。彼女の翠の瞳は、近くで見れば見るほど美しく澄んでいた。
「一人の商人は、宝石の原石をなるべく安く買って来て、美しく加工しました。もう一人の商人は、友人の彫刻家に頼んで、出来る限り安い値で作品を作って貰いました。もう一人の商人は、素晴らしい糸を安く手に入れて、娘に頼んで美しい生地を織って貰いました。どれも、安くてずばらしい品だったのです」
「・・・でも、まだ一人残っているよ」
思わず言った少年の言葉に、女性は柔らかい笑い声をあげた。
うっとりするくらい、心地いい笑い声だ。
「最後の一人は、自分の妻を連れて来ました。驚いた商人達に、彼はこう言ったのです。『私の妻は、どれほど金を積まれても譲れない、大変価値のある品です。そしてこの妻は私の元にただ同然で嫁いで来てくれました』と。三人の商人は、かんかんになって怒りました」
「そりゃそうさ、その人は人間だったんだろ。品物じゃないじゃないか」
少年の言葉に、女性はまたも笑う。
その後、少し悪戯っぽい顔で言った。
「所が、その女性の名前はクーリャ、ナムクの言葉で『シナ』と言う意味になる名前だったのです。意味は違っても言葉は同じ、約束は約束です。誰も、その事について何の取り決めもしてはいなかったのですからね。おまけにその商人が連れて来た妻は、どんな素晴らしい品物でも褪せてしまうくらい、たいそう美しい女性だったのだと言います」
「なんか、ずるいよ」
ザックは、勝った商人に対してそんなイメージを抱いたが、紅い髪の女性は静かに微笑んだだけだった。
「その人は、知恵を使ったのです。誰にも出来る事を考えていては、勝負には勝てないと思ったのでしょう。後に彼は、メセタの大富豪になりました。素晴らしい閃きが、彼を成功させたのです。そして、その後は他大陸を旅する冒険家になった。ザック=ニースカンは、何処の国でも有名ですよ」
あっと、ザックは声をあげた。
彼は、自分と同じ名の冒険家に憧れていたが、彼女の話している人物がその人だと、名前を聞くまで気付かなかったのだ。
「・・・・そうか、ザックだったんだ。ザックは、頭もいいし勇気もあるし、強いし恰好いいんだ。俺の憧れだ」
ザックは、さっきの非難も忘れて、冒険家ザックを褒めちぎる。
女性はそれを眺めながら、傍らに身を寄せてきたジグの背を撫でた。
「私の名は、ユウ。訳あって、この森に住んでいます。お願いですから、私の事は誰にも言わないで下さい」
美しい人の手が、ザックの手を握る。
柔らかくて、さらりとした手だ。
彼はそれだけでぼーっとして、ただコクコクと頷くしか出来なかった。
さて、その日からザックは、毎日湖の森へ足を運ぶようになった。
ユウという名の不思議な女性は、驚く程物知りだった。目の回るような話を、とても面白可笑しく話してくれる。
彼は、彼女の話しが聞きたくて、学校が終わると遊び仲間の誘いも断り、一人彼女の元へ飛んで行くのだ。
魚の釣り方も、よく知っていた。シーマが昼より朝動き出す事や、ミミズより水虫の幼虫の方が好きだと言う事や、岩影に潜む性質があると言う事まで。
彼がユウの言う通りやってみると、シーマは面白い程に釣れた。
得意になって、それを全部持って家に帰ろうとすると、彼女は悲しそうに小さく首を振った。
「あなたは、必要な数だけ持って帰りなさい。そして、必要な数だけを釣りに来るのです。無闇に釣るのは、無意味な事ですよ」
ザックは言われたまま、一番大きい奴を一匹だけ残し、あとは湖に逃がしてやった。
「ユウは、一体何処から来たの?どうして、こんな森の中で暮らしているの?」
ある日彼は、ユウにそう尋ねてみた。
何時もと同じ場所で、同じように座って彼女の顔を見上げながら・・・・。
ユウは口許に微笑を浮かべ、おどけたように肩を竦める。
「私は、旅人なのです」
「旅人?」
「そうです、色々な場所を巡って様々なものを見たり、出会った人々の話を聞いたり、そこでしか味わえない楽しみを味わう。それが、旅人です」
「へぇ・・・」
ザックは、憧れを宿した目を、さやさやと揺れる木の枝に向けた。
枝から舞い散る落ち葉を目で追いながら、そんな状況を想像してみる。
冒険家ザックのように、船で大きな海を渡ったり、不思議な遺跡を巡ったり、異国の地を見聞して歩く。
夢が、大きく膨らんだ。
———いいな、きっと凄く楽しいんだろうな
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