第3話
「グググググッ・・・・」
喉から絞り出すかのような声。
ザックは驚いて、数歩後ろへ後退した。
茂みの中から覗く、金色に光る二つの目。
さっと、全身から血が引くのが自分でも分かった。
魔物じゃない、こいつは本当の獣だ!
ザックが声も出せないでいると、それはがさっと茂みから飛び出して、あっと言う間に森の中へ姿を消してしまった。
紅色の毛をした、狼のような生き物。ザックの身体くらいの大きさがあり、額に小さな角が生えていた。
少年は、茫然とそれが去った後を見つめ続ける。
が、ふと我に返り、同時にむらむらと怒りが込み上げてきた。
あの生き物は、ザックの魚をまんまと盗んで行ったのだ。ジャギマと賭をして、必ず釣って帰ると言った特大のシーマを・・・・・。
もし彼が釣って帰らなかったら、二十テニー奴にやらないといけない。それどころか、彼は大嘘つきとしてみんなから馬鹿にされる事になるのだ。
馬鹿にされて生きるくらいなら、戦って死んだ方がいい。
ザックはそう思って、ポケットに入っていた糸切り用のナイフを探った。それから、ごくっと唾を飲み込んで、森の中にそっと足を踏み入れる。
ガサガサガサ。鳥が羽ばたく音に、彼はびくっと肩を震わせた。
それから、ほっと安堵の溜め息を吐く。
一度大きく深呼吸し、彼は思い切って森の奥へと進んで行った。
ここは、魔物騒ぎの前までは、子供達の恰好の遊び場だった。
冒険ごっこと称して、子供達が何度も通った為、草が踏まれて細い道が出来ている。
彼は、次第に薄暗くなる周囲を気にしながら、細い道をそっと奥に向かって歩き続けた。
どれくらい歩いただろう、いきなり目の前がぱっと開けた事に驚く。
そこはまだ森の中だったが、何故かその一角だけ木が生えていなくて、太陽の光がスポットライトのように降り注いでいたのだ。
短い草が、絨毯のように地面を覆っている。見るとさっきの獣が、その真ん中で優雅に寝そべっているではないか。
侵入者に気付いたのか、そいつは低い唸り声をあげて立ち上がった。
すると、その獣の後ろに、やはり寝転がっているらしい人の姿が見える。
————この獣は、野性じゃない。きっと、そいつが飼ってるんだ。
そう思ったザックは、怖いのを我慢して大きな声で叫んだ。
「・・・・おっ、お前が魚泥棒だな!」
少年の声に驚いたのか、その人物は素早く身を起こす。しかし佇むザックを見て、浮かしかけていた腰を下ろした。
深い草色のマント、顔を隠すように被った鍔広帽。マントの下の服装は分からないが、鹿皮のブーツを履いているという事だけは分かった。
ふわり、風に乗って長い髪が揺れる。その人物の髪は、まるでこの獣を人間にしたかのような、美しい紅の色に輝いていた。
「魚泥棒・・・・ですか?」
その人の口から、乾いた少年のような声が漏れる。
ザックは一瞬たじろいだが、それでも顎をそらせて憮然と言った。
「そいつが、俺の魚を盗んだんだ。あんたが飼い主なら、責任を取ってくれ」
「ジグが、そんな事をしましたか・・・・・」
楽しそうに言いながら、その人物は帽子を取って彼に笑いかけた。
思わず息を飲む。
美しい女性だった。歳は分からないが、恐らく二十過ぎくらいか・・・・。
深い翠色の眼が、じっと真っ直ぐ少年を見つめる。
静かな優しさと、何処かもの哀しさを感じさせる瞳の色。
ザックは、しばらくその人物に見惚れていた。
「私は、ジグの飼い主ではありません。これは、私の大切な友です。彼は自分の意志で私について来ているのですよ」
少年は、女の言葉に驚いて目を見開いた。
この美しい女性に懐いている、不思議な獣。
まるで、物語のような話ではないか・・・・・・。
そう思いながらも、もし自分がこの獣だとしたら、やっぱりついていっちまうだろうなと、妙に納得している部分もあった。
けれど、魚を諦める訳にはいかない。これは、男のプライドって奴なのだ。
「友達だって事は、あんたにも責任があるだろ。あんたは、友達がした罪を注意しなかったんだ。だから、あんたが責任を取ってくれなきゃ・・・・」
「・・・なるほど、確かにあなたの言う通りですね。友を止めるのも、私の大切な役目でした。———しかし、友は既にあなたの魚を食べてしまいました。私は、どうやって責任を取ればいいのでしょう?」
瞳に面白そうな色を浮かべ、女性は少年に向かって言った。
相手が子供だと言うのに、彼女の喋り方はまるで大人に対するのと変わりない。瞳の色とは裏腹に、生真面目な表情で少年の言葉をじっと待っていた。
獣の側に落ちている物を見て、ザックの顔が歪む。
ついさっきまで、彼の網の中でぴちぴちと跳ね回っていた魚が、半分程食い散らかされた無残な姿で力無く横たわっていたのだ。
「食っちまったのか?ちくしょう、あれはとびきりでかい奴だったんだぜ。俺、賭をしてたんだ。賭に負けたら、みんなから馬鹿にされちまう」
ザックは、急に肩を落としてうなだれた。
ジャギマに馬鹿にされる姿が、目の前に浮かんでくるようだった。
「・・・そうですか。それは、本当に申し訳ない事をしました。ほら、ジグ、あなたも謝りなさい。少年が、こんなに悲しんでいるではないですか・・・・・」
女性は、相変わらず生真面目な様子で言って、無理やり獣の頭を押さえて下げさせる。
獣が、クィーンと寂しそうな声を出した。
それから、ごろごろと喉を鳴らして、女性の手に頭を擦りつける。
「おやおや、ジグは甘えん坊で困りますね」
女性は笑って、獣の頭を優しく撫でた。
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