第2話
少年は、その日仲間と一緒に、湖へ釣りに来ていた。
貿易の国メセタ、それが少年の祖国である。彼は、バスダ山脈の裾にある、ダーダという村に住んでいた。
メセタという国は、豊かな国だ。商人が多く、商売で国を支えている。メセタ一の港には外大陸からの船もやって来るので、何処か他の国とは違う一種独特の雰囲気が漂っている国柄だった。
しかし、それは大都市だけの話である。山あいにあるダーダという村は、人口も少ない静かな村だった。農家が多く、草原には常に牛や馬の姿があり、家の側には広がる畑があった。
人はあくせくする事なく、長閑に時を過ごしていたのである。
彼は、酪農を営む両親の間に生まれた、三男坊。今年十三になったばかりで、まだ幼さを残す顔には、やんちゃな瞳と甘やかされて育った我が儘な表情が現れていた。
「釣れないな、もっと奥に行こうぜ」
少年は餌が付いたままの針を摘み、他の仲間に声をかけた。
しかし仲間の少年達は、顔を見合わせて躊躇いを見せる。
それもその筈だ、この湖の向こう側には、恐ろしい魔物が出るという噂があったのだ。
数日前、村の子供が馬鹿でかい獣の姿を見たと言う。
それは、赤い毛を靡かせた、狼のような姿だったのだそうだ。
大人達は、次の日人数を集めて湖の周辺を調べた。しかし、結局何も見つからなかった。
べつに襲われたという話もないので、その話は子供の戯言で終わってしまった。
その魔物、それからもちょくちょく目撃されていた。けれど、見たのはみな子供ばかり大人で目撃した者がいないので、誰も信じてくれない。
結局子供たちは、その湖の反対側を恐れて、遊びに行かなくなってしまった。
「やばいよ、あっちは魔物が出るぜ」
少年の一人が、恐怖に顔を引きつらせて言った。
「馬鹿か、あんな話嘘にきまってら。襲われた奴なんて、一人もいないんだからさ。きっと、誰かの悪戯に違いないぜ」
竹竿に糸を巻きつけて、餌の入った袋を腰に結びつける。それから、竿を持ってない手で網袋を湖から引き上げ、彼は一人湖の縁を歩き始
めた。
「よしなよ、ザック。本当に、魔物に食べられちまうぜ」
「お前等が行かないなら、俺一人で行くぞ。ジャギマの奴に、特大のシーマを釣って来てやるって約束したんだ。釣れなかったら、二十テニー払わなきゃならないんだからな。これで帰れるかって」
ザックは、少年達が止めるのも聞かず、ずんずん歩き続ける。
しばらくしてちらりと振り返ると、竿を畳んで帰って行く少年達の姿が見えた。
————ちっ、友達甲斐の無い奴だ。明日、臆病者って言いふらしてやる。
彼は心の中で罵りながら、湖の反対側まで出た。
やはり思った通り、こっちは魚がうようよしている。
彼は飛び跳ねるシーマの姿を見て、心を踊らせた。
不機嫌な気持ちもすっとび、早速釣り針に餌をつけて湖に垂らす。
ゆらゆらと竿を揺らしながら、彼は魚が餌に食らいつく瞬間を待った。
どれくらい時間がたったろう、突然竿がびびっと震えた。
—————かかったぞ!
ザックは、思わず歓声をあげそうになった。が、じっと我慢して、魚が糸を強く引っ張るまで待つ。
・・・・今だ!
確かな手応えを感じて、彼はぐいっと竿を引っ張った。
かなり重いが、それでも糸を手繰って魚を引き寄せる。
水波を揺らしながら、魚が一度跳ね上がった。水しぶきが飛び、竿が弓のようにしなる。彼は息を飲んで、タイミングを計りながら再び糸を引き寄せた。
もう、完全に勝利を手にしたようなものだ。
ザックは堪え切れず、ざぶざぶと湖の中に入って、針に食らいついていた魚を網袋で掬った。魚は、網の中でぴちぴち踊り回っている。彼は再び歓声をあげ、そいつを岸まで引っ張り上げた。
びしょびしょに濡れた服を絞り、捕らえた獲物の姿に見入る。
素晴らしい大きさだ、これならジャギマをぎゃふんと言わせられるだろう。
想像して、口許が綻んだ。
その時だった、突然目の前を何かが通り過ぎたのは。その何かは、一度彼の前で止まったと思うと、すぐさま近くの茂みに音を立てて飛び込んでしまった。
ザックは驚いたが、不思議と恐怖は感じなかった。それより、あれが魔物だろうかと、勝気な少年らしい好奇心が沸いた。
———すげぇぞ、明日みんなに自慢出来る。
・・・が、ふと地面に置いた網袋が無い事に気付いた。
瞬間、彼は悲痛な叫び声をあげた。
「俺の獲物を、盗みやがって!」
顔を怒りで真っ赤にし、無謀にも獲物が飛び込んだ茂みに向かって行く。
がさがさと乱暴に草を引っ掻き回し、盗人の姿を探した。
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