夕暮れの人

しょうりん

第1話

 「ねえねえ、お祖父さん。また、あの話をしてよ」


 揺り椅子に腰かけ、ぼんやりとパイプ煙草を吹かしていた老人は、孫娘の声でふっと我に返った。


 見ると、七歳になる孫娘が、きらきらと瞳を輝かせ、老人の服の裾を引っ張っている。

 その横で、やはり九歳と十一歳の孫達も、期待に満ちた表情で彼を見つめていた。

 口からパイプを外し、大きく一息煙を吐く。それから彼は、苦笑して孫娘の頭を撫ぜた。


 老人の娘夫婦は、近所の結婚披露パーティーに呼ばれて、昼過ぎから出掛けたままだ。

 その為この老人は、夜まで三人の孫達の面倒を見なければいけなかった。

 そろそろ、窓の外は夕闇に溶ける頃。


 ふと懐かしき少年の日々が蘇って、彼の心をほろ苦い色に染めた。もう二度と帰って来ない、セピア色の思い出。

 老人はまたパイプをくわえ、家々の屋根をきらめかせる美しき紅に目を細めた。

 彼の皺だらけの顔には、幾つもの古傷がある。それは、統一戦争時代を戦った男達の勲章。


 老人は、大陸が一つになる姿を実際にこの目で見て来たのだ。たとえ幾万の兵士達の一人に過ぎなかったとしても、彼はその事を誇りに思っていた。

 戦を思い出すたび、彼は一人の女性を思い出す。


 揺れる長い紅の髪、英知を秘めた深い翠の瞳、口許に浮かぶ穏やかな笑み。

 その女性が、夕暮れを背に彼に告げる。

 『本当に世界を変えるのは、あなた達です。あなたが大人になった時、私の言葉を思い出して下さい』

 少年の目に映る、美しい姿。

 乾いた声が、耳にこだまする。

 真紅の髪が、空の色に溶けて消えた。


 「・・・ねえ、お祖父さんったら」

 孫娘が、老人の手を掴んで揺すった。

 娘の姉と兄も、何時の間にか彼の側に来てちょこんと座っている。

 孫達はみな、祖父の話す統一戦争の話が好なようだった。特に、三人の女神達の話が・・・・・。


 極悪非道の君主、ラオスが収めるカライマ帝国と戦った数々の英雄達。

 彼らは、ファーメットの中の神々に譬えられ、今でも人々の口で語り継がれている。

 ファーメットを現代の言葉に訳すと、『大地の神話』。

 古の頃から、人々の間で語り継がれている神話だ。

 その中でも、統率の神ラーザ、英知の神ラクレス、戦の神インシャは、民が好んで語る神の名だった。


 混沌の中、神々に秩序を持たせ、王として君臨したラーザ。助言者として、常にラーザを導いてきたラクレス。そしてラーザを王にする為、幾万もの戦で勝利を収めたインシャ。

 この三神により、神々が争う時代は終わりを告げたのである。


 さて、やはり統一戦争の英雄達の中でも、ラーザ、ラクレス、インシャに譬えられた者達は、今でも大陸民の殆どが讃えているほど、飛び抜けて人気の高い英雄達だった。

 それは、三人の女神。


 統一後初めての女王になった、サラ=フィリップス。統一前のオスリア国の女王であり同盟軍を率いる象徴だった人物だ。

 彼女はラーザに譬えられ、人々の惜しみない賞賛を受けたと言う。


 次に、軍将インシャ=クリエック。彼女は、内乱を繰り返すマリガラを統一した功労者でもある、伝説の女戦士だ。彼女が戦場に出ると、数万の兵士もたちどころに敗走したと伝えられている。

 彼女はインシャに譬えられ、民や兵士達はこぞって彼女に憧れたと言う。


 そして三人目が、同盟軍参謀、ラ=ス=ユウだ。彼女は、大地の神ラクレスに仕える巫女であったが、運命の流れに巻き込まれ軍人になった人物である。どんなに不利な状況からでも必ず勝利を導いた事から、『奇跡の風を操る者』とも呼ばれていた。

 彼女は、ラクレスに譬えられ、人々から神の如く崇拝されたと言う。


 統一戦争の勝利は、この三人の女神達と、それを取り巻く男達によって成されたものだ。

 それこそ、新しき大地の神話。


 「僕、インシャ将軍の話がいいな」

 「あたしは、サラ女王」

 兄と姉が、争うようにして老人にせがむ。

 二人とも、早く彼の話が聞きたくてしかたないのだ。

 伝説の英雄と同じ時代を生きた老人は、子供達にとって憧れだった。

 「あたしはね、ユウ様がいい。ユウ様って、ラクレス様の化身なんでしょ?戦争が終わって、天に昇っていったのよね?」

 一番年下の孫娘が、老人の手をしっかりと握りながら言う。


 老人は笑って、再びぽんぽんと彼女の頭を優しく叩いた。

 「ユウ様は、それは素晴らしい人だった。わしは、あの日の事は死ぬまで忘れんよ。わしに同盟軍兵士を志願させた、直接の人なのだからね・・・・」

 老人が、年輪を重ねた声で話し始める。

 それは、彼と一人の女性との短い出会い。

 少年から大人へと変わる為の、神が与えてくれた運命の出会いだったのかもしれない

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