第19話

ティッシュを取り出そうとする私よりも先に、瀬戸君はチュッと私の唇にキスをした。



そっと触れるだけの、優しいキス。



「ん、取れた」



照れて俯く私を見て、クスッと笑う。



こういうことも、もう感度かしている。



でも、相変わらずなれないんだ。



「泉、顔真っ赤にして。可愛い」



「そんな事言わないでっ」



男の人に『可愛い』とか言われると、本当に自分のペースが崩れてしまう。



食べかけのドーナツを頬張ると、甘い味が口いっぱいに広がる。



それはまるで、瀬戸君と2人でいる時の、私みたいな味だった。



「さ、そろそろ行こうか」



ドーナツ屋さんで1時間ほど話をした後、瀬戸君が立ち上がる。



私もそれについて立ち上がろうとしたとき、人影が見えてふと見上げた。



「……っ」



目の前に仁王立ちしているその人物に、私は唖然とする。



瀬戸君は、大きなため息を吐き出した。



「なんだよ、エマ」



そこに立っていたのは、プリンセス、エマ――。



エマは私をチラリと見て、それから瀬戸君の方へ体を向けた。



まるで、私なんて用がない。



といった感じ。



「旭、最近付き合いが悪いと思ったら、こんな子と遊んでるの?」



「なにが言いたいんだよ」



「趣味が悪いって言いたいのよ」



その言葉に、カチンッと来る。



なにか言い返してやろうと思って口を開くが、瀬戸君が目配せをして『落ち着け』と合図を出してきた。



なんなの、この女!!



そりゃぁ、私はエマより可愛くないしスタイルだっていまいちかもしれない。



でも、努力を怠ってるワケじゃないのよっ!



ギリギリと、持っていたナフキンを握り締める。



「で、なんか用事?」



瀬戸君の言葉に、エマは大きく頷く。



「もちろん、彼の事で」



ボソッと呟くように言い、そして俯く。



え……?



その仕草と、斜めから見えるエマの真っ赤になった顔に、私は口を半開きにした。



なに?



エマが照れてる?



「わかった、じゃぁ場所を変えよう。泉ごめん。今日は送ってやれない」



「え? あ、うん……」



なにがなんやらわからないまま、私は店内に置き去りにされる。



ガラス張りの壁から外を見ると、まだ赤い顔をしているエマと瀬戸君が、手を握り合って歩いていく。



どういう事……?



胸の奥が、微かにうずく。



別に、2人のあんな姿見たって平気なハズだ。



だって、私たちは付き合ってないから。



なんとなく、流れで一緒にいるしキスもしちゃけど。



私はまだ、告白の返事をいていない。



だから――。



たとえ、今エマが瀬戸君に告白をしようとしていたとしても、私には邪魔する権利もない――。


☆☆☆


1人で家まで帰るのは久しぶりの事だった。



つい最近まではそれが当たり前だったくせに、なんだかもう寂しいと感じている。



私は俯き加減のまま玄関を開け、「ただいまぁ」と、力なく言い、部屋へ向かう。



チラリと清美お姉ちゃんの部屋のドアに目をやり、それから部屋に入った。



静かな部屋。



さっきの、瀬戸君とエマの姿が頭の中を支配している。



なんの話しだったんだろう……。



そう考えながら、ゴロンと横になる。



スカートがシワになりそうだったけど、そんな事もどうでもいい。



天井を見上げるといくつかシミが出来ていて、なんとなく、その数を数えてみる。



1つ2つ3つ……。



それほど古い家じゃないのに、天井のシミって増えていくんだね?



「ぬぁ~に辛気臭い顔してんのよっ」



そんなセリフで登場したのは、お姉ちゃん。



うん、そう。



今日は私より先に帰ってるなぁって、玄関の靴を見て思ったんだ。



「……シミ」



「シミ?」



首を傾げつつ、お姉ちゃんは私の隣に寝転び、同じようにシミを見上げる。



「あぁ~……。あんた、バーチャル彼氏をいつも同じような場所で起動してるでしょ」



「えぇっ!? なんで?」



突然の図星に驚いて、私は上半身をガバッと起こす。



「ゲームの強い光が長時間当たると、シミができるのよ。まぁ、『バーチャル彼氏2』ではそれも改善されたけどさ」



「なによぅ、先に言ってよ、そんなこと」



ムゥッと頬を膨らませる。



「んで? 向日葵とはどう?」



お姉ちゃんの言葉に、私は一瞬ドキッとする。



実は、向日葵とは一週間も顔をあわせていない。



なんとなく、今日起動させようかな。



とは思っていたけれど、まだ暗い引き出しの奥に眠っている。



「見てない」



「え?」



「一週間前くらいから、見てない」



「一週間っ!?」



私の言葉に、お姉ちゃんは大きく目を見開き、飛び起きた。



「あんた、それマジで言ってんの?」



えらく慌てた様子のお姉ちゃんに、私はコクコクと頷く。



なにか、まずいことでもあった?



「あぁ、まさかそんな事になるなんて思わなかったから、私も説明しなかったんだわ」



とか、なんとか。



ボソボソ呟いては髪をクシャクシャと指に絡ませ、時折青い顔を見せる。



なに?



いけなかったの?



わけがわからず、ただ清美姉ちゃんを見つめていることしかできない、私。



「向日葵は、いまどこ?」



「え? 引き出しの中……」



言うと、お姉ちゃんは私の机の引き出しを手当たり次第に開けていく。



「ま、待って! カギかけてあるの」



慌ててかけより、お姉ちゃんにカギを渡す。



お姉ちゃんはソレを私から奪い取り、カギをあけると置くの方からカンヅメを取りだした。



一週間ぶりのカンヅメに、一瞬胸がギュッと痛む。

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