第18話
私は急に胸が苦しくなり、自分の両膝をギュッと抱きかかえた。
「向日葵……」
静かな部屋に、むなしく消えていく声。
それは、この部屋には私1人しかいないことを痛いほどに理解させられる現象だった。
返事がないのは、その場に存在していない証拠。
私が向日葵を呼び出さない限り、向日葵は出てこない。
瀬戸君は――。
瀬戸君は、私から呼ばなくても、手を差し伸べてくれるんじゃないの?
「はっ……。だいたい、向日葵は彼氏じゃん。男の子から告白されたなんて、相談できっこない……」
今更それに気付いた私は軽く笑い、向日葵を机の引き出しにしまいこんだ。
なんだか、見ていたくなくて。
いつもより、もっともっと奥へ。
深い闇の中へ。
向日葵を、押し込めた――。
「ばいばい、向日葵」
小さく呟き、引き出しにしっかりと鍵をかけたんだ――。
☆☆☆
丸一日向日葵の姿を見ず、声も聞かずに過ごした。
前にも、私が向日葵に八つ当たりしちゃって、会わなくなったときがあった。
今回は、ちょっと違う。
自分の正直な気もちとしては、今すぐに向日葵に会いたい。
話したい。
だけど、できない。
瀬戸君とのことがあるから――。
ほぅ……。
と深いため息を吐き出し、教室の窓辺で風を浴びる。
グラウンドではサッカー部が練習に励んでいて、キラキラと光って見えた。
「いいなぁ……」
好きな事を名一杯頑張っているときの姿って、すごく輝いていると思う。
それに、文句のつけようがないほど、カッコイイ。
「なぁに見とれてんの?」
後ろからヒョッコリ顔を覗かせる桃子。
「青春って感じ?」
「なぁにが青春よ。一番青春してんのは泉でしょっ」
ツンッと後頭部をつつかれて、ぷぅっとふくれっ面になる私。
青春?
こんな、悩むのが?
私は、グラウンドにいる選手のように輝いてはいない。
ただ、悩んでるだけだ。
『好き』って気持ちが、本当かどうかわからなくて。
「そんな悩むもんなの?」
エスパーのように、桃子が言う。
「え?」
「男の子に告白されたら、『好き』か『嫌い』かしかないと思うよ? んで、泉は『好き』だって言ったじゃん」
「それは、そうなんだけど……」
確かに、私は瀬戸君が好き……。
思い出しただけで、今でもドキドキする。
これを恋と呼ぶのは、正しいんだと思う。
「でも、ひっかかるの」
「ひっかかる?」
「うん……」
このドキドキが、全部瀬戸君に向けられているものではないと、私は思う。
彼に……向日葵に似ている瀬戸君へ向けてのドキドキが、大部分を占めているように感じるんだ。
つまりそれは、瀬戸君に向日葵を被せているって事。
本当に、瀬戸君だけを見て好きと言うのなら、家まで送ってもらったときにも恋のトキメキを覚えたはずだ。
「私、一体誰に恋してるんだろう……」
見上げると、2つの大きな雲が流れていく。
あの雲たちはどこへ行くの?
私の頭上を通り過ぎることは、1つの通過点でしかないの?
2つの雲は止まる事なく、風に乗って形をかえ、やがて見えなくなっていく。
「泉、一緒に帰ろう」
聞きなれたその声に驚いて振り向くと、入り口の近くて瀬戸君が大きく手を振っていた。
ドキン。
また、私の心臓が跳ねる。
桃子が、私の背中をポンッと押した。
「自分の気持ち、確かめてみたら?」
自分の、気持ち――。
瀬戸君と一緒にいれば、その答えは自ずと導かれてくるのだろうか――。
☆☆☆
「泉、今日男の子と一緒だったでしょ」
清美お姉ちゃんの言葉に、私は一瞬ドキッとする。
瀬戸君と一緒に帰ってたところ、見られてたんだ。
「うん……、まぁ」
と、曖昧に返事をする。
「そう。彼氏?」
「え? や、違うよっ!!」
お姉ちゃんの言葉に一瞬にして赤面し、それから強く首を振る。
そういう関係になる可能性もゼロじゃないけれど、単刀直入に聞かれると困ってしまう。
「ふぅん? ならいいけど」
へ……?
その言葉に、キョトンとして首をかしげる私。
『ならいいけど』
って、彼氏だったらダメって事?
私にはまだ早いとか、そういう意味?
や、でも。
バーチャル彼氏を持って帰ってきて、やらせてるのはお姉ちゃんだし。
「っていうか、向日葵は?」
突然出たその名前に、心臓がわしづかみにされる。
向日葵は、鍵のかかった暗い引き出しの中。
昨日からずっと、引き出しを開けてない。
「しばらく、お休み」
「は? なんで?」
驚いたように目を見開くお姉ちゃん。
飲みかけのウーロン茶が、コップの中で揺らいだ。
「なんか、はまっちゃいそうで怖いんだよね」
これは、嘘じゃない。
前回の時もそうだった。
八つ当たりもしたけど、ハマってしまう事も怖かった。
そして、何より。
ハマリすぎて、向日葵を消去される事を恐れたんだ。
「そう……。でも、時々は顔を見せてあげなさいよ」
お姉ちゃんはそれだけ言って、自分の部屋へと戻って行った――。
一週間
それからの一週間は、なんだかあっという間だった。
毎日毎日、瀬戸君が帰りに声をかけてきてくれて、桃子は笑顔で私たちを見送ってくれた。
まるで、何年も前からこの関係が続いているような錯覚に陥る。
「今日も、一緒に帰ろうか」
「うん」
教室の前で瀬戸君の迎えを待っていた私に、駆け寄ってくる。
その時の笑顔が、私は大好き。
最初は向日葵に似ている笑顔。
だったけど、今はちゃんと瀬戸君の笑顔、として見れている気がする。
そして、2人仲良く並んで帰ることが多くなったからか、エマやエマの取り巻きからの陰口をきかなくなっていた。
「今日はどこかよって帰る?」
「私ドーナツ食べたい」
こうやって、2人で寄り道をすることもしょっちゅう。
そして……。
「泉、口にチョコついてる」
「ん?」
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