第16話

今にも歌い出しそうなその声で、「私の紹介した男たちの中に、いい人はいた?」と、大声で聞いてくる。



エマの取り巻きたちが、一瞬にしてこちらを向く。



チクチクと突き刺さる視線。



今すぐ、穴を掘ってそこに埋まってしまいたい。



そんな思いにかられつつ、返事をせずに席につく。



「沢山の男たちを紹介されて、嬉しくて声も出ない? それとも、純粋そうに見せておいて、実は紹介した男たち全員とヤっちゃったとか?」



クスクスと笑いながら、『ヤっちゃった』の部分だけ強調して言うエマ。



それを聞いていたクラスメイト達からは、冷たいまなざしと冷やかしの声が飛んできた。



ピキッ……。



私の中で、何かが切れる寸前になる。



これ以上はまずい。



何か一言でも言われると、完全に切れてしまう。



ギリギリと奥歯を加味して、膝の上で握りこぶしを作る。



それを見て、エマはさぞご機嫌そうだ。



「ねぇ、知ってる? 泉さんってゲームの中の異性にまで夢中になってるのよ。信じられないわよね、どういう神経してるのかしら――」



言い終わる前に、ガタンッ! と大きな音を立てて立ち上がっていた。



何かを考える余裕とか、周りを見る余裕とか。



そんなもの、なかった。



気付けば、エマの驚く顔が目の前にあって、それめがけて拳を突き出そうとしていた。



「ちょっと、タンマ」



今、まさにエマの可愛らしい顔に私の拳がぶつかろうとした、その瞬間。



強く握られた私の手首。



そこから前へは、ピクリとも動かない拳。



それらを見て、ハッと我に返った。



私、なに、しようとした?



力を込めていた手が、一瞬にして脱力する。



いくらエマが憎いからって、こんな教室で、エマの味方が沢山いる中で、殴ろうとした?



少し冷静になって考えて、体が震える。



向日葵の事をけなされた事が許せなくて、どうしても抑え切れなくて……。



でも、今殴っていたら、この前よりももっとヒドイ仕返しをされていただろう。



ギュッと握られたままの手首。



私は、その人物へと視線を移した。



「瀬戸君……」



「はいはい、瀬戸くんでぇす!」



瀬戸君はそう言っておちゃらけて笑って見せた。



その笑顔が、なぜか胸に突き刺さる。



エマに対してじゃなく、瀬戸君に対して申し訳ないと感じる。



「なんなの、この子っ! 私を殴ろうとしたわっ!!」



エマの悲鳴に似た声と共に、止まっていた時間が戻る。



サーッと血の気が引いていくのが分かる。



どうしよう……。



エマの悲鳴は、やがてクラスメイトのざわめきへと変わり、それは私へ向けての罵声に換わる。



離れた場所で、心配そうにこちらを見つめる桃子。



「この子、借りるね」



「え……?」



次の瞬間、私の体は強い力に引っ張られ、足をもつれさせながら走っていた。



なに?



なんなの?



混乱する頭では、うまく考える事ができない。



ただ、走って。



ただ、前を見て。



ただ、引っ張られるがままに。



瀬戸旭君に連れられて――。



☆☆☆


ついた先は、屋上だった。



風が通り抜け、高潮した頬には心地いい。



「すっげ、気持ちいいでしょ!!」



と、両手を空に向け微笑む。



「うん……」



このまま空の青さに引き込まれて、なにもかも忘れちゃいたいな……。



なんて考えて、そっと目を閉じる。



真っ暗な中にもさっきまでの景色が浮かんでくる。



風がするりと私の頬をなで――次に、本物の手が私の頬に触れた。



え?



その感触に、ハッとして目をあける。



と、同時に唇を奪われていたのだ。



焦点が合わないほど近くに、瀬戸君の顔がある。



フワフワして柔らかいのは、間違いなく彼の唇で――。



「んっ……ふぁっ……」



必死でそのキスから逃れようとするけれど、ガッシリと抱きしめられて身動きが出来ない。



無理矢理割って入ってきた舌が熱い。



「やっ……!!」



抵抗しようとすればするほど、背中に回された手の力は増す。



なに?



どういう事?



今、この状況が理解しがたく、私はただ呼吸をする事で精一杯だった。



「な……に」



ようやく解放してくれて、なみだ目のまま瀬戸君を見る。



瀬戸君の唇はキラキラと唾液で光っていて、それが今までのキスが現実だったと教えている。



私は、自分の唇をグイッとぬぐい、少し震える。



本物の、ファーストキス。



向日葵ともキスをしたけれど、あれは光とキスしたようなもの。



でも、今回は違う。



ちゃんと、生身の人間が目の前にいるんだ。



「な……んで?」



強引にファーストキスを奪われた事がショックで、声が震える。



足もガクガクと振るえ出したのは、キスがさっきよりも現実味を帯びてきたから。



「俺、泉のことが好きだ」



落ち着いた、一言。



低く、心地いい響き。



『俺、泉のことが好きだ』



その声が繰り返し流れている。



「バーチャル彼氏なんかやめて、俺にしときな? そうすれば、エマも泉にちょっかいなんてださねぇよ」



エマ……。



そうよ、エマだった。



「瀬戸君、エマのこと好きなんじゃないの? なんで、私……?」



その言葉に瀬戸君は目を見開いて驚き、それから髪をクシャッとかき上げた。



「あ~……。別に、俺はエマの取り巻きとは違うよ」



「でも、あのとき一緒にいたよね?」



私は、真っ暗な倉庫の中を思い出す。

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