第14話

向日葵は、私の彼氏なんだ。



自分にそっと言い聞かせる。



しかし……。



一向に向日葵が出てくる気配がない。



「向日葵」



声が小さかったのかと思い、もう1度呼ぶ。



しかし、結果は同じ。



目の前にはただのカンヅメがポツンとあるだけ。



なんで?



今までにない変化に、焦り始める。



起動の仕方間違えちゃった?



そんなハズは、ない。



カンヅメの裏を見ると、ボタンに明かりがついていて、これはゲームが開始されていることを意味する。



じゃぁ、なんで?



なんで向日葵は姿を見せないの?



「向日葵? 出てきてよ、向日葵」



時折強く、時折子供をあやす母親のように、名前を呼ぶ。



「向日葵? 向日葵ッ!!」



何度も何度も呼ぶ。



でも……。



「どうして……」



向日葵は、出てこない。



まるで、存在自体がそこにないように、光すら漏れてこない。



不安で一杯になる胸の中、不意に悪い予感が浮かんだ。



それは、消去――。



もし、向日葵が消去されてたとしたら?



考えただけで、血の気が引いていく。



もし、お姉ちゃんが、バーチャル彼氏にはまっている私を見かねて消去していたとしたら?



「う……そ」



変な汗が背中をつたい、目の前がクラクラと歪んでくる。



そんなの嫌。



向日葵がもういないなんて、絶対に嫌!!



「ねぇ、出てきてよ!!」



少し乱暴に怒鳴ってみる。



でも、やっぱりそこにはカンヅメがあるだけ。



やだよ……。



壁を乗り越えるんだって。



信頼関係を作るんだって。



そうやって教えてくれたじゃない!!



「ひどい……よ」



知らず知らずのうちに涙が溢れ出し、ヒックヒックとしゃくりあげる。



冷たい涙は頬を伝い、床に落ちた。



向日葵がいなくなることが、こんなに悲しいなんて思っていなかった。



こんな事になるなら、一番最初に、素直に話していればよかったんだ。




「ごめんね? 向日葵……。私、どうしても素直に言えなかった」



グスグスと鼻をすすり、カンヅメを胸に抱きしめる。



こんなことしても、ただ冷たいだけなのに。



「私、学校で嫌がらせ受けてたの。『バーチャル彼氏を持ってる』って、ただそれだけの理由で。笑っちゃうでしょ? でも……そんな時、やっぱり向日葵の笑顔に会いたいって思ったの。たとえ、ゲームが原因の嫌がらせでも、向日葵に会いたいって思った」



私は大きく息をすう。



「でも……。向日葵は敏感だから、私の変化に気がついて……。私、聞かれてるとき、すごく嫌だったの。今はただ笑っててほしいんだって、そう思って……。だから、八つ当たりしちゃったんだ……」



すべてを言い終え、大きく息を吐き出す。



手の中のカンヅメは、ギュッと握り締めていたせいで少し暖かくなっていた。



「ごめんね、向日葵――」




『ごめんね、向日葵』



その言葉を合図にしたように、カンヅメが明るく輝きだした。



私はその光に一瞬目を細め、それから慌てて床に置いた。



「ひま……わり」



ボンヤリと浮かび上がる、向日葵の顔。



でも、それはいつもの笑顔じゃなくて、怒っているように見える。



「泉」



「は、はいっ!?」



思わずピシッと背筋を伸ばす私。



「どうして1人で悩んでるんだ、僕はそんなに頼りない?」



怒った口調で私に聞く向日葵。



私は返事に詰まり、ただただ見つめあうしかできない。



「もっと、僕の事頼ってよ。泉のこと、色々知りたいよ……」



「向日葵……」



あまりに切なそうな顔をするから、私まで胸が締め付けられる。



止まった涙が、また流れそうになる。



「ごめんね? 本当にごめん」



謝りながらも、向日葵が消去されていなかった事に心底安堵する。



「許して欲しい?」



「うん、許してほしい」



「僕のいう事、なんでも聞く?」



「ん……? うん、聞く」



たいして気にもせず、頷く私。



すると、向日葵は嬉しそうに、いたずらっ子のような笑顔を見せた。



え……?



一瞬にして、向日葵のオーラが変化したのは気のせいだろうか?



さっきまでの、優しくて私を想ってくれているオーラ。



それが、今は……



まるで、からかいがいのある面白いオモチャを見つけたようなオーラになっている。



なにより、向日葵の目元がそう言っている。



「えと……。なにかして欲しい事とか、あるの?」



恐る恐る聞くと、向日葵は大きく頷いた。



その仕草は子供っぽくて、すごく可愛い。



なのに、なんだろう?



すごく逃げ出したいのは。



「泉、もっと近くにおいで」



私に向けて両手を伸ばす向日葵。



私は、その手に引き寄せられるようにして、一歩一歩近づいていく。



「泉、好きだよ」



向日葵の熱っぽい声に、体中がゾクリとする。



熱でも出たんじゃないかと思うくらい、顔が熱い。



「泉、こっち向いて」



そう言われ、至近距離で向日葵の顔を見ると、拷問のような恥ずかしさ。



「ね、ねぇ? して欲しい事って、なに?」



必死に空気をかえようとして、話題を戻す。



「ん~? あのねぇ?」



「え……?」



「キス、して」



…。



……。



………。



思考回路、停止。



今にも鼻血を拭いて倒れそうになるのを、なんとか我慢する。



なに?



なんて言った?



そう聞きたいけど、もう1度同じ事を言われたら間違いなく鼻血を拭いてしまう。



何かを期待して、ソッと目を閉じる向日葵。



長いまつげが垂れて、唇がうっすらと開く。



すっごく綺麗で魅力的で誘っていて。



逃れようと思えば簡単に逃れられるのに、捕らえられてしまった。



卑怯だよ……。



ただの幻想世界なハズなのに、こんなに惹かれるなんて――。



私は、言われたとおり向日葵に口付けをした。



一応、私のファーストキス。



でも、感触はなくて、ただ光が暖かいだけの世界。



「これで、いい?」



パッと向日葵から身を話し、真っ赤になってうつむく。

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