第9話

呼ばれて、立ち止まる。



それと同時に、カラカラという音も止まった。



「あれ、なに?」



向日葵は微笑みながら、水槽の中の熱帯魚を見つめる。



綺麗なオレンジ色に、白い2本線。



カクレクマノミだ。



「綺麗だね……」



私は、そっと水槽に手を当てる。



向日葵もまねしてきた。



『バーチャル』という単語をのければ、これは普通のデートだ。



人生初の、デート。



そう考えると、突然胸のトキメキが激しくなる。



こ、こんなイケメンと、初デート!!



バクバクと、胸が苦しいほどに緊張してしまう。



「泉?」



向日葵が私の顔を覗き込む。



うっ……!



上目づかいはやばいって!!



少し不安そうな表情をかくしつつ、微笑む向日葵。



それは綺麗でかっこよくて、もう目の前の熱帯魚なんてどうでもいい。



耳まで真っ赤になる私。



「カ……カクレクマノミよ!!」



と、怒鳴るように言う。



「カクレクマノミ インプット しました」



「じゃぁ、次いこっ!!」



胸のドキドキを隠すように大きな声でそう言い、私は歩き出した――。


☆☆☆


館内はあっという間に一週できてしまった。



正直、水族館としては物足りない。



けど……。



チラリと向日葵を見ると、満足そうな微笑。



そして、昨日今日で覚えた単語を使って賢明に話しをしている。



可愛い……。



一生懸命なところがきゅんっと切ない。



「泉……」



「うん?」



水族館から出ると、日は傾き、空はオレンジ色に染まっていた。



「ちゅ……」



へ……?



一瞬、頭の中が真っ白になる。



キラキラとオレンジの光に包まれる中、向日葵は私の唇に、自分の唇を近づけ、『ちゅ』と音を立てた。



い……今のって……?



向日葵が光でなければ。



バーチャルでなければ。



映像でなければ。



私たちの唇は、重なり合っていた――。



それに気付くと、一気に耳まで赤くなる。



「なっ……なにするのよ!!」



そう言い、プイッとそっぽを向く。



「泉、可愛い」



な……!?



いつの間にそんな言葉を取得したの!?



ますます真っ赤になる私。



だけど、なんだか。



このまま1人で帰るのは嫌で。



私は向日葵を保存、終了させることなく、家まで歩いて帰ったのだった――。





翌日、私は向日葵をカバンに入れて学校へ向かった。



昨日の事を思い出すと、また一気に赤面する。



向日葵が、まさかあんな行動をとるとは思わなかった。



『彼氏彼女』



としてのゲームが、もう始まっているという事を実感させられた。



「おはよぉ」



いつも通り教室へ入ると、急に教室内はシン……と、静かになった。



「泉っ!」



1人首をかしげる私へ、桃子がかけよる。



そして……黒板を指差した。



え……?



そこには大きく『バーチャル彼氏とラブラブ』という文字。



その下にはへたくそなイラストが描かれている。



イラストの横には相合傘のマークで、『泉』『向日葵』の文字までが――。



私は、一気に血の気が引いていく。



向日葵の入っているカバンを、ギュッと強く握り締める。



誰?



これを描いたのは、誰なの?



そう思い、教室にいるクラスメートたちを1人1人睨むように見ていく。



「この前の、見られてたんだよ」



と、桃子。



この前……。



美術室のテラスで、向日葵を起動させた時――。



私は下唇をかみ、黒板のイタズラ描きをけして行った。



桃子も、手伝ってくれた。



悔しいというか、悲しいというか……。



「古典的」



と、呟く。



もっと他にやり方はないの?



ネットに書き込んだらバレて、警察沙汰になるのが怖かったんだろうか?



だからって……黒板にラクガキって……。



そう思うと、なんだかおかしい。



思わずプッと笑ってしまった。



「泉?」



突然笑い出す私に驚いて、桃子は目を見開く。



「ごめん、なんでもない」



と、首を振ってみせる。



近未来的な『バーチャル彼氏』に対し、黒板にラクガキでのイヤガラセ。



これを描いた人はきっと、『バーチャル彼氏』を使いこなせないだろうな。

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