12.そうか、お前の目は節穴なんだな
セレシアがオルフェウスに到着して三日目の、青い満月が優しく浮かぶ夜。
今宵は王城にて、ウェインとセレシアの披露宴が催されていた。
一個大隊の拠点から始まったこともあり、オルフェウスの領土自体はさほど大きくない。しかしその分横の結びつきは強く、主だった家臣だけで五十を超えていた。さらに彼ら彼女らの家族も加われば相当な数となる。
「(わあ、フィーネちゃん、綺麗……)」
教会の修道女たちで構成された聖歌隊の中央で、フィーネが讃美歌を歌い上げている。思わずはっと息を呑んでしまう清流のように澄んだ声が、波紋となって大広間に染み渡る。
讃美歌が終わると、入れ替わるように万雷の拍手が巻き起った。
その間を縫うように、国王ガイウス・オルフェウスが杯を手に前へ歩み出る。
「皆、今宵はよく集まってくれた。皆を呼んだのは他でもない。我が息子ウェインの下に、サンノエルより美しき姫君、セレシア殿が舞い下りてくれたからだ。
どうか皆にも祝っていただきたい。共に二人を支えていただきたい。どうか、二人の未来が好きものとなるよう、明日のオルフェウスが善きものであるよう――乾杯!」
国王が杯を掲げると、鬨の声のような歓声が突きあがった。
唇が触れるくらいに口を付けてから、ウェインが優しげな視線を向けてくれる。
「セレシア殿。すまないが、ここからは少々忙しなくなる。気疲れなどあったら、遠慮なく申してくれ」
「かしこまりました。まだまだ平気です、お気遣いありがとうございます」
彼の笑みに、セレシアも笑って返す。体力的には全く問題なかった。問題があるとすれば――
「(ドレスが、重たぁ……)」
こればかりはほとほと気が滅入る。スカートの下は自由に見えて、機動性など皆無といっていい。何層も重ねられたレースはまるで真綿のように足に纏わりつき、歩きづらいったらない。
「(足腰を鍛えるためだと思っておこう……)」
「あっねうえー!」
「わわっ!?」
不意に隣から飛びついてきた影に、押し倒されないように踏みとどまる。
「改めて、結婚おめでとう」
「ありがとう。フィーネちゃんの歌、すごく素敵だったよ」
「へへ、そうだろう。一等気合入れて歌ったからな!」
先ほどの表情とは打って変わって、照れくさそうにフィーネは笑う。
「はっは、犬であれば尻尾を振らんばかりだな」
国王が第一王子を連れて高砂へやってきた。セレシアは居住まいを正して、ウェインとともに礼をした。
「父上、本日は素晴らしい席を設けていただき、感謝します」
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「よい、祝いの席で堅苦しいのはナシだ。それに事情は儂の耳にも入っている。無事でくれて、ありがとう」
「そんなっ、頭を上げてください!」
セレシアは驚いて、わたわたと手を払った。後に聞いた話によれば、ガイウス王は殉職したサンノエルの騎士の遺族に使者を送り、かなりの手当てを贈ったそうだ。
ガイウス王の隣に立つ、
「お前にもやっと縁があったようで、ほっとしたよ」
「思えば、兄上から一番せっつかれていたな」
「守るものができたことで、お前の無茶も落ち着いてくれるといいのだが……」
「いいや逆だねクローク兄上。義姉上を守るためなんて大義、薪をくべるようなもんだ。ウェイン兄上はそういうやつだよ」
フィーネまで混ざっていった会話に、セレシアはぽかんと呆気に取られ、発言の主を追って視線を右往左往させる。
「いいや、甘いな二人とも。こやつは奥手であるからな。セレシア殿に見惚れて、剣がおろそかになるに決まっておろう」
「……父上まで。皆は俺を何だと思っているんだ」
「ふふっ」
家族から言われ放題になって嘆息するウェインの困った顔が可愛らしくて、セレシアは思わず噴き出した。
それからもスケイルやアヴォイドをはじめ、入れ代わり立ち代わり、様々な人が祝福の言葉を述べてくれた。そのすべてがセレシアにとっては初対面。もう十を数える頃には、早くも役職と名前と顔が一致しなくなってきている。
そんな折だった。
「殿下。この度は、誠におめでとうございます」
やってきた貴族の若い男に、セレシアの本能がひりついた。
「(この感覚、よく知ってる)」
腹の底に真逆の意図を隠した、男を手玉に取るときの姉たちのような笑顔だ。
でも、どうして。人は誰しも、大なり小なり取り繕って生きている。それがここまで色濃く滲み出るのは、異常だ。まさか、ウェインと何かしらの因縁を持つ人物なのだろうか。
その答えはすぐに、彼の口から発された。
「貴族令嬢との縁談を頑なに断っていた殿下が、どんな心変わりを? 噂によれば、セレシア様はかの『お飾り王女』だそうではありませんか」
「――ッ!?」
矛先が自分に向けられていたことに、セレシアは愕然とした。
これは予想だにしていなかった。『お飾り王女』を嘲笑う視線は自分にだけ向けられるものとばかり思っていた。自分が気にしないでいれば、それでいいのだと。
けれど違った。自分のせいで、ウェインに迷惑がかかってしまう――
「落ち目の第三王女に手を差し伸べることで、『獅子王』への印象を払拭したかったのでしょうか?」
聞いていられなくなって、ぎゅっと目を瞑る。
すぐに駆け付けてくれた手のひらが、机の下で、震える拳を隠すように庇ってくれた。
「随分と囀るな、ゼジル。よほど宴を壊したいと見える」
「まさか。私はただ、殿下ほどの人ならサンノエルの第一王女を娶れたのではと、疑問を述べたまで」
「疑問? ふっ……そうか、お前の目は節穴なんだな」
「何ィ……?」
ウェインの静かな激昂に、ゼジルと呼ばれた男は顔を歪めた――。
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