黒の男装騎士と金色の獅子王~身代わり政略結婚をさせられた「お飾り王女」は、隣国で王太子の剣となる~

雨愁軒経

1.サンノエルの黒騎士

「クソッ、どこへ行った! 追え、追えー!」



 夜の城下町を憲兵たちが慌ただしく駆けていくのを、屋根の上から額に手のひらを添えて眺めていたセレシアは、がくっと肩をこけさせた。



「もう、どうしてそっちに行っちゃうかなあ。薄暗い酒場で賭け事ばっかりしてるから、目が悪くなっているんじゃない?」



 もっとも、肉眼に映る情報に頼らなくともやりようはある。


 たとえば空気の流れ。人は無意識的に、次に自分が感じるだろう風の形を予想している。だからそれを遮られたとき、違和感を覚えて振り返るのだ。

 よく姉たちは「男の邪な視線はすぐバレる」と話しているが、あれもそう。視界を通過する人の挙動の中で、女性に注視をすることで生まれる微細なズレが気に留まるからだ。


 それらの違和感たちを意識的に集めることができれば、星の少ない夜空の下とはいえ、怖るることはない。


 セレシアはふっと腹に呼気を据え、耳を澄ませた。

 足音のリズム。道行く人たちの会話。酒屋の客引きをする声は誰に向けられているか。視界に入る情報と照らし合わせて取捨選択をする。



「(見ぃーつけた)」



 ゆったりとした足音の中に紛れて、とと、とと、と忍び足ですり抜けるネズミの痕跡。

 屋根の上を駆けて先回りをしたセレシアは、大きく足を踏み切って、回転しながら路地へ着地した。



「――追い詰めたよ。さあ、観念するんだ」

「げぇっ、『黒騎士』!?」



 セレシアに気付いた盗人の男は、ぎょっと目を剥いた。何事かと振り返った通行人たちから、わあと声が上がる。


 仮面で素顔を隠し、金細工の施された黒衣に身を包んで、王都に悪があれば颯爽と駆けつけて懲らしめる。正体不明のを、人々は『サンノエルの黒騎士』と呼んでいた。



「くそっ、良いナリをしているから、貴族連中の誰かかと踏んでいたのに……」

「ああ、だから今日を選んだんだね。主だった顔ぶれが城に集まり、城下が手薄になるこの時間を。悪い子だ」



 セレシアがくすりと微笑むと、ギャラリーの女性陣から黄色い声が上がる。



「こうなったら仕方ねえ、死ね、黒騎士!」



 逃げ場がないと判断した男は、懐から短剣を抜いて飛びかかって来た。

 対するセレシアは動じることなく、腰に佩いた剣の柄へ静かに手をかける。



「魔の霧に怯える人々の安寧を、同じ人間が脅かすとは不届き千万――『星馳電撃せいちでんげき』」

「ハハ、取ったァ!」



 凶刃を振り下ろして、男が勝ち誇る。しかしすぐに、男は大きく目を見開いた。

 それは、一瞬のうちにセレシアの姿が消え失せたことに対する驚愕か、あるいは、腹部を断ち切られたような衝撃を受けた苦悶の表情か。



「安心していい、刃引きをしているからね」



 目にもとまらぬ一閃で男の背後まで抜けていたセレシアが剣を納めたのを合図に、男は呻き声を上げて崩れ落ちた。






   *   *   *   *   *






 下手人を憲兵に引き渡したセレシアは、王城の縁を器用に駆けていた。


 庭の角を回り込んで五本目の植木は、てっぺんの枝が二股に伸びている。その中心部へ飛び移り、そのまま壁を蹴り上がって、バルコニーに着地。

 城壁の積み石につま先をかけるように上へ上へと登り、適度な位置から真横へ飛べば、そこが自室のバルコニーだ。



「やっば……思ったより時間かかっちゃった」



 脱いだ黒衣はひとまずクローゼットへ押し込み、ドレスに着替えて、結った髪をほどいて手櫛を通す。


 忍び足で大広間へと向かい、薄く開けたドアをすり抜けるようにして中に入ったセレシアは、そこで安堵に息を吐いた。

 誰もこちらへ注目することなく、各々の談笑や舞踏に興じている。



「(良かった……ここまでお母様との遭遇もナシ!)」

「セレシア!」

「……とはいかないですよねえ」



 近づいてくる神経質そうな母の金切り声に、セレシアは神妙に向き直った。

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