第3話 強面の父親

 その晩。俺が母親の母乳を飲んでいると、家の玄関を開けたものと思われる音とともに、男性の大きな声が、家中に響き渡った。


「帰ったぞ!」


 もしかして、この声のぬしが父親なのだろうか。


「むぅ!? 結界がなくなっているではないか!? 何事だ!? 芳乃よしの!」


 ドスンドスンと響く足音を立てながら、声の主が徐々にこちらに近づいて来る。そして、次の瞬間。廊下に続く障子しょうじが勢いよく開け放たれ、大層強面の男性が入って来た。


「芳乃! 無事か!?」


 声がやや大き過ぎるのは体格のせいか。乳児の視界のためはっきりとは見えないが、これは相当鍛えられていると思っていいだろう。


「あら、あなた。お帰りなさい」

「うむ! ……じゃない! 何があった!」

「あの……、上手く説明できないのですけど――。結界ならここに……」


 そう言って、母親は俺が握っている小さく圧縮された結界に目を向けた。俺がおもちゃ代わりにしていると思っているのか、その結界を取り上げようとはしなかったのである。


「何だ、これは!? 結界内にいるのは妖か!? いったいどうなっている!?」

「あなた、声が大きいですよ。朝陽が怖がって泣いてしまいます」

「う、うむ? そうか!?」


 指摘されても、声の大きさはあまり変わらなかった。


「何故、俺が張った結界がこのような大きさになっているのだ!? 最初からこの大きさで作ったのならともかく、あとから大きさが変るなど、聞いたこともない!」


 なるほど。この世界には縮豪結界のような術は存在しないのか。と言うことは、封じるのではなく、倒すための術式が一般的ということだろう。


「これを朝陽がやったと言うのか!?」

「はい。どう考えても、この子がやったとしか……」


 家の外はもう暗い。この時間に家に帰っていないということは、今のところ、この家の子どもは俺だけのはず。退魔師の家系であるという八神やつがみ家にとっては、待望にして唯一の男子が俺ということ。その俺が退魔師にならずに済むという未来はないと言っていい。


 とすれば、俺がこの先、平穏な隠居生活を送るには、妖の存在は邪魔だ。多少面倒だが、この際だから早めに駆逐してしまった方がいいだろう。


 まさか退魔師の家系というのが八神家だけということもないはずだし、ある程度数を減らしたところで引退し、以降の対応を他の退魔師に丸投げしてしまうというのがいいだろうか。これならば、それが原因で、俺が世界のバランスを崩す存在としてオルフェリーゼに消される、ということにはならないはず。


 両手に収まるサイズになった球体状の結界を、手の中でもてあそびながら、俺は結界の詳細な術式と、その中に納まった妖の情報を探る。


「他者の結界を操る術などない! これはお前にもわかっているはずだ!」

「でも、あなた。あの時この家には、私とこの子しかいなかったんですよ?」


 結界の術式自体は、そう複雑なものではない。丁寧に組まれているとは思うが、家を覆うサイズに広げた時に密度が薄くなり、効果が弱まってしまっていたのは言わずもがな。どうせ家を守るのなら、もっと発動効率がよく、強固な結界の方がいいに決まっている。


 そして妖の方はと言えば、これは今までにも散々目にして来た『妖魔』のたぐいだ。人を始めとする生物の陽の気を持つ存在の対極である、陰の気を持つ存在。人の負の感情や死霊の類などが混ざり合って生まれる、この世ならざる者。


 もちろん形態や、強さなどは固体によるのだろうが、今回うちに現れたのは、奇形の虫の様な姿をしていた。あくまで勘の域を過ぎないが、これは何者かが八神家に向けて放ったものの可能性がある。


 危害を加えるというにはこの妖は弱過ぎるので、恐らく内部偵察くらいの役割だったのだろう。まぁ、縮豪結界の使用で密度が増した術式越しでは、何の情報も得られないだろうが。


 と、ここで不意に、力強く、ゴツゴツとした何かに、俺の身体が掴まれるのを感じた。


「うっ」


 思わず口から出た声は、赤ん坊だからか覇気はなかったが、それでも精一杯の警戒心を込めたつもりである。


「あなた! もっと優しく抱いてあげてください! この子はまだ産まれたばかりなんですから!」

「う、うむ!」


 俺を掴んだ相手は、咄嗟にその力を弱めた。


 母親の声が、先程よりも少し遠くに聞こえる。つまり、今俺を抱いているのは母親ではなく、父親の方なのだろう。


 なるほど。このゴツゴツとして固い感触は、彼の鍛え上げられた腕のものだったか。母親の腕の中と比べると、多少居心地は悪いが、相手が父親と言うのならば無碍むげにはすまい。


 俺は、改めて父親の顔に目を向ける。


 うすぼんやりとしか見えないが、まるで軍人のような、勇ましい顔つきだ。ところどころ傷跡が残っているように見えるが、これは妖と戦った跡なのだろうか。


「う~」


 俺は小さな手で、父親の傷跡に触れる。流石に妖気などの痕跡は残っていないが、少なくとも日常生活の中でつくような傷ではない。大の大人がこれほど傷まみれになるほどに、妖との戦いというのは厳しいもののようだ。


「こうして赤子に触れられるというのは、どうにもこそばゆいものだな! だが、この傷を見て恐れぬその気概やよし! 結界の件は調査が必要だが、この子がいれば、我が八神家は安泰だな!」


 「ガハハ」と声高に笑う父親。


 しばらくはこの両親が、俺にとっての数少ない情報源となるだろうから、起きていられる間は、2人の会話に常に気を配っていよう。運がよければ、その内、この世界についての情報を漏らしてくれるかも知れない。


 ここが本当に、2020年代の日本なのか。何をするにせよ、まずはそれを確かめてからでも、遅くはないはず。


 こうして、俺の最後の転生は、その口火を切った。この時はまだ、将来の俺がとんでもないことをしでかすなどとは、つゆほども思ったいなかったのである。

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