第10話 倒錯乙女と夏の補習 前編


太陽が燦然と地上を照らす夏の季節。うだるように暑い日々が続いている。


我々学生にとっては素晴らしき夏休み期間である八月。人生の中でも、高校二年生の夏休みは自由に遊べる貴重な時間だ。


だと、言うのに……。


「……おい谷村。窓の外をずっと見ていても、補習は終わらないぞ」


現実逃避をする俺を見て、担任が諭すように呟く。


「おかしい……本当なら今頃、可愛い女の子と海辺で遊んでいたはずなのに」


それが何故、見慣れた教室で人畜無害の独身男性……もとい担任と一緒にいるのか。


理由はもちろん、夏休み前のテストで赤点を取ってしまったからだ。自業自得とはいえ、楽しい夏休みが補習で削られるのは……正直辛い。


同じく赤点を取った悪友の俊樹は、怠けていた俺と違って一足先に補習を終わらせていた。


一緒に行けばいいかなんて呑気に思っていたら……まさか抜け駆けされるとは。


「暑さで頭がやられたか? お前、クラスで仲の良い女子なんていなかっただろ」


俺のふざけた発言に対し、先生が正論を容赦なくぶつけてくる。その事実を今突きつけるのは止めて欲しい。


「先生の知らないところで交流があるかもしれないだろ! 決め付けは良くない!」


「日頃クラスの女子に話しかけられても、まともに会話すら出来ないお前が?」


茶化すように笑いながら俺の痛いところを突いてくる。なんて酷い教師だ。


「常にシュミレートでは、満点のコミュニケーションが出来ている!」


「そうかそうか。なら、テストもしっかりシュミレートして赤点を回避しておくべきだったな」


俺の戯言を軽く受け流しつつ、違うプリントの採点を始める先生。


日頃くだらないやり取りを交わしているからだろう、さっきから言葉に容赦がない。


「くっ……それは、そう」


「ほら、手を止めない。お前と違って許斐このみは黙々とプリントをこなしているぞ」


「…………」


そんな担任の言葉を聞いて、俺は思い出したように二つほど離れた席へ目線を向けた。


深く澄んだ黒髪を肩ほどまで伸ばした、両端のこめかみあたりにある癖っ毛が特徴的な少女。


名前は確か……許斐このみ姫華きはなだったはず。個性的な名前だから覚えていたが、今まで彼女と話したことはない。


小柄な体躯、身長はおそらく百四十五センチ辺りだろうか。


見合った身体つきとでも言うべきか、制服越しにみても凹凸のない幼児体型が窺えた。


担任に名を呼ばれた少女は、一切反応することなく黙々と補習をこなしている。


「うーむ……」


思わずじっくり見てしまったけど、決して俺はロリコンじゃない。


「……なんか、嫌な視線を感じたのだけど」


俺の視線に気づいたのか、嫌悪感をあらわに冷たい声で呟く少女。


「い、いや誤解だ。誰だったっけなーと思っただけで」


体躯を舐めるように見ていたことを必死に誤魔化すが、嫌悪の目は変わらなかった。


「それはそれで、充分失礼だと思うわ」


呆れるようにため息をこぼしながら、少女――許斐がぼやく。


「そ、それは……」


あまりの正論に、何も言い返せなくなる俺。


「先生との話を聞いていたけど、貴方、美少女と夏のバカンスを楽しみたいとか」


「やっぱ、男なら誰もが夢みるイベントよ!」


思わず語尾が強くなる。それに気づいた先生が、呆れ気味にため息をついていた。


「美少女と二人でひと夏の補習というのも、中々良いものだと思うけど?」


頬杖をつきながら、どこかSちっくな笑みを浮かべてこちらを見つめる少女。


「美少女……? はて……?」


俺はわざとらしく辺りを見回す素振りをして挑発する。


申し訳ないが幼児体型は好みの範囲外なので、特に美少女だと思わなかったのが本音である。


だからなのか、普段よりもすらすら話せている。いつもならもっと緊張して話せないというのに。


なるほど、俺は恋愛対象じゃない女性となら気兼ねなく話せるみたいだ。


「へぇ、どうやら死にたいようね。防御力の低い坊主頭に、シャーペンでも刺してあげようかしら」


しかし同時に幼女の怒りを買ってしまったようで、俺の余命はもう幾許もなくなってしまったようだ。


「さて、終わりの時間になったらまた来る」


そう言って急に教室から出て行こうとする先生。


「ちょ! ちょっと待って先生! このタイミングで出て行こうとするのやめて!」


先生という抑止力がなくなったら、本当に何されるか分かったもんじゃない!


「ふふ……自らの発言に後悔し懺悔し、改悔かいげするといいわ」


細く鋭利なシャーペンを片手に、じりじりと距離を詰めて来る悪魔。


というか後半の二つ、ほぼ意味一緒だからな!


「戻ってくるまでに、ちゃんと終わらせておくんだぞ」


「もちろんです、先生」


多分だけど意味違う! 今の意味違うって!


「待って先生!このままじゃ俺の人生が終わ……アッー!」


その後、先生のいなくなった無法地帯で俺は、死よりも恐ろしい目に遭うのだった……。

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