第7話 私が私であるために 前編


私はいじめられていた。女なのに男みたいな恰好をしている、とか。顔が不細工だの、ゴリラだの。女子でありながら、他の人より少し力が強かったのもいじめに拍車をかけた。


担任の先生に相談したこともあったが、満足のいく結果にはならなかった。


親に言うことも出来ず、十二歳の私はひどく悩んでいた。


日々エスカレートするいじめに心をすり減らしながら、ずっと逃げ場を求めていた。


銀杏の木が整然と揃う並木道。そこに点在するベンチの一つに座り、無造作に赤いランドセルを隣に置いてぼんやりと空を見つめていた。


季節は夏。容赦なく照り付ける太陽に言いえぬ鬱陶しさを感じつつも、私はそれ以上に無気力状態だった。


出来ることならこのまま焼かれて、消えてなくなりたい。


「……死んだら、楽になるのかな」


思わず口からそんな言葉が漏れる。夏休みまで残り三日というタイミングで、私は学校に行く気力を失っていた。時計がないので分からないが、そろそろ向かわないと確実に遅刻であることは明白だった。


「ガキが物騒なことを言うもんじゃねえ」


「へっ!?」


隣に人がいることを知らなかった私は、隣から聞こえてきた返答に驚いてベンチから転げ落ちてしまう。


「お、おいおい! 大丈夫か?」


すぐに手を差し伸べ、私を心配する女性。彼女の透き通った長い黒髪がふわりと舞う。


「あっ……その……ごめんなさい!」


「悪い悪い、いきなり話しかけられたら誰だって驚くよな」


初めて年上の女性に申し訳なさそうな態度をされ、私はどう返答すべきか困惑する。


催促されるがままベンチに座り直し、同様に落とした赤いランドセルを拾って抱きかかえる。


私より幾分か大人に見える女性。制服を着崩した様子、鋭い目つき、この人は不良かもしれない。もしそうだとしたらこのランドセルで身を守らないと……と私は思っていた。ついさっきまで死を願っていたというのに。


「……で、何であんな台詞を吐いたんだ?」


ばつが悪そうに頭をかきながら、隣に座り直した女性が私に質問を投げかける。よく見ると彼女の来ている制服は、この近くにある私立高校のものだ。この辺では名の知れた高校で、評判も決して悪くない。


「えっと、あの……何でもないです! 本当に!」


彼女のオーラに気圧され、完全に萎縮してしまう。元々人と話すことが苦手なことも相まって、今にも逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


「何でもないわけあるか、ガキが不相応に敬語なんて使って。俺のダチじゃあるまいし、小学生ならもっと砕けた話し方しろって。いや、でも……無理に礼儀正しくあろうと取り繕うヤツって、何かしらに恐れを抱いてたりするんだよな」


私の頭を無造作に撫でながら、彼女が真剣に考える。


「あんな台詞を吐くってことは、よっぽど辛い何かがあったんだろ? 俺に話してみろよ。解決できるかは分からねえけど、話すだけでも楽になるもんだぜ?」


これまでそんな優しい言葉をかけられたことがなかった私は、頭を撫でられていることもあって思わず涙をこぼしてしまうのだった。


******


「……ごめんなさい」


女性からハンカチを借りて涙を拭きながら、私は謝罪する。


「いや、良いんだけどよ……俺が泣かせたみたいに周りから見られたのだけが癪だ……危うく通報されるとこだったし」


確かに端から見れば下級生をいじめている構図に見えなくもない。それに関しては本当に申し訳ないと思う。


「……ハンカチ、ありがとうございました」


私はみっともなく鼻水を垂らしながら、彼女にハンカチを返そうとする。


「……お前、ティッシュは?」


「えっと、持ってないです」


「じゃあハンカチで鼻水を拭け、みっともないだろ」


そう言いながら、私からハンカチを受け取って躊躇ちゅうちょなく鼻水を拭きとる。


「そのハンカチはお前にやる。これからはハンカチかティッシュくらい持っておくんだぞ。もし家にないんだとしたらそれをこれから使え。な?」


「う……うん」


献身的な彼女の振る舞いに、私は戸惑いつつも頷いた。


「それで、何があったんだよ」


「……学校で、いじめられてるんです。先生に相談したけど、何も変わんなくて……でも、お母さんに……心配かけたくなくて」


声を震わせながらたどたどしく説明する私を、彼女は黙って急かすことなく最後まで聞いてくれた。


「……なるほどな。大体の事情は分かった」


腕を組み、不機嫌そうな様子の彼女。


「だから、死んで楽になりたいって思ったのか?」


「……うん」


死という言葉に若干の気まずさを感じつつも、私は再度頷く。


「なあ、お前はそれで良いのか?」


不意に彼女から向けられた質問。私は意図を汲めず首をかしげる。


「それって、負けたってことなんだぜ?」


「負け……?」


「だってそうだろ。死んじまったらそいつらの思うツボなんだぞ? お前のことを悪く言う奴らはきっと、お前が死んだら喜ぶかもしれない。そんなの悔しくないか?」


「…………」


「それに、お前がいなくなったらお母さんやお父さん、どう思う? 言っておくが、俺が親だったら耐えられないぞ」


「…………」


「そうなったらお母さんやお父さんはずっと、お前が死んじまったことを後悔して生きていくことになるんだぞ。そんなの、お前だって望んでないはずだ」


彼女の言葉が、自身の胸に深く突き刺さる。そんなの、考えたこともなかった。


自分が消えてしまった後のことを考えられる余裕がなかったと言えばそれまでかもしれない。けれど実際は、周りのことなんて考えていなかっただけだ。


「……うん」


「だから、簡単に死のうなんて口にするな。お前が死んだら、俺も悲しい」


「お姉さんも……悲しいの?」


「ダチが死んだら、誰だって悲しいだろ?」


「ダチ……?」


言葉の意味を上手く汲み取れず、思わず問いかける。


「ん? ああ、友達って意味な」


「友達……ダチ……私が、お姉さんの?」


「ああ。何だ、嫌か?」


その言葉は私にとって不思議な感覚だった。粗暴とも思えるその言葉に、表現できない温かさを感じたから。


「ううん……でも、私と友達になったら……いじめられるよ?」


「あっはは! 全然かまわねーよ! むしろいじめられたいくらいだね!」


「……お姉さんって、変態の人?」


以前テレビで見た気がする。痛い思いをすることが好きな人がいるって。その人は変態って呼ばれていたけど、もしかしてこの人も……?


「ばっ! そうじゃねえよ! 俺より強いヤツはいつでも歓迎って意味だ!」


「お姉さんって……不良?」


「まあ、不良と言われりゃそうかもな。少なくとも品行方正でないことは確かだよ」


私の中で不良という存在は、もっと粗暴で怖いものだった。こんなに優しい人が不良なのか。私はにわかに信じられなかった。


「……よし、こうなったら一緒に学校休むか!」


急にベンチから立ち上がって、彼女が私に悪い提案を持ちかける。


「え? で、でも……」


「ダチの悩みは俺の悩み、俺の悩みは俺の悩み! まあ俺に任せとけって!」


私の言葉に耳を傾けることなく、彼女はおもむろにスマホを取り出し誰かと通話を始めた。


「あ、白井? あのさー、今から学校サボらねえ? いや、実はダチが悩んでいてさ……え、良いのか? 悪い、恩に着るよ。それじゃ、銀杏並木のとこにいるから頼むな」


「あの……」


通話を終えた彼女に対して、私は顔色を窺いながら話しかける。


「ああ、ちょっと待っててな。もうすぐダチが来てくれるから」


屈託のない笑みを向けられ、私は小さく頷いた。


これまで学校を無断で休んだことなんてなかった。そんな私が今日、目の前にいる不良少女と共にサボろうとしていた。


学校に行けば、また辛いことが待っている。それを思い出して私は無断欠席する罪悪感を心の奥深くに閉じ込めた。今日だけは、許してほしいと心の中で願いながら。


まだ知りあったばかりの不良少女についていくなんて、いつもなら絶対にしなかっただろう。でも、私は彼女が悪い人間には見えなかった。


******


――それから、十分もしない内に複数台の改造バイクが到着する。


ざっと二十台はあるだろう。奇抜なバイクの風貌、けたたましいエンジン音、更に乗っている不良少女たちのインパクトも相まって、私は完全に怯えていた。


「姉御ー! お待たせっすー!」


金髪のサイドテールを揺らし、一人の不良少女がバイクから降りて近付いてくる。


八重歯を覗かせながら満面の笑みを浮かべる不良少女を見て、少し緊張の糸が緩む。


「悪いな、白井。いきなり呼んじまって」


「いえいえ! 姉御のダチの危機っすもんね!」


そう言って、私に目線を向ける金髪の不良少女。


「って、え? まさか、ダチって……」


「ああ、コイツ」


私の肩に手を置きながら、彼女が皆に紹介する。


「姉御……流石にそれは犯罪っすよ……いくら妹が欲しいからって……」


「待て待て! 妹なんていらねえし誘拐もしてねえ! な? そうだよな?」


「……うん」


気づけば多くの不良少女たちに囲まれ、好奇の眼差しを向けられていた。ただそれは学校などで向けられる無遠慮な視線のように、辛く居心地の悪いものではなかった。


「コイツ、学校でいじめられてるみたいでよ。死にてえなんて言うから、俺が気分をスカッとさせてやろうと思ってさ」


「なるほど、つまりカチコミっすね?」


何故か目を輝かせながら、金髪の不良少女が答える。


「なわけあるか。俺らが行ったら、後でコイツが酷い目に遭うだろ。それじゃあ何も状況は変わらねえ」


「じゃあ、何をするんすか?」


「バイクに乗って走り回るんだよ。後、どっかで美味いもん食おうぜ」


「確かに、バイクは気分が晴れるっすね!」


周りの不良少女たちもその提案に賛成する。誰一人として、私に文句を言ってくることはなかった。


どうして彼女たちは、初めて会った私のためにそこまでしてくれるのだろう。


「あの……どうして私なんかに……」


彼女からもらった水色のハンカチを握りしめながら、私は勇気を振り絞って尋ねる。


「ん? だって姉御のダチっすよね? ってことは、うちらのダチでもあるっす!」


私の前にしゃがみ、目線を合わせて優しく答えてくれた金髪の不良少女。


「だからそんな悲しい顔しちゃ駄目っす。子供は元気が一番っすからね!」


そっと私の頭を撫でながら笑顔で励ましの言葉を投げかけてくる彼女に、思わず目頭が熱くなる。


「そういや、名前聞いてなかったな。俺は沢崎真夜、お前は?」


「……陽咲ひなた


か細い声で自己紹介をする私を見て、彼女——沢崎真夜は嬉しそうに小さく笑うのだった。

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