第3話 はじめてのお留守番 後編



店長不在の中、どこかそわそわした気持ちで店内のモップがけをする俺。


掃除以外にやることが見当たらなくて、とりあえず店を磨くことにした。


「はぁ……にしても、暇だな……」


艶の増したカウンターテーブルを指でなぞりながら、俺はため息をつく。


店長が買い物に行ってから、どれくらい経っただろうか。最初でこそ客の襲来に怯えていたが……今となっては暇すぎるので来て欲しいくらいだ。


「もういっそ来ねえかなー……客」


キッチンの棚に隠してあった棒付きキャンディーを口に含みながら、モップに両手を置いて顎をのせ、退屈な現状を憂いた。


――そんな時、扉が唐突に開き入店を知らせるベルが鳴り響く。


「おっ! 待ってたぜ店長ー!」


モップを持ったまま急いで入り口に近づく。しかしそこにいたのは……。


「……君は?」


白髪でオールバック、似合わないサングラス、更に口の周りに白い髭をたくわえた五十~六十代の老人が、無愛想な表情で俺を見下しながら問いかける。


身長は百八十を超えているだろう、その体格の良さに思わず威圧感を覚える。


「お……俺は、ここの店員だけど……」


男性の圧に負けじと、質問に答える。


「……君より小柄で、無愛想な店員がいたはずだが?」


どこか困ったような表情の男性。様子を見るに、店長に会いに来たのだろうか?


「えっと……店長なら、買い出しに行ってるけど……」


「……そうか」


俺の言葉に納得した様子の老人。そのまま帰るかと思いきやカウンターまで移動し、椅子に腰掛けた。


「……何だ、水も出さないのか?」


相変わらず無愛想な表情で、俺に接客を求める老人。


「いや、そりゃ店長いないし帰ると思ったからよ……」


渋々店員としての責務を果たすべく、俺はキッチンに赴く。


棚からグラスを一つ取り出して、そのまま蛇口をひねる。


「……おい、何で蛇口をひねってる」


「何でって、そりゃあ……あんたが水を頼んだからだろ?」


言っている意味が分からず、俺は疑問符を浮かべたまま答える。


「……冷蔵庫に、水の入ったピッチャーがなかったか?」


「へ? そうなのか? どれどれ……」


老人に言われた通り冷蔵庫を確認する。確かに水の入ったピッチャーがあった。


「おお! 本当だ! 何だよ詳しいなーおっさん!」


「……ま、まあ……常連、だからな」


何故か言いにくそうに口ごもる老人。なるほど……確かに、自分で自分を常連と呼ぶのは恥ずかしいかもしれない。何だよ、見た目とは裏腹に可愛いところがあるじゃないか。


「いやー助かったぜ。その辺、まだ教わってなかったからさ」


タメになることを教えてもらい、俺は素直に感謝を述べる。


「……そ、そんなことはいい。それより、君は何者だ?」


「いや、何者だって言われてもな……ただの店員?」


「それはさっきのやり取りで理解した。そうではなくて、君の素性のことだ」


「素性……ああ! えーっと、コホン。俺は沢崎真夜。店長とは同い年だぜ」


きっと老人が求めていたのは自己紹介だろう。そう思い丁寧に名乗ることにした。


「バイト募集のチラシを見て、ここに応募したんだ」


「バイトの募集……?」


「……うん? 何かおかしかったか?」


別段おかしなことは言ってないはずだが……。


「あ、いや……続けてくれ」


俺の問いに、老人は誤魔化すように話の続きを促した。


「いや、続けてくれと言われてもな……これ以上何か話すことあるか?」


個人的に話すネタを絞り尽くしたつもりだったので、ここは逆に質問をぶつけることにした。


「……そういえば、君は敬語を使わないのか?」


言われて、俺はドキッとする。そういえば……ずっと敬語を使っていなかった。


「あ……やっべ……じゃなかった、失礼しました!」


咄嗟にこれまでのことを謝罪し、誤魔化そうと試みる。もし店長にクレームでも入れられた日には……今度こそクビだ。


「こ、このことはどうか……店長には言わないでもらえると……!」


「いや……別にクレームを入れるつもりはないが」


「ほ、本当か? それは助かる……!」


心底安堵した俺は、思わず老人の手を取り握手する。


また一からバイト先を探すのは勘弁願いたいからな……。


「……君は何というか、面白い子だな。粗暴に見えて、どこか素直というか」


サングラス越しにこちらを見つめながら、そんなことを呟く老人。


「おっさん……それって、褒めてんのか?」


「……ああ。少なくとも、貶したつもりはない」


「ふーん……まあいいけどさ」


あまり褒められた気はしないが、喧嘩で敵いそうもないので飲み込むことにする。


「……ちなみに、君はどうしてバイトを?」


途端に真面目な声色で、老人が俺に質問をする。


「何だよ、別におっさんに言う必要ないだろ」


あまり言いたくなかった俺は、そう言って誤魔化そうとする。


「……無理に聞くつもりはないが、教えてくれると嬉しい」


「……店長に言わないか?」


「ああ」


老人に念を押し、俺は頭をかきながら渋々バイトの理由を答える。


「……家計を支えるためだよ。一人で家計を支えている、母親の力になりたくてさ」


「…………」


俺の答えを聞き、無言になる老人。サングラスで目が隠れているのもあって、感情が読み取りにくい。


「な……何だよ」


サングラス越しに俺の目をまっすぐと見つめる老人。じっと見つめられることに戸惑いつつも、俺は目線を逸らさなかった。


「……そうか」


納得したのか、そう一言だけ呟き小さく笑う老人。どこか不器用なその笑みを見て、俺は一瞬店長のことを思い出した。


「それにしても……店長帰ってくるの遅いな」


無意識に、ボソッと呟く。


「……そろそろ帰るとするか」


「は? 何だよ、人から色々聞いておいて水だけ飲んで帰るのかよ!」


「……何を言ってる。水もまともに出せない人間が、コーヒーを淹れられるわけないだろう?」


至極当然の意見に、言葉が詰まる。


「そ……そりゃあ……そうだけど」


「……また来る。その時までにコーヒーを淹れられるようになっていてくれ」


老人はそう言って、レジ横にあるトレイに一万円札を置く。


「……これは、色々根掘り葉掘り聞いたお詫びだ」


「お、おい! こんな大金もらえるわけ……!」


「君が、素直な人間で良かった」


俺の言葉に耳を貸さず、言いたいことだけ言って店を去る老人。


「おいおい……何だったんだ……あのおっさんは……」


常連客の老人が何をしたかったのか……最後まで謎のままだった。



******



「……それで、お客さんには返せなかったんですか?」


あれから少し経ち、時刻は夕方。


買い出しを終えて戻った店長に、俺は起きた出来事をありのまま伝えた。


「ああ、水しか出せなかったから……流石に返したかったんだけどな」


対等な対価として成立していない。これじゃ借りを作った気がしてむずがゆい。


「まあでも、これは沢崎さんがもらって良いと思いますよ。お店として何か提供したわけでなく、沢崎さんが話し相手になってくれたということ、そこに対する支払いだとお客さんも言っていたのでしょう?」


「でもよ……別に、大した話してないぜ?」


今振り返ってみても、本当にろくな話をしてなかったと思う。


「問題ありません。一応このお店には愚痴を聞くというサービスだってありますし」


「……何それ」


「コーヒーを頼んでくれたお客さんに対する、無償のサービスです。ここの店長が気まぐれで始めたものなんですけどね」


買ってきた牛乳やらを冷蔵庫に仕舞いながら、店長が質問に答える。


「ふーん……」


それを聞きながら、俺は一万円札を広げて照明の下で透かしてみる。


「じゃあ、ありがたくもらっておくか」


そう言って、俺は素直に受け取ることにした。


最近、怜のヤツが母さんに服をねだって困らせていたからな……これで買おう。


しょうがない。またあの老人が来るまでに、コーヒーを淹れられるようになっておかないとな。

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