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父の顔を最後に見たのは中学生の時だ。子どもだった僕は大人になり、結婚し、妻の凛花との間に子どもを授かった。幸せになれると思った。父の呪縛から解き放たれ、さあ、これから新しい人生が始まるのだという時に、赤ん坊の皮を被った父が目の前に現れた。
父を評するのに適当な言葉は、「厳しい」でも「怖い」でもない。「嫌」だ。僕はとにかく、父のことが嫌だった。
親は子を叱る。当たり前のことだ。叱る理由は様々で、子の将来を案じて心を鬼にする場合もあれば、感情に任せて怒りをぶつけることもあるだろう。親だって人間なのだから、それは仕方がない。
しかし、父は違った。一緒に暮らしていた間、僕は父に叱られたことはなかった。可愛くて叱ることができないとか、そういう「愛」があるからではない。むしろ、その逆で、父はただただ、僕を蔑んでいた。不器用で要領の悪い僕のことをいつも馬鹿にし、何か新しいことができるようになっても、「そんなのできて当たり前だぞ」と鼻で笑った。
例えば、三歳のとき。プリンの蓋を開けられない僕をニタニタと眺めていた。やっとのことで蓋が開くと、父はスプーンごとプリンを取り上げ、勢い良くかきこんだ。
「すまん。腹が減っててな」
ほらよ、と新しいプリンを投げられ、それを取れなかった僕を見て吹き出した。結局、僕はプリンを食べなかった。
五歳のときには、テレビで野球中継を見て、「プロ野球選手になる」と誓った僕に、「無理だろ」と冷たく言い放った。その時の僕は、初めて抱いた夢を馬鹿にされたのが悔しくて、言い返した。後にも先にも、父に反抗らしき行為をしたのはその時だけだ。
「どうして? 僕だって頑張れば、なれるかもしれないじゃん」
「無理無理。ぜーったい、無理」
「なんでそう思うの?」
鼻がツンとするのを、僕は必死に堪えていた。
「なんでもなにもない。お前だからだよ。篤史には無理なんだ」
父のヤニで黄ばんだ歯は今でも忘れない。
「あつしだって、いちりゅーにはなれるよ。ほら」
僕はテレビ画面を指さす。そこには、縦縞のユニフォームを纏った左打者が映っていた。
父は、くくく、と肩を揺すった。
「お前は馬鹿だな。名前の話じゃない、資質の話だ」
「ししつ?」
「脂のほうじゃないぞ。ってそっちもわかんないか、お前には」
とにかく無理だ、諦めろ、と父はそれ以上、僕を相手にすることはなかった。
他にも小学三年生のときに、「足し算教えてやろうか」と近寄ってきたり、六年生のときには玄関でスニーカーの紐を結んでいると、「成長したな」と大げさに涙を拭うふりをしてみせた。その頃になると、僕は父とまともに会話をすることはなくなっていた。
父に対して、母は「あまりイジワルしないで」とやんわり注意するだけで、そんなことだから状況は何も変わらなかった。母から聞いた話、そもそも、共通の知人を介して知り合った時から、母は父にベタ惚れで、父のすることは何でも受入れていた。
「いきなり、親になったからね」
父がいなくなってからどれくらい経った頃だろうか、母が酒に酔った勢いで語り始めた。
交際から三年ほどが経過し、結婚への思いを日に日に募らせていた母は、思いがけず赤ん坊、つまりは僕を授かったことをチャンスとばかりに、自分の親を味方につけて、結婚までこぎつけたのだった。父は母の両親に対して、それほど強くも出られなかったようで、半ば押し切られる形で結婚を承諾したらしい。
しかし、別に嫌々結婚したわけではないようで、父はたしかに母を愛していた。それは普段の二人の様子を見てればわかった。父は母のことを時折からかっていたが、それは僕を嘲る時のものとは明らかに違っていて、母もそれに対して照れるように反応するばかりだった。
父はただ、もっと自由を謳歌したかっただけなのだ。謳歌しきった後に母と結婚する予定だったのが、僕という存在に狂わされた。僕は邪魔者だったのだ。その腹いせを、僕はずっと、受けていたのだ。
僕が生まれたという事実はどうにも変えられないし、父の態度も全く変わることはない。それであれば、父から物理的に距離をとるしかない。
高校は県外に進学しよう。そして、二度と家には戻るまい。母のことは嫌いではなかったし、申し訳なく思うところもあったが、それ以上に父から逃れたかった。
そんなことを考えていた時、父との関係は唐突に終わった。中学一年生、今と同じ雪の降る夜だった。
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