12・主上の力と初夏の雨
翌日は雨だった。
大窓からしっとり湿った園林を眺め、夜鈴は沈んだ気持ちになっていた。さっき下女が噂をしていた。皇帝陛下は、昨晩は藤花殿にお渡りになったと。
沈鬱な気分で鏡を見る。星を散らしたような斑点のある紺碧の瞳の、とてつもない美少女がいる。妖の血を持つと際立った容姿になる話は何度か聞いた。陶器のような白い肌、艶めくまっすぐな黒髪。大きな目を縁取る濃く長い睫毛に、果実のような唇。狂いのない卵型の輪郭に、完璧な配置で形の良い目鼻が収まっている。
それだけではない。夜鈴の美貌には底から湧き出でる凄みのようなものがある。
(だんだん人間離れしてきた)
星宇の妖の力を喰っているせいだろうか。呪いだってたくさん喰っている。
後宮にいたら、夜鈴は前よりもっと妖になる――。
「鏡ならもっとうれしそうに見たらどうだ。おまえは大層な美人だぞ」
ふいに、耳に馴染んだ男の声がした。大窓の外の庭園廊に、傘をさした星宇がいた。
「主上!」
「この雨で公務がひとつ流れてな。暇になったからおまえに会いに来た」
「暇だとわたしに会いに来るのですか?」
「駄目か?」
「駄目じゃないです。どうして?」
「なごむ」
夜鈴は大急ぎで外へ回った。うれしかった。
喜び勇んで星宇に駆け寄ると、傘に入れてくれた。星宇が「濡れるぞ」と言って夜鈴の体をぐっと引き寄せる。
「神獣の化身のごとき見た目でも中身は子犬だな、おまえは」
「妖魔ですよ」
「なんでもいい」
「なんでもいいのですか」
星宇は子供のようにこくんとうなずいた。
「雨の散歩も風雅だな。少し歩くか」
雨を避けるためにぴったりくっついたまま、菫花殿の園林を二人して歩く。
「昼間の主上は庭からおいでになりますね」
「そうか?」
「前も庭からでしたよ」
「なんだかすぐに声をかけたくなってな。正面へまわるのがまどろっこしかった」
「さっきも?」
「さっきも。すぐに会いたくてな」
「ふふふふ」
芳静のことはもうどうでもよくなった。夜鈴はにこにこと機嫌よく、星宇にもらった碁の教本の話や、香月がつくる桃の甜味の話などをした。星宇が目を細めて夜鈴のたわいない話を聞いている。
(主上のこういう時間がわたしだけのものだったらよかったのになあ)
そう思ってすぐ夜鈴は首をふった。望みすぎだ。飼われた妖のくせに。
(主上も妖だけど……)
「主上。主上も異能があるのですか?」
「ある。見たいか?」
「見たい! 見たいです」
「だが今は、力をほとんどおまえに吸われて出せない。――少し、返してくれるか?」
「返す? そんなことができるのですか?」
「できるさ。驚くなよ」
「どうやって……」
星宇のほうを向いた夜鈴の顔に、整った精悍な顔が近づいてくる。
次の瞬間、夜鈴は星宇の唇で唇をふさがれた。舌でこじあけるように、少しだけ唇を開かされる。夜鈴の喉元から口腔を伝い、力の気配が唇の外へ流れ出る。夜鈴の唇の外、つながった星宇の唇の中へ。妖の力が、ゆっくりと流れ出る。
「うけとった」
唇を離し、細めた目で夜鈴を見ながら星宇が言った。
傘が畳まれる。
星宇が上を向くので、夜鈴も倣って空を見た。
濡れると思ったが、雨粒は夜鈴の顔に落ちて来なかった。雨は頭上に落ち、透明な天井でもあるかのように真横に流れ、星宇と夜鈴を避けて再び下へ流れ落ちる。
透明な箱が二人を覆い、雨粒から守っているように見えた。
「これは、結界の一種……?」
「ああ。戦地で将としてふんぞり返るのに、これほど役に立つ能力はないぞ。矢も槍も通さん」
「凄い。ものを通さない結界なんて」
「めずらしいだろう? 妖も便利なものだ。たまには力を返してもらうことになる」
「ええっと……。さっきみたいに?」
「さっきみたいにだ」
「主上」
「なんだ」
「お顔が赤いです。たぶん、わたしより」
「黙っとけ」
「はい」
星宇と夜鈴はしばらくの間二人きり、結界に守られて初夏の雨を楽しんだ。
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