13・「周家のおひめ様」


 喰呪鬼は妖の力を預かったり返したりできるのか。なんて便利な。まるで妖力の貯蔵庫だ。

 夜鈴は自分の能力にすっかり感心してしまった。こういうことを調べ上げるのも、芳静の洪家をはじめとした方士の一門らしい。周家は先祖代々喰呪鬼を飼っていたのに、あまり活かせていなかったことがわかる。


(お父様は賢い人ではなかったのかも。知ったこっちゃないけど)


 輿入れした身だ。周家のことなどもう忘れようと頬をぴしゃぴしゃ叩いていたら、下女がやってきて「洪照儀がお越しです」と告げた。

 芳静が菫花殿に来るのは、入宮初日以来はじめてだ。夜鈴は少し緊張して、「香月は?」と下女に尋ねた。一人で芳静を迎えるのは心細い。


「星照殿へお使いに行かれています」

「ん。わかった」


 夜鈴は重い腰を上げた。




「呪詛の状況はどうかと思いまして。後宮の呪詛封じは、わたくしの管轄ですから」

「思ったとおり、呪われてます」


 夜鈴は回収した呪符と人型を芳静の前にどさっと積み上げた。


「まあ。たくさん」

「主上がお渡りになる前はぽつぽつだったのに、どっと増えました」

「出どころを調べます。持ち帰っても?」

「よろしくおねがいします……」


 芳静は呪詛封じの秘文が刺繍された袋に、夜鈴が差し出した呪物をていねいにしまった。なんだかんだで頼りになるのは芳静だ。


「うう、主上と男女の関係は何もないですって言って回りたい……」

「誰も信じませんわ」

「芳静様も?」

「わたくしは主上から直接お話をうかがっているの。双六をなさっているとか」

「最近は碁です」


 夜鈴の返事に芳静はクスッと笑った。大人の余裕の笑いだ。芳静は星宇よりひとつ年上なのだったと夜鈴は思い出した。


「お強いでしょう、主上は」

「わたしは初心者なので教わるだけです。芳静様も碁をたしなまれる?」

「ええ。昔から」


 そうか。昔からか。

 きっと芳静様はお強いのでしょう。主上のお相手がつとまるくらいに。

 そう思ったら、なんだか落ち込んできた。


(ほんといや。こういうの)


 勝手に主上を慕って、やきもちをやいて。

 星宇のことなどろくに知りもしないのに。生い立ちも、日常も、外城でどんな仕事をしているのかも。

 夜鈴が知っているのは双六に意外とむきになるところと、寝付きも寝起きも良いところと、妖力を使った異能くらいのものだ。


(それと、ぬくもりとにおい)


 夜鈴がひそかに落ち込んでいると、芳静が「香月はどうしまして?」と訊いてきた。


「星照殿へお使いに行っています」

「そう……。ならば、いい機会かもしれないわ」

「いい機会?」


 きょとんとする夜鈴に、芳静は「外で話しましょう」と言った。




「わざわざ外で……なぜですか?」


 すたすた早足で園林を行く芳静を夜鈴が追いかける。


「屋内では耳目があって」

「聞かれたらまずい話ですか?」

「夜鈴様」


 芳静が足を止めて振り返る。感情の見えない冷えた表情に、夜鈴は思わずぞっとした。


「は、はい」

「香月を信用してはなりませんわ」

「――――え」

「香月は後宮へ来る前、とある名家に仕えていたの。桜花おうか殿の安昭媛あんしょうえん桜綾おうりょう様のご実家よ。そしてわたくしが見たところ――菫花殿に仕掛けられた呪物のうち何点かは、安昭媛の手によるもの」

「安昭媛、桜綾様……?」

「初耳と言った顔ね」

「はい」

「安昭媛は内気でいらして、ほかの妃嬪とほとんど交流がないの。書画の世界に引きこもり、主上の訪いを待つだけの寂しい方――。妄想的になるのは致し方ないかもしれないわ。あなたが来るまで呪詛はわたくしに向いていたの。矛先が変わったようね」

「それが、香月とどんな関係が」

「香月の母親の話は聞いていて?」

「正妻ではないとしか」

「香月の父は手をつけた使用人と産まれた娘を捨てたわ。貧苦にあえいでいた彼女たちを拾ったのが安家なの。香月は安家に義理も恩もあるってこと」

「だからって、信用するなだなんて」

「香月は最初、桜花殿に仕える官女だったの。それなのになぜ菫花殿に推薦されたのか考えれば、そうなるでしょう」

「ならないです」

「……強情ね」

「そんなの想像でしかない」

「そう思いたければ思えばいいわ。でも、わたくしはあなたに事実をひとつ、知ってもらわなければならないの。あなたの身の安全のためにね。ついてらっしゃい」


 芳静はくるりと背を向け、菫花殿の裏へ向かった。裏庭には井戸や薪小屋や物置などがある。生活の匂いがある場所だ。


「この物置に入ったことがある?」

「呪物を毎日探してますから。何度もありますよ」

「あら。呪物探しだなんてわたくしと一緒ね。でも、よその殿舎の物置まで気にしている妃嬪なんて、わたくしくらいのものだわ」


 方士でもある芳静はまたクスッと笑った。


「わたくし、ここで香月を見たの」


 荒物が入った物置の前で、芳静は言った。


「香月だって物置にくらい来るでしょう?」

「宮婢ならともかく、内々のきれいな仕事しかしない妃嬪付きの宮女が? 香月の仕事なんて、あなたにお茶を淹れるかおやつを出すかくらいでしょう? 双六の相手もかしら」

「……」


 芳静の言い方にはどことなく香月に対する見下しがあった。

 宮廷方士という、専門の官職がある誇りがそうさせるのだろうか。


「――香月の本当の仕事は、別にあるのかもしれないけれど」

「もうやめてください」

「あなたこそ目を背けるのはやめて。ここは後宮よ。わたくしがどれだけ、ここの女たちの醜い有様を見てきたと思っているの」

「醜い?」

「醜いわよ。後宮の女なんて。その綺麗な目を大きく見開いてよく見てみればいいわ。蝶よ花よと育てられた、何も知らない周家のおひめ様」

「周家のおひめ様?」


 誰のことを言っているんだ?

 夜鈴は、芳静は夜鈴の周家での扱われようを知っていて、からかうために言っているのかと思った。そうだとしたら結構酷い人だ。


(でも、もしかしたら本気でおひめ様だったと思ってる?)


 そして「何も知らないおひめ様」である夜鈴を侮っている?


 何をどう言ったらいいかわからなくて、夜鈴は無言で芳静の後に続いて物置に入った。夜鈴が周家で暮らしていた土間のような匂いがする。芳静は淀んだ空気に顔をしかめると、丸めた敷物の陰にかくれた埃まみれのかめの蓋を開けた。


 甕の中には栓をした陶器の小瓶が入っていた。


「これ。なんだかわかるかしら」

「わかりません」

「毒よ。どうする?」


 薄暗がりの中で、芳静の黒目がちな瞳がじっと夜鈴を見つめる。

 心の読めない、黒曜石のような真っ黒な瞳だった。


「香月が隠したの。知ってた?」

「知りません。呪いの気配がない場所まで見ないから」

「今度から呪物以外も探してみることね。心のまっすぐな喰呪鬼さん」


 芳静はそう言うと、もう一度クスッと笑い、すぐに真顔に戻った。



「これだけは本気で言っておくわ。香月が出す食物を食べるのはやめなさい」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る