8・憎まれたくなくて
(あ~……)
髪飾りをすべて引っこ抜いて帯と下裙をゆるめ、夜鈴はだらしなく床に寝そべっていた。
ここは後宮なのだから、いつかこの日が来ると覚悟はしていた。
皇帝、黎星宇の夜伽をする日だ。
(わたし、
周家にいたとしても、遅かれ早かれ男をあてがわれて子供を産まされていた。父親が信じていなくとも、喰呪鬼を養って呪いを喰わせるのは周家に代々伝わるならわしだ。気の弱い父のことだ。親類縁者の手前、形だけでも伝統は守るだろう。皇帝陛下が喰呪鬼を差し出せとでも言わない限り、そのならわしは続いたことだろう。
(どうでもいいや)
どうせ夜鈴にはほかに行くところがないのだ。今のところ、後宮は周家よりずっとずっとましだ。食べるものも着るものも清潔な寝床もある。菫花殿は美しいし、香月はやさしいし、星宇は見た目が良い。嫌がらせも呪いだけなら夜鈴には効かない。
妖の立場などどう転ぶかわからないし、星宇の人柄も知らないし、あくまでも今のところましだというだけだけれど――。
(皇帝陛下のお渡りがあったら、妬まれて呪詛がわーっと増えるのかなあ……)
あおむけに寝っ転がって格子天井を見つめていると、香月がやってきた。
「夜鈴様。行儀が悪うございます」
「うん」
「『うん』ではなく」
「香月。わたしね……」
奴婢より下の存在だったの。人扱いされてなかったの。家畜みたいに飼われてたの。
そう言おうとして、夜鈴は口をつぐんだ。
(言ってどうするの。同情がほしいの? それとも、行儀のいい妃になれない言い訳がしたいの? 同情してもらって、理解してもらって、どうなるっていうの?)
どうにもならないわよ。おまえは穢れた妖魔の血が流れているのよ。その身は溜め込んだ呪いでいっぱいで、さわったら誰もが呪われるのよ。こっちを見ないで。汚らわしい。
夜鈴の頭の中に、峰華と麗霞の嘲笑まじりの声が、二重になって鳴り響く。
夜鈴は思わず耳を押さえた。
「夜鈴様?」
「なんでもない……」
香月が近づいてきて、夜鈴の横に膝をついた。寝転ぶ夜鈴の顔を上からのぞきこんでくる。
「あの……差し出がましい質問なのですが」
「うん」
「怖くていらっしゃいますか。あの……皇帝陛下のお渡りが」
「……うん」
「……そうですわよね。初めてでいらっしゃるのに、こんな突然ですものね。申し訳ございません。わたくし、すっかり舞い上がってしまって」
香月がしょぼんと肩を落とす。
みるみる縮こまっていく様子に、夜鈴のほうが申し訳なくなった。
「でも大丈夫。床入り、がんばる」
「そのぅ……がんばるとか、そういったものでもないと思うのですが。わたくしも経験がございませんから、なんとも言えないのですが……」
「ないんだ?」
「ないのです」
「香月も後宮の官女なんだから、皇帝陛下のお手付きがあってもおかしくないのに」
「陛下は官女をお召しになられることは全くないようです。官女どころか妃嬪の方々にも数えるほどのお渡りしか――。洪昭儀のみ、何度もお渡りあそばしておられますが」
「寵妃だもんなあ。わたし、芳静様に憎まれちゃうかなあ……」
あの物静かで清楚な人が、憎しみの目で自分を見るようになるのだろうか。峰華が自分を――夫のお手付きの女の娘をそれはそれは憎んだように。
「夜鈴様……」
「わたし、こういうの嫌だなあ。男女関係で恨んだり恨まれたりするやつ。……って、どうしたの、香月?」
香月は目に涙を溜めていた。
「そうですね。お嫌ですよね。わかります……」
「そっか、香月のお母さんも正妻じゃないんだっけ。何か思い出させちゃったかな。ごめんね」
「あやまらないでください~」
「わたし、こんなんじゃ後宮妃失格だなあ」
「そんなことございませんっ!」
「いや失格だって。でも大丈夫。がんばるから。ね? 香月も泣かないよっ?」
半身を起こして、ぽろぽろ泣く香月の顔をのぞきこむ。どうしていいかわからず袖で香月の涙をぬぐってやる。自分たち、後宮向きの性格じゃないよなあと思いながら。
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