7・後宮に向いてない


 明日は星照殿の皇帝陛下のもとへ、入宮の挨拶に参上する。

 香月がうきうきと「お召し物はどうしましょう? 髪はどう結いましょう?」と訊いてきたが、夜鈴は装いのことなど何もわからない。


「全部お任せします」

「いけません夜鈴様。わたくしには目下の者に対する話し方をしてください。夜鈴様の位階はまだお決まりではございませんが、星照殿にとても近いこの菫花殿を賜ったのですよ。菫花殿は規模こそ小さいですが、前皇后の別邸ですよ。夜鈴様は必ずや正一品以上の位を得られることと思います!」

「えらい人に近いところの呪いから解いたほうがいいからだと思うけど……」


 夜鈴はぼそぼそと反論したが、香月は妙に張り切っていて聞いてくれない。仕える妃嬪の位階を上げることが使命だと思っていそうである。それは香月自身の立場を確かなものにすることでもあるので、理にかなったことではあるのだが。


「夜鈴様のお美しさなら、皇帝陛下のご寵愛を得ることが叶いましょう」

「だから寵愛いらないってば」

「陛下は素敵な方ですのに~。一度でもお会いになれば、きっと夜鈴様だって恋に落ちます!」

「恋? 会ったけど落ちなかった」

「……はい?」


 香月がきょとんと眼をしばたたく。


「香月が芳静様を連れて来る前に、ちょこっと来てて」

「皇帝陛下がですか? 菫花殿に?」

「うん」


 香月がぱくぱくと口を開け閉めしている。絶句しているようだ。


「糕を食べてたら、外から覗いてきて『いい食べっぷりだ』って。埋まった壺いっしょに見て、呪いないねって、帰ってったけど」


 子供が遊びに来てすぐ帰ったみたいな言い方になったが、大体こんなものだったと思う。細かいやりとりは忘れた。


「皇帝陛下って後宮内うろうろしてるんだなって。まあ、自分ちの庭だもんね。妃いっぱいいる自分ちの庭。楽しそうでいいね。陛下かっこいいし、悪い人ではなさそうだね。でも恋には落ちなかったよ」

「夜鈴様~~~~~」

「なに」

「夜鈴様がお話しになると、後宮が後宮でないように思えます……」

「そう?」

「こんな妃嬪がいらっしゃるなんて……」

「うん。ごめんね。わたしこんなだから、格好だけでも妃らしくしてくれる?」


 夜鈴がそう言いながらじっと見つめると、なぜか香月はぽっと顔を赤らめた。


「ううっ……かわいい……」

「えっ何?」

「なんでもないです! 星照殿へのお目通りのお支度、この香月が全力で整えさせていただきます!」




 翌日、夜鈴は迎えに来た輿で担がれ星照殿へ向かった。

 石敷きのだだっ広い外院まえにわを抜け、四神を彫り込んだ仰々しい大扉の前で輿を降りた。朱塗りの柱が立ち並ぶ回廊を歩み、皇帝陛下の待つ正庁ひろまへしずしずと向かう。


(あ、頭が重い……)


 夜鈴は眉をしかめそうになったが必死に耐えた。複雑に結った髪に簪や歩揺がいくつも刺さり、垂れ下がった飾りが歩みに合わせてシャラシャラ揺れる。ふくらみを強調するように帯で押し上げているので胸も苦しい。苦しくとも姿勢はまっすぐに正しておかなければならない。


 柱の台座や欄干や屏風、あちこちに精緻な彫りが施されて目がちかちかする謁見の間で、皇帝と遠い距離を持って顔合わせする。煌びやかな玉座にいるのはたしかに昨日菫花殿の庭で会った男なのだが、澄ましかえった顔をしているので別人のように感じた。


 夜鈴は、昨日皇帝から感じた謎めいた気配をもう一度確かめたかった。

 芳静の話を信じるならば、あれは妖の気配だ。

 芳静は言った。「人ならざる者の血が混じるのは、あなただけではないのだから」と。しかもそれは主上であると――。

 しかし玉座は遠すぎて、それらしき気配は届かない。皇帝は美丈夫だとしかわからない。豪華絢爛な正庁ひろまに美しい男。絵巻のようでまるで現実感がない。もう帰りたい。帰りたいと思う程度には、夜鈴にとって菫花殿は居心地がいい場所だった。


 挨拶の口上を教えられたままに述べ、夜鈴は伏せていた面を上げた。

 皇帝と目が合う。無表情だった彼の目が一瞬すっと細くなり、夜鈴は嫌な予感がした。




 嫌な予感は的中するものだ。

 再び輿に乗って菫花殿に帰り着くと、数人の下女がばたばたと戸口や廊下を掃除していた。香月は壺に山盛りの花を活けている。


「なんかあったの?」


 おそるおそる夜鈴が問うと、香月は目をキラキラと輝かせた。


「夜鈴様、おめでとうございます! 今宵、皇帝陛下のお渡りがございます!」

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