第36話 心、灼かれて。
(ヤバいにゃ……まじもんの化けもんにゃ)
リグは久し振りに歯ごたえのある敵とやれて、水を得た魚のように生き生きとしていた。石造りの迷宮で、その狭い通路を針の穴に糸を通すようかのように進み、剣を振るう。
リグの身のこなしを見て、ニーナは関わってしまったことを心から後悔していた。
この迷宮は出来てから一ヶ月ほどである。ニーナの村からはかなり遠く離れており、被害のおそれは殆どないものの、念のためにニーナは毎日異変がないかを調べていた。
ニーナは村一番の有望株の戦士であった。年は12になる。その敏捷性、瞬発力はリグすらも凌駕し、その動体視力はリグの動きを完璧に捉える。
だからこそリグの異常性がハッキリ見て取れた。
その動きにまったく無駄がない。襲ってくる魔物を見たこともない多彩な剣と魔法で的確に斬り、撃ち、刺して仕留めていく。その動きは美しさすら感じさせた。
何より身体能力の低い人族の子がこれほどまでの移動速度を持つことに驚嘆した。
その身体が大きくなればいずれ自分の速度に肉薄し、隙など一ミリもないことを悟った。
(もし、もしもこの子供が大人になって村を襲ったら……もうおしまいにゃ)
ニーナはギリリと歯軋りして決意する。このイカれた人族の子はここで始末せねばならない。今ならば隙を付いて殺れるかもしかない、と。
だが、ニーナはわずかに身震いすると全身の毛が逆立った。
村を襲った憎き冒険者たちを始末したことは何度もあった。自分たちは何も悪いことをしてないのに土足で踏みにじろうとする蛮族が憎くて憎くてしかたなかった。それでもさすがに子どもを殺したことはないし遭ったこともない。
しかもこの子は何か罪を犯したわけでもない。
無実の子を殺めるなど人族の鬼畜と同じではないかとの迷いはあった。だが、危険な存在を見過ごすわけにもいかない。
あまりに矛盾した考えに板挟みとなったニーナはただ黙って後ろを付いていった、その時――――
ドォゴォォーーーーン!!
とんでもない轟音が迷宮に響きわたって、聴覚にも優れるニーナの耳がイカれた。
三角耳を押さえてうずくまり目を向ければ、クリスとかいう女の髪が赤く染まっていて、拳ひとつで迷宮の堅牢な魔法壁をぶち抜いていた。
あり得ない破壊力を目の当たりにしたニーナはそのまま尻餅をついた。
「あ、こっちに隠し通路があるみたいです! なのでご褒美をください!」
嬉々として抱きつこうとする女、それを困った顔で華麗に避ける人の子。
その光景を見て、ニーナは先程までの甘い計画を実行しなくて本当によかったと安堵した。
(もし実行していたら間違いなくあの女に村が根絶やしにされるところだったにゃ。あの眼はヤバい、まじ狂ってる。それにあの犬っころ、さっきからコッチを見て唸ってる。あの二人が連れ歩いてる時点で得体の知れない強さを秘めているに違いないにゃ……うぅっ、えぅ、もうなんなのにゃ……)
八方ふさがりの状況に追い込まれたニーナは本気で泣き出してしまった。戦士にあるまじき行為と分かっていても、まだ12の少女でもあった。
するとリグが駆け寄ってきて心配そうに言った。
「大丈夫ですか? ちゃんと無事に返しますので安心して下さい」
「……ころせニャ、いっそ殺せにゃ」
ニーナだって本当は分かっていた。
自分を始末しないリグが他の冒険者くずれとは明らかに違うことくらい。けれどニーナにとって強さの原動力は人族を恨み、返り討ちにすること。
獣人を優しく気づかう人族など知らなかった。これ以上自分の強さの根源を踏み荒らされて欲しくなかった。どうしていいのかまったく分からなかった。
「殺したりなんかしませんよ。あ、けど突き飛ばした件はまだ許してませんからね。なのでちゃんと生きて帰って体術教えて下さい」
優しい目の奥にのぞく狂気。すべてを本気で言ってるのだと理解したニーナは泣き止むと震えた声で言った。
「…………おまい、まじもんのキチにゃ」
「あの? さっきから言う『キチ』ってなんですか?」
「にゃ? きちがいと鬼畜のダブルミーニングに決まってるにゃ」
「……ひ、ひどい」
クラリスが見つけだした隠し通路を進んだ先に石扉が現れた。
ゲームで言うところのボス部屋というものなのだろうか。だが、どうにもダンジョンは現実感に欠ける……。
それでもリグは期待に胸を膨らませ石扉を開けた――――SSランク以上の魔石、新たな武器、新たな魔具、更なる強さを求めて。
†††
「グガァォァァアアア!!」
激しい咆哮に思わず身じろくニーナ、その巨体を見て恐怖のあまり無意識に後ずさる。と、そのかかとが扉にあたった。
「――ニャ!?」
気づけば扉が閉まり、部屋に閉じこめられてしまっていた。
ニーナは混乱する。
彼女の戦術は常にヒットアンドアウェイ。相手と距離を置いて死角から双剣で接近攻撃を仕掛けるものだ。敵わないと分かれば即座に戦線離脱が鉄則。だだっ広い部屋に柱といった死角はなく、明らかに自分の手に負えない魔物。
全長20メートルに及ぶ巨体、
ソレはかつて翼をもがれた呪竜の劣等種との言い伝えがあり、強靭な鱗と分厚い筋肉に覆われたその巨体は刃を通さない云われる。
金色の目に睨まれて竦みあがるニーナ。咄嗟の判断により瞬足で移動し、部屋隅の天井の角に張りついて全体を俯瞰した。
やはり死角となるような場所はない。長方体のこの部屋で真正面からあの魔物と殺り合わないといけない。こんなの無茶だ、無茶すぎるとニーナは人の子に目をやると、
笑っていた。目を輝かせていた。まるで長年探し求めてきた宝物でも見るかのような顔をしていた。
ニーナの背筋をゾワリと冷たいものが撫でた。
なぜ笑っていられるのか理解できない。相手は灼熱の使い手、鉄壁のサラマンダー。風の冒険者にとって相性は最悪なのに……
ニーナはサラマンダーよりもよっぽどあの子の方が恐ろしいと思った。
その刹那――――サラマンダーの口から予備動作ほぼなしの熱線が放たれた。
ニーナの移動速度を超える赤い熱線が二人を呑み込んだ、と一瞬錯覚するほどに二人はギリギリで左右に回避したが――
「危ない、あれは反射するニャ!」
壁に魔法陣が浮かび上がり、ニーナの読みどおり熱線は壁にあたると反射した。軌道をわずかに変えて、リグを仕留めにかかる。
リグは振り向きざまに手をかざすと透明な風壁が展開され、熱線はほどけ拡散した。
その間にクラリスが前方へと駆け出すと、サラマンダーは新たな熱線を放とうと顎をクリスへ向ける。
サラマンダーの視線がクラリスに釘付けとなったことろで、リグは風壁の性質を変えて熱線の軌道を逸らす。サラマンダーの前足に直撃させると爆炎があがった……がサラマンダーはまったくの無傷であった。
それでも蒸気があがって遮られた視界、クラリスが潜り込むと横薙ぎの一閃、振り抜いた箇所の鱗を剥がし飛ばすと、サラマンダーが悲鳴をあげて咆哮す。
その咆哮で煙が霧散すると、すかさずクラリスは飛び退いてリグの元へと戻った。
数瞬の沈黙――直後の閃光――爆炎――炸裂音――絶え間なく続く攻撃の応酬。
ニーナはその戦いを余すことなく目に焼き付けた。ニーナにとって戦いとは村を守り、食糧を得るためのものでしかなかった。
だが、目の前で繰り広げられる二人の戦いは遙か次元が違った。それはさらなる高みを目指さんとするイカれた狂気に他ならない。
――――これが本物の冒険者。
放たれた灼熱の暴力を、途轍もない魔法と理解不能な力で捻じ伏せる戦いに、ニーナの眼が、脳が、心が灼かれた。
――――カ、カッコいいにゃ。
――――――――――――――――――――
あとがき
ニーナがヤバい二人に憧れを抱いてしまった模様……
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