第23話 望みと契約。

 間一髪のところでリグはクラリスを見つけ腕に抱いた。


 だが、リグに安息の暇はない。


 全方位から絶えず迫ってくる脅威。


 最大出力の風障壁を球形に展開して、礫からクラリスの身をまもりつつ、風障壁をこえて襲いかかるレッドベアを魔剣で葬り去った。


 クラリスの身体に風魔をまとわせ重さを軽減するも、上空を飛ぶことは不可能だった。


 くわえて無理な体勢と絶え間なく襲ってくる魔物のせいで進みがとても重たい。


 ここは大森林の深部近く、このまま森の外に抜けるのはどう考えても無理だ。かと言ってクラリスを見捨てる気など欠片もない。


 細い糸を手繰るように、リグは一つの可能性に託すことにした。


 前方に見えたのは大木のX字の傷。それは以前リグが付けたもの。


 箱庭を出たあと、その場所が分かるよう目印をいくつも付けておいた。


 リグの視界の先には延々鬱蒼とした森しか見えてないがそれは幻影結界である。


 結界内に入ればクラリスを匿って貰えるかも知れない。


 もちろんリスクはあった。


 もし拒絶されれば箱庭や目印の記憶をすべて消され無意識のうちに結界外に放り出されるだろう。最悪の場合、フロミス達と交戦の可能性もある。


 それでも試してみる価値はあった。


 クラリスを引きずるようにリグは進みなんとか結界手前まできた。意を決して中に入ろうとしたその時――


『立ち去りなさい愚かな人の子よ! なぜ結界の存在を知っているのですか!? あぁ疑わしい! もう沢山です!』


 疑心暗鬼、自暴自棄となった狂声が脳内に響きわたる。リグは臆せず声を張った。


「僕は僕なり約束を果たしています! どうかクラリスを――」


『なりません! 早々に立ち去りなさい!』


 取り付く島もなく拒絶される。それでもリグは構わず結界内に足を踏み入れた。


 そこには前と変わらぬ箱庭があってようやく大量の魔物から逃れられた。


 だが、代わりに幻影魔獣ゲルニカが牙を剥きだし唸り、フロミスが絶叫した。


「あぁあぁぁあぁあぁあ!! 信じられない!! なんて穢らわしいものを持ち込んだのでしょう!!」


 リグは意味が分からなかった。するとレイメルが脳内で言う。


『これのことだよ。お腹を見てごらん』


 クラリスの腹にはいつしか見た黒い蛇の紋様が。しかも以前より濃く大きく刻まれていた。


(!? お願いだメル、今すぐ――)


『ごめんけどムリなんだ。ボクの今の力じゃ解けない』


 とその時、その黒い紋様が蠢きはじめて腹から浮きでると一匹の蛇となって地面に這い落ちた。その黒い蛇が上機嫌に喋りだす。


「フハハハッ! ようやく見つけましたよ、幻影魔獣。まさか貴方が導いて下さるとは、リグさん」


 クラリスの腹は綺麗に戻っていた。メルが「もう大丈夫だよ」と安堵したように言う。リグはクラリスの無事を確認すると、すかさず腕に抱えて黒蛇から距離を取った。


 フロミスは相も変わらず絶叫していた。どうやらリグは招かれざる客を箱庭に持ち込んでしまったらしい。


 その瞬間、ミシミシと幻影結界にヒビが入り始める。


 黒い蛇が侵入したことによって結界の内と外が繋がれて結界が崩壊していったのだ。


「本当に感謝しても仕切れませんね。ささやかながらもその礼に彼女の呪いは解いて差し上げました」


 この恩着せがましくも生理的に受け付けない声、リグは覚えがあった。


 街マルシアに来た初日に自分をストーキングしていたあの男だ。


 結界を破壊するためにはクラリスから一旦抜け出る必要があっただけに決まっている。


 リグは思考を研ぎ澄ます。クラリスの横腹に手を当て治癒をしながらも、この状況をどう乗り切るかを考える。


 ヤツの本当の目的は幻影魔獣ゲルニカを手に入れること。街マルシアを潰すのは副次的なものに過ぎなかったか、人の目を遠ざけるためのもののようだ。


 いずれにせよ一つだけ言えることがある。



 ――クラリスを苦しめたコイツは絶対に潰す。



 リグは最大出力の風弾を撃ち込んだ。


 蛇の頭が吹き飛んだと思いきや、黒い靄が集まって元に戻った。


『アレは実体を持たない闇の気。本体を討たないと意味がないよ』


 珍しくメルがアドバイスを贈った。メルも相当に腹を立てているのだろう。


 ――だったら。


 リグは黒蛇を円形の風障壁に閉じ込めた。それを遠隔でビー玉大にまで圧縮して黒い玉とし、空気砲で撃ち放って結界の外まで弾き飛ばした。


 すると崩壊しかけていた幻影結界が元に戻り始める。


『……こりゃ流石のボクも驚いた。時間稼ぎにはなったろうね』


 時間稼ぎ、すなわち居場所が割れてしまったということ。


 じきに全勢力をもって襲いかかってくるに違いない。


 それでも準備する時間、何より交渉する時間が出来た。


 リグはここ一ヶ月間、フロミスとの交渉材料を色々と考えていた。


 半狂乱となったフロミスに対し、リグは努めて冷静に言う。


「フロミスさん、子ども達とこの庭、どちらが大切ですか?」


『…………え?』


「庭なら新しく作ればいい。ですが、子どもたちを失えば二度と帰って来ません。特にそこの幻影魔獣は間違いなく連れ去られます」


『え、いや、いやよ! そんなのイヤイヤイヤ、絶対にイヤ!』


『僕もクラリスを失うなんて絶対に嫌なんです。だから僕と契約しませんか?』


『……い、今更何を』


「僕が子ども達を救います。その代わりに力を貸して下さい」





 精霊とは魔力を取り込み生を育む神秘の命である。


 また、契約に縛られる儚い存在でもあった。


 契約とは互いに望むもの与えることを約束し契りを交わすことをいう。


 契約の条件は三つ。


 精霊の望みを知ること。

 自らの望みが受け入れられること。

 そして約束を絶対に守ること。


 違えば精霊であろうとその身は枯れ、心が朽ちるとゲーム内では語られていた。


 レイメルが必要以上にリグに肩入れできないのも、ピアスに閉じ込められたのも一つの契約なのかもしれない。


 望むものを知らないリグはレイメルと契約を交わせない。


 精霊はその望みを自ら口にすることはしない。それは言霊であり言質であるからだ。知られれば命を握られたに等しい。


 契約するための絶対条件は精霊の望みを知ること。


 けれどフロミスの望みは明らかだった。


 ――箱庭に棲まう魔獣たちと安息の時を過ごすこと。


 箱庭はただの居場所に過ぎない。その箱庭はもう守れないと知っている。


 フロミスはきっとずっとリグに期待していた。


 自身の望みを知り、契約を持ちかけてくることを。


 あの時のリグは契約の存在を知りながらそれを頭の中で真っ先に撥ねのけ提案しなかった。当時のフロミスの願いは箱庭を守ることも含まれていたから。


 リグはこの大森林がゲーム開始時に存在しないことを知っていた。シナリオの強制力の高さも理解していた。


 守れるか不確定な契約など出来ようはずもなかった。


 そして今回ならその約束を果たせるとの確信がある。


 すると幻影結界が再び崩壊を始めた。方法は分からないが楔を撃ち込まれたのだろう。


「改めて言います。僕と契約しませんか」 


 リグの持ちかけた契約は善意でなく単なる打算である。


 フロミスの魔獣を守ってあげたいだなんて良心は欠片もない。

 

 クラリスを護りたいがための利己的な偽善である。

 

 それでも命を賭し、約束を果たそうという意思がリグにはあった。


 フロミスはそれを断る理由など何処にもなかった。



『貴方の望みを受け入れます。なれば汝に力を授けましょう』



 あたりがまばゆい緑光に包まれる。



 時を同じくして、幻影結界が破られた――――




――――――――――――――――――――

あとがき


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