第22話 不器用で臆病だけど。
「近頃、よい悪夢は見られましたか?」
クラリスが驚き顔を上げると目の前に男が立っていた。
顔に覚えはない。術者ならばあの時、自分の手で殺めたはずなのに……。
「ちゃんとこの手で――」
「おや? それはライオネグの長だったラージョンのことでしょうか。彼は単なる私の傀儡に過ぎませんが?」
「ど、どういう――」
「ですから、彼は自身を術者だと思い込んでいただけ。まぁ私がそう仕向けた訳ですが。困ったものですね。彼には別の役割があったというのに殺してしまうなんて。さぁ行きますよ」
クラリスは思考だけでなく身体の自由まで奪われ始める。操られていた頃のおぼろげな記憶がフラッシュバックした。
「……いや、もう嫌」
「いけませんね。貴方には利用価値があるのですから――」
否が応にも増幅する狂気――クラリスは必死に首を横に振って抵抗する。
以前は溺れてしまったが、今回はそれに抗う術があった。
リグの笑顔を思い起こし、幸せな自分を思い浮かべる。
たったそれだけのこと、しかしクラリスにとって何より効果のあるおまじないであった。
やれやれと肩を竦めた男は面倒くさそうに言う。
「ではこれで如何でしょう?」
ふと狂気が収まる。引き換えに、うちに秘めた恐怖心が一気に膨れ上がった。今のクラリスが最も触れられたくなかった恥部が脳内を埋めつくす。
忌み子――嘘つき――役立たず――足手まとい。
「いゃあぁぁあぁああぁ!?」
クラリスの悲鳴が森に木霊した。男は嬉々として言う。
「フハハハハッ! さぁ行きますよ」
「……リグ、さ、ま、リ、グさ、ま」
命ぜられるがまま勝手に動いてしまう足。恐怖に支配されたクラリスは縋るようにリグを繰り返し求めた。
「おや、本名をリグと言いましたか。彼女には散々邪魔されましてね。まぁ直に死にますが――」
「……え?」
「付け入る隙がまったく見当たらないんですよ。何度もここにおいで下さったのに。瘴気に隠してこっそりと闇の気を送り込もうとしたんですがね。何度やっても弾かれてしまう。操れないのなら脅威となる前に始末せよとの命が下りましてね。私個人としては至極残念な――」
――――――――――――。
その瞬間、クラリスの中で何かが弾けた。
未だかつてないほどの狂気が腹の奥底から煮えくりかえり、心を支配していたはずの恐怖を軽々と呑み込んでは更なる狂気へと変貌させた。
血湧き肉躍る衝動――――クラリスは自ら望んでその狂気に身を委ねる。
一瞬にして大剣が抜かれ、片腕で男の首を捉えた。
それに飽き足らず、目の前の男を粉微塵にすべく幾十にも斬りつけた。
だが、斬った感触がなく風が鳴くのみ。
斬られた男の傷口からは黒い靄がこぼれだす。
「コロ、ス。キサマ、コロス……」
「おやまぁ、これまた難儀なことに。もう貴方を連れ行くことは諦めましょう。それではさようなら。フィア=ロスト様のご慈悲があらんことを」
丁寧にお辞儀した男の身体が霧散し、魔物の気配だけが残った。
周囲に数十、数百、いや悠に千を越える殺気と視線がクラリスを取り囲んでいた。
狂気そのものと化したクラリスは身を屈める。
その臀力が爆発的な一歩を生み出した。
狂気の化身は瞬きひとつも許さぬ速度で奔り抜ける。
進行方向にいたハイゴブリン十数体を一瞬にして肉塊に変えると、クラリスの身体を血に染めた。
紅き化身は目に映るものすべてを敵とみなし、右腕の大剣で執拗に切り刻んでいく。
余った左手はデットエイプの頭を熟れた果実のごとく潰し、強靭な顎はポイズンゴードンの喉を惨たらしく食いちぎる。
目障りな大木を蹴り飛ばせば、何十もの魔物がその下敷きとなって臓物が爆ぜた。
鋼のごとき身体は魔物の攻撃すべてを弾き返し、かすり傷ひとつも付かない。
「ヴゥゥゥ……リグ、リグ、ゥヴゥゥぅ」
うわごとのようにリグと呟き、唸りをあげる狂気の化け物。
僅かに残した理性は彼のみを求め彷徨う。
それでも魔物の行軍が止まることはない。
失った数だけ魔物がなだれ込み、屍を踏み台にし、たったひとりの敵を殺そうと襲いかかる。
狂気の剣は血に飢えたように魔物を刺し、斬り、薙ぎ、潰し、そして砕いた。
一方的な蹂躙がしばらく続いたあと、戦況に変化の兆しが見えた。
狂気と化したクラリスが肩で息をし、動きが段々と鈍くなっていったのだ。
どんなに優れた身体強化であろうと肉体は疲弊する。魔力に限りはある。
クラリスの内包する魔力は相当なものであったが、最大出力を続けては半刻も持たなかった。
一方で魔物の勢いはまるで衰えをみせない。
次から次へと現れてはクラリスを殺そうと迫りくる。
勢いに押された化身は後退しながら迎撃し、辺り一面を血の海とした。
それでも限界はもうすぐ側まで近づいていた。
狂気が段々と薄れていき、かわりに意識が浮上しはじめる。
クラリスの意識が完全に戻った時には、すでに全方位を囲まれてしまっていて魔力も残りわずかしなかった。
一か八か、クラリスは退路をつくろうと全力の突貫を試みた。
薙いだ一閃が魔物の群れを吹き飛ばすと、目の前に一本の道が開ける。
希望の光が射したと思ったその時――
「――――ごふっぁ!?」
クラリスの口から大量の血が吹きだす。
身体強化が切れたと同時に、投げられた石が横腹にめり込んでいた。
それでも前に進むことを諦めないクラリスの眼。
絶対に彼を守ってみせるのだと。
だが身体が付いてこず、あと一歩が踏み出せず、
視界は地面を映してから暗転した。
………………………………
……………………
…………
時間が止まったような感覚に見舞われた。
心の中は悔しさと充足感で入り交ぜとなって混濁する。
もっとずっとリグ様と一緒にいたかった――
色んな笑顔が見たかった、その成長を見届けたかった――
ちゃんと話せばこんなことにはならなかった――
それでも、叶わないと思っていた幸せな時間を過ごす事ができた――
すべてはリグ様に出逢えたから――
私はどこまでも不器用で臆病で、自分の気持ちを素直に伝えられないけれど――
最期ぐらいはちゃんと言葉にしよう。
「リグさま、だい、す、き――――」
「はい、僕も大好きですクラリス」
返ってくるはずないと思ってた言葉。
その温もりを抱いてクラリスは幸せそうに意識を手放す。
クラリスを治癒するリグの眼が狂気に満ちる。
――――黒幕を見つけだし、必ずや滅す。
――――――――――――――――――――
あとがき
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