第53話 魅力チート大聖女の誕生

 気がつくと、私は薄暗い空間にポツンと立っていた。


 ほんの少し先も見えない。


 でも分かる。膨大な魔力が渦巻いている。

 死んだ生き物たちの魂が、これから生を授かる魂が、純粋な魔力の状態で混ざり合っている。


 ここが世界の原初なんだ。



 次第に、その魔力が黒くドロドロしたものに変質していくのを感じた。


 それは、いつか見た魔獣の姿を形作っていく。


 背筋がゾクリと凍る。

 温泉の街で遭遇した、死を統べる魔獣――深淵だ。


 死ぬ。死ぬ。死ぬ。

 強烈な死のイメージ。


 私の心を死が侵食しはじめる。

 

 アノン君に首を絞められたときのことを思い出す。


 私の、声がする。


 ――私はあのとき、諦めかけたよね?

 ――きっと私が悪いんだ。

 ――アノン君に殺されても仕方ない、そう思ったよね?

 ――私なんて守る価値はない。

 ――エラや、エニーケさんを危険にさらす……私なんて。

 ――生きてる価値だって。



「ううん、私はあきらめないよ」


 深淵の誘導なんて、もう効かない。


 私は一寸たりとも、生きることを手放さない。

 深淵に二度も心を喰われるほど、私の生への執着は甘くない。


 きっとこんなのは試練の小手調べだ。


「もう、消えていいよ」


 私は平然と深淵に歩み寄ると、至近距離で防護魔法を展開した。

 あのときよりも展開のスピードが速い。


 この三カ月、魔法の修練をしまくった成果だ。


「…………」


 深淵は一瞬で蒸発した。


「多分、次からが本番」


 油断してはいけない。心を落ち着かせよう。



 ふと、嫌な気配が近づいてくるのを感じた。


 すごく気持ち悪くて、恐くて、二度と遭いたくないと思っていた姿。


 目の前に、ゾウロ司教とチウロ司教、そしてエコンドが立っていた。


 彼らは私を見て、一様に口角をつり上げる。

 そのねっとりとした視線に、思わず後ずさってしまう。


 彼らは、もうこの世にいないはずだ。


 亡者になって……この場所に留まっている?


「うそ……」


 そこからの光景は、見るに堪えないものだった。


 ゾウロ司教が、見知らぬ聖女見習いさんに覆いかぶさって腰を動かし始めた。聖女見習いさんの悲鳴がこだまする。


 チウロ司教は仰向けになり、別の聖女見習いさんを腰の上に乗せて思いきり突き上げた。絶叫した彼女は白目を剥き、そのまま上下に揺すられるだけの人形になった。


「やめて! その人たちに酷いことをしないで」


 思わず声を上げる。


 しかし私の声など聞こえないというように凌辱は続く。

 防護魔法をフルパワーで展開するも、彼らは弾かれることなく術をすり抜ける。


(実体が、ない?)


 最後にエコンドが、笑いながら歩き出した。その先には、孤児院の子どもたちが縛られている。


 全身が総毛立つ。


「そんな……その子たちに、なにを」


(あの子たちは、助かったはず)


 エコンドは腰に差した剣を抜くと、子どもたちに振り下ろした。


「やめてっ!」


 叫びも虚しく、子どもたちが力なく倒れていく。

 エコンドは血塗れの剣を見て、満足そうに笑った。


 自分の中に暗い魔力が混じっていくのを感じる。それは私の心に、ある感情を芽生えさせようとしていた。


 憎しみの、感情だ。


 ふと見れば司教たちもエコンドも、ニヤつきながら私を見ていた。


 一歩、また一歩と近づいてくる。


 気づいたときには、私は両手を縛られバンザイをさせられていた。


「フフフ……またこんな場所で会えるとはな、フィーネ。ここなら私は果てることはない。その形のいい乳房をしゃぶり尽くしてやろう」


 ゾウロ司教の手が、私の胸に伸びてくる。


 気づけばチウロ司教も、私の下半身に手を伸ばしてきた。


「フィーネ、ここなら私は絶頂を味わうことができる。ずいぶんいい格好をしているじゃないか……さあ、この前の続きをしよう」


(また、いやだっ……さわらないで)


 ぬうっと大きな人影が目の前に現れる。

 エコンドが狡猾な笑みを浮かべながら、私の顎を上向かせた。


「小娘が、ずいぶん美しく成長したじゃないか。ねぶりがいがありそうだ」


 髭を生やした口元が近づいてくる。



 私は、理解していた。


 この胸に芽生えつつある衝動に身を任せれば、彼らを滅殺することができる。イヤなことをされるたびに、冷たい感情に支配されていく。



「おおーい、ちょっと待ってくれー!」


 唐突に懐かしい声が聞こえた。見れば、王都学院で唯一友だちになってくれた男の子が立っていた。


「シャーテイン君!?」


「ああ、間に合った。俺も混ぜてくれ」


 興奮した様子で息を切らしている。


「シャーテイン君、あの……」


 あまりに突然の登場に、私はどうしたらいいのか分からなくなってしまった。


「うわぁ、フィーネなんて格好してるんだよ……えっろッ! 相変わらずエロ過ぎるわ~、マジでたまんねぇ……」


 善良な彼らしからぬ言動に戸惑う。


「あの、シャーテイン君……どうしてここに?」


「そりゃあ、ここに来ればフィーネを思う存分抱けるって聞いてさ」


(……ああ、そっか)


 シャーテイン君の言葉を聞いて、確信した。


 彼らは亡者なんかじゃない。

 試練が作り出した、幻なんだ。


 シャーテイン君はそんなことを言う人じゃないし、そもそも彼は生きているはずだ。


「なんだ、そっか」


 胸に芽生えかけていた憎しみの感情が、すっと消えていくのを感じた。


「ありがとうシャーテイン君。私、間違えるところだった。やっぱりシャーテイン君は、その……と、友だちだねっ……」


 言えた。

 ずっと伝えたかった言葉。


 本人を前にしたら恥ずかしくて絶対言えないけど、幻相手なら……なんとか言える。


「うがっふッ」


 シャーテイン君の幻が、変な声を出した。


「なんだよフィーネそれ、天使かよぉ~」


 胸を押さえて四つん這いみたいにうずくまっている。


 シャーテイン君は、そんな情けない格好をしない。


 温かい魔力が私に流れ込んでくる。

 それに弾かれるように、司教たちとエコンドの手が離れた。


「くっそぉ、俺なんてまだ触ってもいないのに!」


 シャーテイン君は私のほうに手を伸ばして、焦っているように見えた。


 彼の幻は、いったい何をやっているのだろう。

 思わず笑ってしまう。


 幻になってもシャーテイン君は、私の心を温かくしてくれる。


「どうか、等しく安らかに」


 曇りのない心で、祈った。

 原初の世界に渦巻いている魔力が、私の防護魔法と融合していく。


 ゾウロ司教もチウロ司教も、エコンドも、死んでなお苦しむ必要はない。誰かを苦しめる必要もない。魂はどれも同じだ。みんな等しく大地に還って――。


(また新たな命として、戻ってきてください)


 彼らは亡者ではなく幻なのだろうけど、そう思わずにはいられなかった。


 私を中心に放射状に淡い光が広がる。


 幻たちが、目を見開きながら溶けていく。


「え、俺も!?  え、なに俺成仏しちゃうの!?」


「シャーテイン君の幻さんも、もう消えて大丈夫だよ」


「はぁ!? 幻ってなんのこと? ちょ、ちょっと待ってっ! 俺、フィーネのこと一目見たときから、す――」


 シャーテイン君の幻が、消えていく。


 憎しみに囚われず、憎むべき相手をも等しく慈しむ。それがこの試練の正解なんだ。


 その証拠に、体の内側に膨大な魔力がみなぎっていくのを感じる。


 これが、大聖女の力なんだ。



(アリシア様のところへ帰ろう)


 そう思ったとき、邪悪な魔力を察知した。


「この、魔力は……」


一瞬にして周囲の空間すべてが炎に包まれる。


「フィーネ、見つけた」


 炎の奥から一斉に何かが伸びてきて、私の体に巻きついた。


「いっ、ぐッ……」


 全身を締め付けられて、苦しさに声が漏れる。

 黒いヌメヌメした触手が、何十本も絡みついてくる。


「フィーネ、やっと見つけたぞ。まさかこんなところに、いたとは」


「へい、か……!?」


 声の主は、教会神殿で私を襲った新王陛下だった。

 でもその姿は見る影もなく、おぞましい触手の塊だ。


「今の私は、さぞや異形の姿をしているのだろう。だがこれは、私の欲望が具現化した姿だ。フィーネ、君を追い求める私の姿が……これだ」


「いやっ……陛下、はなして……くださいっ」


「離すものか。禁術に身を堕とし、大陸中を探し求めてやっと君を見つけたのだ。フィーネは永遠に、僕のモノだ」


 絡みついた触手が、薄布の下でうねうねとうごめく。


「陛下、やめっ……て」


「ふふ……君の体温、温もりを感じるぞ」


「いやっ、くっ……ぅぅっ」


 全身を触手が這い回る。


「私は陛下の、思い通りには……ならない」


「無駄だ。私の魔力は原初と融合した。いくら君が聖女の力を高めようと、ここで私に抗うことはできない」


 陛下は邪悪な魔力に支配されてしまった。それが感覚で分かる。


 確かに以前の私だったら為す術もなかっただろう。拒絶して、でも陛下にここで酷いことをされ続けて、長い時間の果てに……憎んでいたかもしれない。


(本当に、シャーテイン君には感謝だ)


「君の心が手に入らないことは、分かっているんだ。だから憎しみでもいい。なんでもいいから、私に心を向けろ」


 陛下の声は切実だった。


 純粋に、私のことを欲しているんだ。


 でも、


「……ごめんなさい。私は、あなたを憎むことはないし、あなたの寂しさを埋めることもできない」


 体から湧き上がる温かい魔力を、一気に解放する。


 全身に絡みついていた触手が一瞬で消え、陛下から発せられていた暗い魔力が温かいものに書き換わっていく。


「そんなっ……フィーネ、この力はいったいなんだ!?」


「さようなら、陛下。ごめんなさい」


「なぜ謝るんだ! 憎めっ、頼むから私を憎んでくれ!」


 陛下の力が消えていく。陛下のドロドロした欲望も、消えていく。


 人は欲望を失うとどうなるのだろう。

 心まで消えてしまうのだろうか。


 それとも、善性だけが残るのだろうか。

 分からない。


 でも、もう会うことはない気がする。

 


 私は、私のために、陛下を忘れることにした。



---



「――フィーネちゃん!」


 うっすら目を開けると、アリシアさんの顔が覗き込んでいた。


 そして後頭部には、極上のすべすべ肌の感触。これは……。


「おはようございます、アリシア様。膝枕、とっても気持ちいいです」


「んがっくッ……ちょっとフィーネちゃん、大聖女になって魅力もアップしてるんだからそういうの勘弁して。キスするわよ」


 相変わらずアリシア様はお母さんみたいだ。明るくてひょうきんで、落ち着く匂いがする。


(このまま、もう一度眠ってしまいたいな)


 思わず口元がゆるみ、温かい太ももに頬をスリスリしてしまう。


「あっ……あんっ、ちょ、ちょっと……フィーネちゃん。ダメよぉ、濡れてきちゃうからぁ……ッ」





 その後、すっかり目が覚めた私は、あらためて大聖女の力を手に入れたことを伝えた。


「フィーネちゃんならやると思っていたけど、まさか初回で突破しちゃうなんてね……規格外すぎるわ」


「私の唯一の、その……と、友だちがっ、助けてくれたんです」


「それはラッキーだったわね。私なんてひたすら性奴隷時代を追体験させられて、たいへんだったわぁ……何度も凌辱された相手のために祈るなんて、普通は無理よね」


 なにも言えない。


 アリシア様はどんな辛い過去を歩んできたんだろう。それを乗り越えて、この人は大聖女になった。


 私なんかより、何倍も立派な人だ。


「あの、私、アリシア様のことを尊敬します」


「おぐぅっ……だ、だめよフィーネちゃんっ、そんな目で見ないでぇ……」



 私はアリシア様に急かされるまま聖女見習いのローブに着替えると、そそくさと泉を後にした。


 聖域を出て、教皇様の馬車に帰還する。


「ふう……サトシ君、早いとこフィーネちゃんを隔離しないとダメね」


「ええ、先触れを出して用意をさせましょう」


「あ、あの……隔離って、私の体、どうかしてしまったのでしょうか?」


 さっきからアリシア様が異常なくらい焦っていて、すごく不安だ。


「ああ、ごめんねぇ。ちょっと大聖女になった副作用というか、しばらくは魅力がダダ漏れなのよ」


「魅力……?」


「そう。大聖女の力が定着するまでは、まあ……なんていうか老若男女問わず人をたかぶらせるフェロモンみたいなものが出てしまうの。ただでさえフィーネちゃんはチート級だったのに、今はもう化け物級よ」


「ば、ばけもの……」


 とにかく、しばらくは人前に出ないほうがいいことは分かった。


「私もさっきからヤバいのよ。タガが外れて押し倒しそうだわ」


「そうですね。私ですら惚れてしまいそうです」


「ちょっとサトシ君、しっかりしてよ! 教皇でしょ!」


 教皇様とアリシア様がすごく動揺している。


 この分だと、エラやマイさんにも会えないのだろう。

 食堂のバイトも、当分は無理な気がする。女将さんに迷惑かけちゃうな……。


「あの、そのフェロモンというのは、おさまるのでしょうか?」


「安心してください。一週間もすれば定着して少しはマシになります。ただ、それでも以前より格段にアップしていますから……周囲は大変ですね」


「私もねぇ、今でも人前に出られないくらいなのよ。フィーネちゃんなんて、どうなっちゃうことやら……。襲われても女神の加護で身を守れるとはいえ、狂っちゃう奴はたくさん出てくるでしょうねぇ」


 確かに、大聖女が人前に姿を現したという話は聞いたことがない。


 ではどうやって人々を助けているのかと聞くと、極秘で聖域を訪れて魔力の流れをメンテナンスしたり、疫病が流行らないように聖都全体へ治癒魔法を掛けたりしているのだとか。


 さすが大聖女、規模が規格外だ。


 そんな大それた存在になってしまった今、ますます私はエルドアに戻れない気がしてきた。

 

「私はもう、故郷の土は踏めないですかね……」


「あ、それについてはね――」


「私からご説明しましょう。今回フィーネさんを大聖女にしたのは、あなたを国に帰すためなのですよ」


「え、帰れるんですか!?」


 驚いて教皇様を見つめると、ビクッと震えて明後日のほうを向いてしまった。


「くっ……私を見てくれたという気配だけで、胸が苦しい」


「サトシ君、もうちょっとの辛抱だからっ、惚れちゃダメ! さあ話を続けて」


「そうですね、ちょっと遠視の術を切ります」


 教皇様が魔力を切り替えたのが分かった。術を切り、視界を断ったようだ。


「これで少しは我慢できますね……では続けます。聖教会は、フィーネさんが大聖女になったことを大々的に公表するつもりです。その上で、堂々とエルドアに凱旋していただきます」


 教皇様が言うには、大聖女が同じ時代に二人生まれるなんてことは前代未聞で、大陸中に私のことが知れ渡ることになるという。


 大聖女には聖教会が全力でバックに付くので、誰もおいそれとは手を出せなくなる。王国教会はもちろん、王家ですら。


 そんな大聖女が住まうエルドアは、領全体が聖域というか、不干渉地域の扱いになるのだという。


 帝国の過激派も手を出しづらくなる。しかも、じきに聖教会との結びつきが強い穏健派が台頭するため当分は戦乱自体がなくなるだろう、とのことだ。


 よかった。


 そういえば王国内の情勢は今、どうなっているのだろうか。


 私も、これでも王国貴族の一員だ。普通に気になる。


「王国では、第一王女――新王の妹君を推す勢力が、最大派閥に躍り出ましたね。じきに新王を排し、王国を掌握するでしょう」


「教皇様、私……試練で新王陛下に……会いました」


「視ていましたよ。彼は強大な魔力を持つがゆえに、禁術に魅せられてしまったようです。そもそもフィーネさんが王都神殿で受けた贄の儀式は、聖女の魔力を吸い上げて、王の力を肥大化させる危険な儀式だったのですよ」


「そう、だったんですか……」


 エラが助けてくれなかったら、今ごろ私は、陛下にすべてを奪われていたのだろう。


「ちなみに王女派閥の筆頭貴族は、フィーネさんの兄君です」


「お義兄にいさまが?」


「フィーネさんを守るため、あなたに執着する新王を排除しようとなさったのでしょう」


 多分、政治的な理由もあるとは思う。でも私を守ろうとしているのも本当だろう。

 昔から、義兄にいさまはそういう人だった。


 血は繋がっていないけど、私のたった一人の大事な家族。


 心の奥が、ほっこりと温かくなる。

 

「妹のためにそこまでするって、ちょっと恐いわね……」


 アリシア様がぼぞっとつぶやく。


 確かに、義兄さまは妹思いが過ぎるかもしれない……とは思う。


(もっと自分の幸せを優先してくれたらいいのに)


 遠いエルドアの地にいる義兄さまに思いを馳せていると、景色の向こうに聖都が見えてきた。


「サトシ君、そろそろ聖都だからね? 着いたら私が発散させてあげようか?」


「けっこうです。百二十年生きてきて、理性の保ち方は心得てますからっ……」


 辛そうな教皇様を、アリシア様が心配そうに見つめていた。


 エラもマイさんも、きっとすごく心配している。

 早く無事を伝えたい。


 午後の陽光にきらめく聖都の街並みは、たった一日離れていただけなのにずいぶん久しぶりに思えた。

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無自覚無防備なTS聖女は今日も誰かを狂わせる 月見白 @tukimi_haku

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