第50話 天才少年の襲来

「……さん、ポックルさん、起きてください……」


 誰かに体を揺すられて、目を覚ました。


 マイ、さん……?


 見れば、白い聖女見習いのローブに身を包んだ美しい少女が、私の顔を覗きこんでいた。

 ほっぺたにはとても柔らかい、胸の弾力。


 あれ、マイさんじゃ……ない?


 ボリュームがちょっと違う。それに髪の色も燃えるような赤だ。


「おはよう、ございます……」

「よかった! 私、聖女見習いのエニーケと言います。ポックルさんですよね? 私何度か裏通りの食堂に行ったことがあって、そこで――」


 可愛い人だなー。それにすごくいい匂いがする。


 あ、これ膝枕かな。

 ふんわり温かくて、こんなに気持ちいいんだ。


「あ、あの、ポックルさん?」


 しまった、つい頬ずりをしてしまった。

 これではアノン君のことをとやかく言えないや。


「えと……失礼しました。はい、ポックルです。ここはどこでしょうか?」


 赤面している場合じゃない、急いで状況を把握しないと。


 私はまた、さらわれたんだ。


「……おそらく帝国領です。私たちは聖女狩りに遭いました」

「聖女狩り……」


 広い円形の牢屋には、他にも五、六人の気配がした。


 すすり泣く声や、励まし合っている声から察するに、同じように連れて来られた聖女見習いたちなのだろう。


「私たちは聖域での修練の後を襲撃されました。ポックルさんも……聖女見習いだったんですね」


 目が慣れてくると、確かにみんな同じローブを着ているのが見えた。


 一方、私は食堂のコックコート姿だ。

 

 慌てて頭に触れてみる。お気に入りだったベレー帽は、攫われたときに落としてしまったらしい。


「……はい、私も聖女見習いです。エニーケさん、ここがどれくらい聖都から離れているか分かりますか?」

「すみません、私たちは聖都から遠く離れた聖域から連れて来られたので、よく分からないんです」


 窓はないかと見回してみるが、それらしきものはない。

 薄暗い空間は、松明の灯りが天井を照らしている以外は光源がなかった。

 

 天井がおそろしく高くて、だだっ広い。

 牢屋というよりは、ドーム状の見世物小屋のように感じた。


 出入口は、鉄格子のはめられた一カ所だけ。

 脱出は、すごく難しそうだ。


 しばらくすると、出入り口に近づいてくる気配があった。


「目覚めたかい、聖女フィーネ」

「ケイジオ……さん」


 鉄格子の外に、肉巻きを頬張るケイジオさんが立っていた。いつもの陽気な調子で、でも申し訳なさそうに眉尻を下げている。


「ごめんなぁ、これも仕事なんだ。聖女フィーネを連れて来いって上がうるさくてさ。こっちも妻子を持つ身でね、許してくれ。あ、肉巻き美味うまいよ、ごちそうさん」


 あまりに力の抜けた様子に緊張が抜けてしまう。


 でも、油断をしてはいけない。


 防護魔法で何重にも守っている私を、やすやすと眠らせるほどの術師だ。おそらく睡眠魔法だろう。

 エルドアを襲ったエコンドのように、帝国でも上の立場に違いない。


「ケイジオさんの……帝国の方たちの目的はなんですか? 聖公国から聖女の力を排除して攻め滅ぼすつもりですか? さらった聖女見習いをどうするつもりなんですか?」


 ケイジオさんをしっかり見据えて、矢継ぎ早に質問する。今はこの人から得られる時間と情報が命綱だ。


 ケイジオさんは「まいったな~」と、頬をぽりぽりとかいた。


「そう警戒しないでくれ。上も悪いようにはしないと言っている」

「信用できません。私はエコンドという人を知っています」


 言いながら周囲の魔力を解析してみる。

 案の定、防護魔法を封じる結界が張られていた。でもこの程度であれば、今の私ならなんとか発動できる。


「ああ、エコンドか……あいつは戦争狂いの戦闘狂だからなぁ。だが聖女フィーネ、聞いてくれ。帝国も一枚岩じゃない。エコンドみたいな過激派もいれば、戦争を止めたい穏健派もいる。俺の上司は穏健派なんだ」

「聖公国を、攻めるつもりはないと?」

「ああ、過激派の連中と一緒にはしないでくれ。聖女を集めているのも、連中とは違う理由だ」

「その理由を聞いても?」

「すまんが、それはまだ言えないんだ。この拠点にも過激派の連中がいくらか紛れ込んでいてな」


 嘘は、ついていないように見える。話も通じそうだ。


 ならば。


「ここにいる聖女見習いたちに、手を出さないと約束できますか?」

「ああ、我が主君に誓うよ。だから安心してくれ」


 話しながら、ケイジオさんに掛けられた睡眠魔法の解析を終えた。

 これで今後は同じ魔法は効かないし、他の人が掛けられても治せる。


「わかりました。ケイジオさんを信じます」

「そうか、ありがとう聖女フィーネ」


 ケイジオさんは苦しそうに笑うと、その場を去っていった。


「……あ、あのっ、ありがとうございます、えっとフィーネさん……いえ、聖女様」


 振り向くと、エニーケさんが手を合わせて涙を浮かべている。

 他の聖女見習いさんたちも、こちらを見て泣いたり安堵の表情を浮かべたりしていた。


「エニーケさん、黙っていてごめんなさい。はい……私はフィーネといいます」

「いえ、そんな、謝らないでくださいっ。フィーネ様のおかげで私たちは助かったのですから」


(私が助けたわけではないし、まだ助かったと言える状況でもないんだけど)


 なんてことを言うわけにもいかず、私も表情を崩してエニーケさんと雑談することにした。


 エニーケさんは今年で十六歳。私の一つ上だ。

 聖公国の辺境の村で、農家の次女として生まれたらしい。


 王国と同じように、聖公国でも聖女見習いになると教会から援助を受けることができるらしい。そのお金で、エニーケさんの実家は冬を越せたそうだ。


 そんな話を聞きながら、私は牢に近づいてくる複数の気配を察知していた。



 ゴンゴン、棒で鉄格子を叩く音が響きわたる。


 エニーケさんや他の聖女見習いさんが、一斉に息をのんだ。


「聖女さんたち~、こんばんわ~」

「うおぉっ、今日はいつにも増して上玉揃いじゃねえか」

「聖女ってほんとハズレないのな」


 兵士の服を着た、三人組。おそらく帝国兵だろう。


 酒に酔っているのか、顔が紅潮している。

 何度も見たことがある、獣のような眼。女を見る眼だ。


 劣情を向けられたことがないのか、エニーケさんが「ひっ」と声を漏らした。


 私はエニーケさんを抱き寄せると、「大丈夫だから」とささやく。


 三人組は牢の鍵を開けると、ずかずかと入ってきた。


「今夜の相手は誰にしよっかな~」

「おい、抱くのは三人までだからな。それ以上は隠すのが難しいんだ」

「相変わらず聖女のローブってエロいよなぁ。悩むわ」


 男たちから逃げるように、聖女見習いさんたちが後ろの壁際へと逃げていく。

 私もエニーケさんを後ろへ逃がすと、その場で立ち上がった。


 三人の男が、私の前で立ち止まる。


「ん?  この娘だけ服装違くね。てか……」

「ああ、こんな上玉、見たことねえわ」

「へへ、なに? 君が一人で相手してくれんの?」


 私は男たちを見据えながら一応聞いてみる。


「ケイジオさんは、このことを知っているんですか?」


 すると、一人がニヤリと口角を上げた。


「あの野郎は外出中だ。叫んでも助けてはくれねーよ」


 なるほど。

 多分この人たちが、ケイジオさんが言っていた「過激派」なんだ。


 なら、容赦はしなくていいはず。


 私は、練っていた魔力を一気に解放した。

 青い半球状の防護魔法が広がり、男たちが一斉に弾かれる。


 しかし――。


「ちぃっ、離れろ!」

「こいつ……!」

「んなろ!」


 男たちは機敏に後ろへ飛び退き、衝撃をいなしていた。


「防護魔法……こいつは聖女フィーネだ! 圧殺するぞ」


 気づけば、一人の手から小さな光球が放たれた。

 光球は私を飛び越え、後ろにいる聖女見習いさんたちに向かっていく。


(危ない!)


 私は防護魔法をもう一つ展開して、彼女たちを守った。


「話には聞いていたが、すげえな。ここまでデカい防護魔法は初めて見たぜ」

「ああ、聖女フィーネ……こんな場所でお目にかかれるとはな」

「休む暇を与えるな。どんどん撃っていくぞ」


 これは、すごくマズい。


 防護魔法のことが相手に筒抜けだ。

 それに、この人たちは相当に強い。


 さっきから防護魔法の間合いの外から、三人が次々に攻撃してくる。

 結果的に私は広範囲に展開し続けるしかない。


 男たちは魔力を節約して小さい光球を撃ってきている。持久戦に持ち込むつもりなのだろう。


 さすがの私も、長時間これを維持することは難しい。


 後ろをちらと見れば、エニーケさんや聖女見習いさんたちは怯えた様子で縮こまっている。

 

(弱気になっちゃだめだ、フィーネ)


 私が、この人たちを守らないと。





 どのくらい時間が経っただろうか。

 三人の攻撃は絶え間なく続いていた。


「まだ、終わらないの……?」


 息が苦しくて、頭が朦朧としてくる。急激な魔力欠乏の症状だ。全身から汗が吹き出し、もう立っているのがやっとだった。


「おい、もう少しだ。畳み掛けるぞ!」

「待て、一気に撃つと外に気付かれる」

「そうは言っても俺らもそろそろ限界だ」


 やっと三人のうち一人が魔力切れになったころ、私はついに膝から崩れ落ちた。


「よし、フィーネを落としたぜ!」

「おい、油断するな」


 そう言った男の手から、小さな光球が放たれ私に直撃した。


「あぐッ……」


 衝撃で体が転がし、エニーケさんたちの中へ突っ込む。


「きゃぁ!」

「いたいっ」


 私と、何人かの聖女見習いさんとが衝突する。見ればそのうちの一人が頭を壁にぶつけて血を流していた。


 私は瞬時に力を振り絞り、聖女見習いさんのケガを治す。


「うっ……」


 その瞬間、私の体から力が抜け落ちた。


(だめだ、意識を保たないとっ……)



「いやあぁー!」


 エニーケさんの悲鳴が響く。


 男たちの一人が彼女の赤髪をつかみ、乱暴に引きずっていた。


(やめて……!)


 叫ぼうとしたが、声を出す力すらない。


「いやぁっ、やめてください……あぅッ、いたいっ!」


 男はエニーケさんを抱き寄せ、ローブの前を開いた。中に着ている衣服へ手を突っ込むんで体をまさぐっている。


「へへ、聖女ってのはほんといい体してるよな。俺はこいつに決めたぜ」

「俺は断然フィーネだ。俺たちほどの使い手が三人がかりで手こずるとはな……しぶとい女はいい」

「可愛さだけでなく魔力も規格外なんだもんな。ざぞ体の具合も規格外なんだろうさ。たっぷり楽しませてくれよ、聖女フィーネ」


 男二人の視線が、私に固定される。


 そのおぞましさに耐えながらもう一人の男を見れば、舌を伸ばしてエニーケさんの頬を舐めていた。


「いやぁ、たすけてっ……」


(はやく、私の体……動いて)


 魔力はほとんど空っぽだ。

 でも、さっきから聖女見習いさんたちが私に掛けている治癒魔法で、手足は動くようになってきた。

 

 私はそっと髪留めを外すと、そこに絞りカスのような魔力を注いだ。


 魔力に反応し、髪留めが鋭利なナイフに変化する。

 エラが、もしものためにと持たせてくれたお守りだ。


(エラ、私がみんなを守るからね)


 ずっとエラに教わってきた護身術を思い出す。


 四つん這いのような体勢から、倒れ込むように地面を蹴った。

 油断した相手への一撃必殺の飛び込みだ。


 狙うは、エニーケさんを捕えている男。


「おっと」


 しかし男は私の不意打ちを軽々避けると、そのまま蹴りを放ってきた。


「がっ……」


 男の足が、脇腹にクリーンヒットする。骨まで響く鈍痛に、そのまま転がるしかできなかった。


「あっぶね~、まさか突っ込んで来るとは」

「お前が油断しすぎだ」

「ははっ、威勢がいい女は好きだぜ」


 別の男が私の髪をつかむ。ブチブチと髪の毛が何本か抜けた。


「残念だったなぁ。その勇気に免じて俺が可愛がってやるよ……たっぷりとな」


 地面に仰向けにされ、腰の上に男がドスンと乗っかる。


「あっ、くぅっ……」


 圧迫感で口から空気が抜けていく。


 男は馬乗りになったまま私のコックコートに手を掛ける。


(いやだっ)


 思いきり左右に引っ張られ、ボタンが弾け飛ぶ。

 コートの下は簡素なアンダーシャツしか着ていない。


「うおぉ……こりゃ、やっべえな……」


 見惚れたような表情になった男が、胸元に手を伸ばしてくる。


「ずいぶんと着やせするタイプなんだなぁ、聖女フィーネ様は」


(くっ……この)


 そのとき、アンダーシャツの下に付けているネックレスが光った。カッとまばゆい光線が走り、男の目に直撃する。


「ぎいぃぃぃあぁぁぁっ!」


 男が目を押さえながら飛び退く。


 このネックレスは、護身用にとマイさんがくれた魔道具だ。

 強引に服を暴かれたり、身の危険が迫ったりしたときに発動する。


 これで三人のうち一人を無力化できた。


「くそがっ、あれほど油断するなと言ったろうに。おい、他にも何か持っているかもしれん、無闇に近づくなよ」

「ちっ、しぶとい女だぜ」


 残るは二人。


 一人は私を睨みながら、ローブや服を暴かれたエニーケさんを盾のようにしている。もう一人も慎重な様子で剣を私に向けていた。


 この人たちは油断しないだろう。


 私のほうといえば、隠し玉はもうない。


 でも、十分だ。

 さっきのネックレスの光が、この建物全体を走り抜けて外へと放たれたはず。


 エラやマイさんはきっと私を探してくれている。

 光を、見つけてくれるはずだ。


(あとは、なんとか時間を稼げれば)

 

 私はゆっくり息を吐き、エラに教わった護身術の型を思い出す。


 腰を落として右手を前に、やや下げた位置に左手を持ってくる。投げ技のフォームだ。


「ほう、この状態でまだ抵抗しようとするのか」

「ほんとに聖女か?」


 男たちが余裕の笑みを浮かべる。それはそうだ。いくら普通の女の子よりすばしっこくても、剣を構え、エニーケさんを人質に取っている男二人にはかないっこない。


 でも。


(私、あきらめないよ……エラ)


 剣を持った男がゆっくり近づいてくる。


互いの距離が数歩まで縮まった、そのとき――。


「おい、何の騒ぎだ!」


 ケイジオさんの大声が響いた。

 牢の入り口に立ち尽くしたまま、私や男たち、そして捕らえられているエニーケさんを順番に見てからスッと目を細めた。


「てめぇら……!」


 ケイジオさんが剣を抜く。


 剣の刃がきらりと光った瞬間、建物が――揺れた。


「えっ?」


 落雷のような轟音が鳴り、立っていられないほどの地響きが襲ってくる。


「なんだ、どうしたってんだ!?」


 ケイジオさんが叫ぶ。男たちも戸惑った様子であたりを見回している。


 バリバリッ、と鋭い音とともに牢の外が光った。


 馴染みのあるこの魔力は。


「師匠、無事ですか!?」

「アノン……!」


 外壁をぶち破り、紫電をまとったアノン君が現れた。


「ちっ、哀れな少年か」


 ケイジオさんの手から水流が湧き上がり、うねりとなってアノン君を襲う。


 しかしアノン君から放たれた電撃が水流を蹴散らし、ケイジオさんを逆に飲み込んでしまった。水流はそのままアノン君の空けた穴から流れ出ていく。


「師匠、もう大丈夫ですよ。帰りましょう」


 魔力枯れと体力の限界で意識が遠のく中、アノン君がゆっくり近づいてくるのが分かった。


「アノン……さすが、私の弟子……」


 私の意識は、そこで途切れた。



***



 アノンは、激烈な殺意をみなぎらせていた。


「お前ら、俺の師匠に……。全員殺してやるよ」


 そこからは一方的な虐殺だった。


 三人の男は一瞬で消し炭となり、それからわずかも経たないうちに、拠点に居た帝国兵は全員灰となった。


 フィーネを愛おしそうに抱きながら戻ってきたアノンの姿に、聖女見習いたちは戦慄する。


「君たちは聖女見習いか。ここから西へ歩くと僕の……ブレイズ領の街に出る。そこで助けを求めるといい」

「あ、あの……フィーネ様は」

「ああ、師匠なら大丈夫。僕がじっくり介抱するから……ね?」


 恐ろしいほど満面の笑顔に、聖女見習いたちは何も言えなくなった。アノンの全身からあふれ出るけた違いの魔力が、彼女たちから言葉を奪う。


 アノンは、フィーネを抱えたまま空に飛び立った。

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