第51話 天才少年の毒牙

 空が白み始めたころ。

 森深くの小屋の前に、アノンは降り立った。


 自分の腕の中で眠っているフィーネを愛おしそうに見つめた後、小屋の扉を開ける。


(あの頃から何も変わってないな)


 二年前、姉を押し倒した小屋。

 その後も、ここで毎日のように姉と逢瀬を繰り返した場所だ。


 しかし姉を魔獣に殺されてからは足が遠のいていた。


 一人用のベッドに、フィーネを優しく寝かせる。


「師匠に遠視の術を掛けておいてよかった」


 キスをした相手の居場所や動向を、遠くから把握することができる秘術だ。

 神職に連なる者にまれに発現する力で、教皇はその使い手とも言われている。


 アノンの場合は、掛けた相手が魔力を発動したときしか視ることができない。

 しかし、救い出すのにはそれで十分だった。


 おまけに帝国軍の策謀をくじくこともできた。


(まさか魔獣をけしかけていたのが帝国軍だったとはね)


 正確には、皇帝――好色王が率いる帝国過激派だ。


 帝国軍の拠点で見つけた資料によれば、魔獣をけしかけて聖公国や王国を疲弊させながら、聖女を攫って国力を削ぎ、いずれは両国とも支配下に置くつもりだったらしい。


 それに対して帝国穏健派は、過激派の聖女狩りを妨害して彼女たちを保護したり、密かに教皇と接触してクーデターの準備をしたりしているようだ。


 見つけた資料は聖女見習いたちに託した。きっと教皇のもとへと渡るだろう。

 教皇が大規模な連合軍を結成して、帝国過激派を駆逐するのも時間の問題だ。


 フィーネを存分に抱き潰したら、連合軍に加担しに行ってもいいかもしれない。


(一応、奴らは姉のかたきだしな)


 静かに寝息を立てている美少女を眺める。

 先日成人を迎えたと言っていたから、今はちょうど姉が死んだときと同じくらいか。


(姉なんて、到底及ばない美貌だけど)


 アノンはゆっくりフィーネの顔を覗き込むと、その可憐な唇を舌でなぞった。


「はぁ……師匠の唇はやっぱり柔らかいな」


 美しく艶やかな蜂蜜色の髪、アーモンドのような魅惑的な目元、少し上気したなめらかな頬、自分の唾液で妖しく潤んだ唇。


(全て僕のものだ)


 そして、この体も。


 アノンは、フィーネの体の内側に目を凝らす。


 彼女の中にある温かい魂に、守護霊のようなものが寄り添っている。これが魅了の術を妨害しているのだろう。


 でも、もういい。


 魅了に堕ちた状態ではなく、意思のあるフィーネを手に入れたい。なぜならその心根こそが、彼女の最大の魅力なのだから。


 フィーネは人に憎しみを抱けない。根本では誰のことも愛おしく思ってしまう娘だ。


 きっとどんなに酷いことをされたとしても、その相手を憎みきることができないだろう。


 聖女に最もふさわしい資質であり、人として……女としては決定的に欠落している部分だ。


 その危うさこそが人を惹き付け、欲情させる。


(僕のように、ね)


 アノンはフィーネの体に手を伸ばした。


 ボタンの外れてしまった厚手のコックコートをゆっくり脱がしていく。簡素なベージュのアンダーシャツは、彼女の豊かなふくらみを抑えきれず胸の形を強調していた。


 ゴクリと生唾を飲み込みながら、アンダーシャツを一気にめくり上げる。

 たゆんと音がするかのように、桃色のブラジャーに包まれた白い胸元が姿を現した。


「はぁ……ゆっくり鑑賞していこうと思ってたのに、そんな余裕ないかも」


 アンダーシャツを彼女の頭から引っこ抜くと、その上半身に見入る。


 夢にまで見た、フィーネの胸だ。

 温泉で覗き見てから、何度も何度も股間を膨らませて夢想した体。


 前世の基準でDカップくらいだろうか。

 アンダーが綺麗にくびれているので、もっとあるかもしれない。十三歳の自分の手のひらでは、少しこぼれてしまうくらいのボリュームだ。


 仰向けに寝ているというのに、整った双乳は垂れることなく上を向いている。


(まだだ、味わうのは師匠が起きてから)


 アノンは己の獣欲に抗いながら、目線をフィーネの下半身に向ける。


 黒いコックズボンに手を掛けると、ぐいっと引っ張って脱がしていった。

 驚くほど白くなめらかで、肉感的な太ももに目を奪われる。そして太ももの付け根の大事な部分を、ピンク色のショーツが守っていた。


(平民が履くような下着なのに、師匠が付けるとこうもエロいんだな)


 危うくしゃぶりつきそうになるところだった。まだ、堪えなければ。


 アノンは呼吸を落ち着かせてから、棚に置いてあった手ぬぐいを取る。

 白い肌をさらした美少女を眺めると、その両腕をつかみ上げてバンザイのような格好にさせる。

 細い手首をそれぞれベッドの端にゆるく縛り付けると、そこでため息をついた。


 これで、体の隅々まで心置きなく堪能できる。


 アノンは手早く全裸になった。この年頃にしては大きめなものが、ビクンビクンと脈打っている。思春期の体が、目の前の美少女を抱きたいと悲鳴を上げている。


 アノンはかたわらのおけに魔力を使ってお湯を注ぎ、余った手ぬぐいを浸した。


 帝国軍の兵士にやられたのだろう。フィーネの体には所々に泥や砂が付着していた。まずは綺麗に拭き取ってあげないと。


「体を清めてあげるね、師匠」


 言葉を掛けると、フィーネの長いまつ毛がピクリと動いた。



---



 体が重い……。


 ここ、どこだろう。


 背中がふかふかだ。ベッド、かな。

 優しい木の匂いもする。


 少し目を開けてみる。


(う、まぶし……)


 陽の光が降り注いでいるのが分かる。


 目の前に、丸太づくりの天井。

 ログハウスのような、小屋。


 知らない、部屋だ。


(んっ……)


 じわりと、温かいものに太ももを撫でられる。


 しっとり濡れてて気持ちいい……けど、くすぐったくて、こそばゆい。


 足下に、誰かいる。

 誰だろう、綺麗な……女の子?


「あ、師匠、起きました?」


 聞き慣れた声に安堵する。アノン君だ。


「アノン……? ここ、は?」


「僕の領地の小屋ですよ」


「捕まってた人、たちは?」


「ああ、聖女見習いたちなら逃したんで安心してください」


「そっか、ありがとね……アノン」


「いえいえ、師匠のためですから」


 よかった。

 エニーケさんたちはみんな無事なんだ。


(んッ……)


 なに?

 さっきから、下のほうがジンジンする……あれ、私……下着姿?


「アノン、これ……」


 どうしよう。私、下着だ……上を着てない。


「あ、僕が脱がしました。汚れを拭きにくいんで」


 アノン君が、私の太ももの付け根を手ぬぐいで拭いている。


(うそ……アノン君も、服着てない)


 思わず目を逸らす。


 恥ずかしい。どうして。

 アノン君が脱がしたの?

 どうしてアノン君も、服を。

 

「えと……んっ、ぁ……やめて、くれない……かな?」


 濡れた布が当てられる感触で、うまく言葉が紡げない。


「なんでですか? あとここを拭いたら最後なんで、ちょっと待っててください」


「あッ……」


 ヘンなところをグイグイと押し当てられ、思わずヘンな声が出る。


「んんっ……ちょ、アノン……やめて」


「やめて? そんなこと言える立場ですか」


 全裸のアノン君が、ベッドに乗ってきた。ギシリと木のしなる音。シーツが沈み込む感覚。聖域の別邸で、チウロ司教に襲われたときと、同じ……。


(い、いやだ)


 アノン君が這い上るように近づいてくる。エコンドや新王陛下、司教貴族たちと同じ目つき。私の体を舐め回すような、背筋が震えるような視線だ。


 瞬間、頭の中で特大の警報が鳴る。


(逃げ、ないとっ……)


 体をよじって起き上がろうとして、両手がベッドに縛られているのに気付く。


(うそっ……これもアノン君が?)


 一気に身の危険を感じ、フルパワーの防護魔法を展開する。


(だめだ、出せない)


「ふふ……焦って逃げようとする師匠も可愛いなぁ。無駄だよ、師匠の魔力は枯渇状態なんだから。復活するまであと3かな。それまで僕と楽しもうよ」


 ニコリと笑ったアノン君が、私の胸元に手を伸ばしてきた。


「うっ」


 アノン君の細い指の感触が伝わってくる。


(やだ、いやだっ……アノン君、どうして)


 強烈な拒否感が体を駆けめぐり、目にじわりと涙が浮かんでしまう。


「やっ……アノンお願い、やめてっ」


「そんな涙目で懇願してさ、男を悦ばせるだけだって分かってる?」


 アノン君が力を強めてくる。ぎゅうっとつかまれる感じがして痛い。

 痛みと、どうしようもない痺れが背中を走り、また涙がこぼれる。


「いたいよ、アノンっ……」


「あぁっ、ごめん師匠。師匠のがよすぎるから、つい興奮しちゃった。もっと優しくしてあげるね」


 すごくいやらしい手つきなのが、肌を通して伝わってくる。触れられるところがくすぐったくて……気持ち悪い。

 体をよじっても、手が離れてくれない。


「やだ……んッ、もう……やめ、て……」


 電流のような刺激で、背中が浮く。


「んぅっ、だめ……お願いっ」


(いやだ、いやだよ……アノン君)


 逃れたくて腕を引っ張ると、縛られた手首に痛みが走る。悲しくて涙が止まらない。


 なのに。


 つらいのに、お腹の下がじんわり痺れて、熱い。


 新王陛下に油を塗られたとき、チウロ司教に媚薬を飲まされたときと同じ、あの感覚。

 悲しくて、切なくて、恥ずかしくて、ジンジンして、どうしようもなくて。


「ねぇ、どうして……んッ、こんな……こと?」


 口が勝手にヘンな声を上げてしまう。こんな声、出したくないのに。


 アノン君が私の胸元から、ギロリと睨んできた。


「……どうしてだって? 師匠ってさ、自分が男を狂わせてるって自覚あんの? 全部師匠のせいなんだよ、それなのにこんな無防備な姿をさらしちゃってさ……」


(これが、私のせい……?)

 

 顔を歪ませた私を見て、アノン君が口角を吊り上げる。


「はぁっ……師匠がなんでも受け入れてくれそうだから……なんでも許してくれるから、男はこうやって調子に乗るんだ」


「そんな、の……知らないよ……」


 いじめっ子みたいなアノン君の視線に耐えられなくて、顔を背ける。


(私のせい、なの?)


 そういえば、いつかマリエッタに忠告されたことがあった。


 ――フィーネ様は思った以上に他人を受け入れてしまうところがあるのです。


 アノン君に告白されたときもそうだ。マイさんにはきっぱり断るように言われたのに、きちんと断りきれなかった。


 ずっと師匠と弟子という関係でいれたらと……友だちが、ほしいと願ってしまったのは……私だ。


(私の、せいなのかな)



 静かになった私を見て、アノン君が「はぁ」とため息をついた。


「ごめん師匠……今度こそちゃんと、気持ちよくさせてあげるからね」


 ギシリと、ベッドがうなる。


「んっ……」


 いやなのに、悲しくて、どうしたらいいのか分からない。


 せめて、私にひどいことをするアノン君を見たくなくて、ギュッと目をつむる。


「師匠、汗がにじんでる」


「うっ……んッ」


 アノン君がさっきから、わざと大げさな音を立てている。私にいやらしい音を聞かせるみたいに。

 

 目を閉じているせいか、アノン君の吐息がはっきり伝わってくる。


 好きなようにさわられ、体中がどんどん熱くなっていく。

 同時に、今まで感じたことのない嫌悪感もふくらんでいった。


(やだ、こんなのやだっ、逃げたい……逃げなきゃ)


 何度も身をよじって、上へ上へと逃げる。

 でもアノン君に足をがっちりつかまれていて、逃げられない。


 いやだ。

 きもちいい。

 助けて……エラ。


「聖女は感度が高いのは知ってたけど、師匠は特別感じやすいみたいだね」


「知ら、ない……よ」


「師匠って処女だよね? まだ開発されていないはずなのに、普通媚薬もなしで、好きでもない相手でこんなに気持ちよくなんてならないんだよ?」


「きもちよくなんて、ない」


 アノン君の言葉が、全部いやだ。もう……聞きたくない。


 うっすら目を開けると、アノン君が恍惚とした笑みを浮かべている。女の子にしか見えない表情で、口元をペロリと舐めた。


 私に馬乗りになったまま、アノン君がどんどんにじり寄ってくる。


(見たくない)


 あまりの生々しさに顔を背ける。


 アノン君は、男の子なんだ。

 

「師匠の初めては、僕がもらうから」


(や……だ、これ以上はっ……いやだ)


 何度も防護魔法を発動する。

 体中の魔力をかき集めて、何度も。


 何度も。


 何度も。



 何も、起きない。


 それでも、アノン君を警戒させるには十分だった。

 本能的に後ずさったみたいだ。


「びっくりしたー。師匠、無駄だって言ってるのに。なんでそんなに……」


「もう、やめて……アノン。こんなことする、アノンは……好きじゃない」


 キッとアノン君を見すえて、声を押し出す。

 その間も繰り返し防護魔法の発動にトライする。


「はぁ? 僕のことが嫌いってこと?」


「もう……嫌いに、なる。私に、さわらないで……」


 その瞬間、アノン君の顔に動揺が走った。


「は……はぁっ!? なにそれ……嫌いって、師匠がそんな……」


 アノン君が覆い被さってきて、唇を近づけてくる。


「やめてっ……!」


 間近に迫った彼を、睨む。


「なに、その目……そんな目、師匠が、するなんて……だめだよっ、優しい師匠が人を、そんなふうに見ちゃ……だめだ。そんな……師匠が、人を嫌いになるはずないのに」


 アノン君の顔がぐにゃりと歪む。今にも泣きそうな表情になり、両手で頭を抱え始める。


「どうして、いつもいつも、姉さんも、師匠もっ……僕の本当に欲しいものは、手に入らないんだよ、くそぉっ……も守れない、俺なんか……」


 カイシャ? 

 ……会社?


 そういえばさっきもアノン君は、サンジカンって……三時間?


 どちらも前世で聞いた言葉だ。

 もしかしてアノン君も、転生者?  しかも……日本人の。


 呆然としていると、アノン君の腕が私の首に伸びてきた。


(え……?)


 ぐっと絞められて、空気が口から漏れる。


「かっ……は……アノ……ン、くる……し」


「どうせ手に入らないんだったら、師匠なんて……」


 アノン君の、目が虚ろだ。


 苦しい。

 頭がぼーっとする。



 私、また死んじゃうのかな。



 視界が白くなってきたとき、パッと手が離された。

 一気に呼吸ができるようになり、思わず咳き込む。


 アノン君が小屋の扉のほうを凝視している。顔に驚愕と怯えの色を浮かべながら。


 そして自分の手のひらを見て、私を見て……一気に青ざめた。


「え……僕、師匠を……え? ごめ……師匠、こんな、つもりじゃ」


 狼狽したアノン君が、ベッドからずり落ちる。


 そのままふらふらとした足取りで、外へ出ていった。





 両腕を縛られたまま、天井を見つめる。


 アノン君は、泣いていた。


「……私が、悪いのかな」


「そんなわけないでしょう」


 美しく澄んだ声が、扉のほうから聞こえた。


 見ると、まばゆい朝陽の中に二つの人影が立っている。

 そのうちの一人が小走りで私のもとまでやってくると、手ぬぐいを解いた。


 聖女見習いのローブに身を包んだ、とんでもなく綺麗な女の人だ。


 艶っぽい紫色の髪を後ろで結んでいる。おでこを出しているせいか、大人っぽい口調とは裏腹に十代後半くらいに見える。

 全てを受け入れてくれそうな微笑みは儚げで、可憐で。


 私は直感で理解した。この人は、聖女様だ。


「女の子を無理やり縛り付けて乱暴するようなヤツが、百パーセント悪いに決まってるの」


 聖女様が、ふんわりと優しく抱きしめてくれた。


 なんでだろう。

 とても安心する匂いだ。まるでお母さんのような。


「これを着てください」


 今度は優しげな男の人の声がして、私に布が掛けられた。聖女様と、同じ服だ。


 男の人は、輝く銀髪をオールバックにした……司教様だった。

 おそらく二十代後半くらいの、若くて清潔感のある人だ。その両目が大きくて白い布で覆われている。


「あなた、は?」


 素直に聞いてみる。

 目隠しをした司教様も、私を抱きしめてくれている聖女様も、信頼できる人だと感覚で分かった。


「私は、聖教会教皇グウィントスです。前世の名はアリタ・サトシ。あなたと同じ、転生者です」



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