第42話 温泉での休息と魔獣の襲来
聖都への旅は順調だった。
道は険しかったけど、アノン君はちゃんと私の歩みに合わせて、ちょくちょく休憩を取ってくれた。
四日の行程を、七日でゆく。
今は、のんびりした旅のほうがいいのかもしれない。
なにより、エラとマイさんがとても楽しそうだから。
「……それで、近づくと人の生命力を奪ってしまう『深淵』という魔獣がいまして、こいつは物理や魔法による攻撃が効かない厄介な奴なんですが、それが最近聖都周辺に出没しているようなんです。トロいんで人の足でも逃げることはできるらしいのですけどね。とても珍しい魔獣で、僕もまだ出くわしたことはないんですよ」
「ほう、ではアノン殿はどのような魔獣を倒してきたのかな?」
「あー私も聞きたい聞きたい!」
相変わらず、エラとマイさんはアノン君と楽しくお話をしている。
うん、いい光景だ。
「――で、師匠ならどうやって対処しますか?」
ぼけーっと三人の後ろ姿を眺めていたら、アノン君が突然振り向いて話を振ってきた。
「え、えと、深淵をドウやって倒すか、カ?」
「違いますよ師匠、話聞いてました? 深淵は倒しようがないんです。今は僕の領地に出現した『土喰らい』って魔獣の話ですよ。僕は体液を蒸発させて殺したんですけど、師匠ならどうするのかなって」
体液を蒸発……なにそれ恐い。
「我ハ、防戦あるのみダ」
「まあ師匠ならそれ以外ないか。治癒と防護以外の能力値、からっきしですもんね」
う、相変わらず容赦ないな……。
アノン君とはあの治癒魔法の訓練以降、かなり打ち解けた……と思う。
毎日二時間くらい治癒魔法を教えているし、そんなやり取りを通して、な……仲間としての絆も深まってきた気がする。
あと、彼の人間性も少しばかり見えてきた。
まず、アノン君はお金に細かい。
立ち寄った集落の雑貨屋で、端数単位で値切っていたのには驚いた。
それとアノン君は風呂好きだ。
温泉が特に好きなのだとか。
あ、そうだ温泉といえば。
「アノン……温泉は、この先の街にアルと言っていたナ?」
「あ、師匠も温泉気になります? そうですよ、この先の山間の街は源泉が湧き出ていて滋養強壮の効果も抜群なんです。気持ちいいですよ、一緒に入ります?」
「イヤ……我は、我のみで入るからイイ」
さすがに混浴は……マズいよね。
正直、前世の自分だったら同い年くらいのアノン君と裸の付き合いとかできたのだろうな、とも思う。そういうのにちょっぴり憧れもある。
でも今の私は女の子なのだ。
というかアノン君、相手が私で良かったけど、「一緒に入ります?」は普通にセクハラなのでは。
いやでも、男の子とはいえアノン君は前世でいうところの小学六年生くらいだから、ギリギリ許されたりするのかな。
まあ、そんなことはさておき。
その温泉の街を越えて、半日ほど歩けばもう聖都だ。
アノン君とは一週間ほどの付き合いだけど……別れるのは寂しいな。
そうだ、師匠として免許皆伝のプレゼントを用意しよう。
なにをもって皆伝なのかは分からないけど、まあ師匠から弟子への「頑張ったで賞」的な粗品だ。
温泉の街なら、それっぽいお土産もありそうだし。
そんなことを考えながら歩くことしばし。
私たちは温泉の街に到着した。
「……温泉の匂いだ」
鼻と口を覆う布越しでも、温泉独特のちょっと硫黄っぽい匂いが漂ってくる。
街全体が石造りで統一されていて、建物も通りも全部石でできていた。
私も、前世では何度か温泉に行ったことがある。
最後の手術が終わって、あと三カ月も生きられないって分かったときだったと思う。
確か……両親が連れて行ってくれたはずだ。
おかしいな、なぜかあんまり覚えていない。
「今日はここに泊まりましょう! 混んでないですし、ここの露天は有名なんですよ!」
アノン君のすすめで、かなり高級そうな宿に泊まることになった。
支配人さんによると、今日はまだ私たち以外にお客さんがいないらしい。
「最近は魔獣がよく出るからねぇ」とボヤいていた。確かに、観光地なのに通りは人が少なく閑散としている。
部屋に向かう廊下を歩いていると、マイさんが魅力的な提案をしてくれた。
「ポックルちゃんは先に温泉を楽しんできたら? その、人がいると入りづらいだろうし。私たちはアノン君と部屋で待ってるからさー」
温泉!
エルドアや王都にはなかった温泉……!
「我は……行ク……温泉に!」
「師匠、行ってらっしゃい。のぼせないように」
「ウム……行って参ル!」
温泉だー! やったー!
重装備だから実際には無理だけど、心はピョンピョン跳ねるような気持ちで温泉へ向かう。
廊下の奥、男湯と女湯、それと混浴の入り口があった。
私は妙な罪悪感を覚えながら女湯へ。
中に入ると簡易な脱衣所があり、そこから外に出てみると一面が柵に囲まれた露天風呂だった。
ゴクリ、と唾を飲み込む。
早く温泉に浸かりたい。
私は脱衣所に引き返し、まずは目深に被ったフードを外した。
「ふぅ……」
これだけでだいぶ解放感がある。
続いて厚手の白いローブを脱ぎ、丁寧に畳んでカゴの中へ。
カシャカシャと鎖帷子を外し、ローブの上に乗せる。体が軽くなったのでうーんと伸びをする。
続いて、下に着ていた白い長袖チュニックのボタンを外していく。
「はぁ……やっぱり汗だくだ」
汗で体中がベトベトしている。ここ最近は宿屋に泊まると真っ先に服を脱いで体を拭くのが日課になっていた。
だけど今日は温泉で汗を流せる……!
はやる気持ちを抑え、チュニックを脱いで畳んで鎖帷子の上に乗せる。
次に茶色いズボンを脱いでカゴに入れ、ブラジャー代わりにしている布を解き、最後にパンツを脱ぐ。
全裸になると体がブルリと震えた。
髪を束ねて頭の上で結び、支配人さんにもらった手ぬぐいを持って外へ。
一歩出ると、もわぁという濃密な湯気が立ち込めていた。
すごい、湯気で遠くが見えない……。
一応目をこらしてみるけど他に人の姿はない。
「ふふ、貸し切りだ」
なんだかテンションが上がってくる。
さっそく桶でかけ湯をし、汲んだお湯を使って洗い場で体を清める。丹念に、体の隅々まで綺麗にしてから、私は立ち上がった。
「……よし」
いざ、湯へ。
「はあ……極楽……」
お湯の中に浸かると、体の芯が温まっていく。ちょっぴり熱いくらいだけど、逆にそれが温泉っぽくていい。
見上げれば、白い湯気の合間に青い空が見えた。山の近くだからか、澄んだ風が木々の香りを運んでくる。
すごく、気持ちがいい。
しばし、ぼやーっとする。
ここまで来るのに、いろいろなことがあった。
酷い目にも遭った。
でも、強くもなった。
アノン君のように、私もみんなを守れる存在になりたい。
――――誰!?
防護魔法の警戒網に、なにかが引っかかった。
気配はすぐに消えたが良くないものだ。
思わず湯に体を埋め、顔だけを出して気配をうかがう。
『魔獣だー! 魔獣が出たぞー! 聖騎士団の応援を呼べー!』
遠くで叫ぶ声がする。
私は急いで湯から上がると、一目散に脱衣所に向かった。
脱衣所を出たところにてっきりエラがいるかと思ったけど、いなかった。
部屋に戻ると、エラとマイさんはアノン君と今後の動きについて話し込んでいる。私も急いでその輪に加わる。
するとアノン君が思い詰めたような顔になった。
「皆さんはここに残っていてください。僕が駆除してきますから」
「我モ――」
「あたしも行く!」
「私もだ」
私が言うよりも早く、マイさんとエラが同行を申し出た。
「皆さん……。分かりました、一緒に行きましょう」
宿の外に出ると、通りは騒々しかった。
建物の中に入って鍵を閉める人、魔獣討伐用の武具を持って警戒に当たる人、対応はさまざまだけど、誰もが顔に緊張を浮かべている。
「広場に向かいましょう。自警団が集まっているはずです」
アノン君の背中を追って広場へと向かう。
そこにはすでに十数人の男の人たちがいた。
アノン君が、忙しなく指示を飛ばしている自警団のリーダーっぽい人に話しかける。
「すみません、私はアノン、旅の術士です。魔獣の討伐経験があります。後ろの三人も実力のある冒険者です。現在の状況と魔獣の特徴を教えてください」
「なっ……ああ、分かった! 助っ人感謝する!」
リーダーさんの話によると、数匹の魔獣が付近の森の中を、この街に向かって一直線に向かって来ているらしい。
広場にある見晴らし台に立つと、確かに森の中を何かがこちらに向かってゆっくり進軍してきていた。
アノン君が私たちに向き直る。
「フィーネさん、エラさん、師匠……お願いがあります。絶対に僕より前に出ないでください。もし僕が負傷しても近づかないで。集中しないと、あの魔獣たちは倒せません。それくらい強敵です」
聖都付近に出没する魔獣は、一定時間街を蹂躙するとなぜか帰っていくのだという。だから住民を安全なところに避難させ、街をある程度破壊させて帰るのを待つというのが自警団の方針だった。
でも今回アノン君は、魔獣を倒すつもりでいる。
「……僕の後ろにいてくれれば、絶対に守りますから」
私たちは、揃ってうなずいた。
しんと静まり返った森を見つめる。
私たちは今、街の外、森のほとりで待機していた。もうすぐここに魔獣たちが現れる。
自警団の何人かが付近の詰め所にいる聖騎士団を呼びに行ったが、多分間に合わないだろう。他の自警団は、住民を遠くへ避難させている。
つまり、魔獣を迎え撃つのは私たち四人だけだ。
どす黒い、魔獣独特の気配が近づいてくる。以前、王都学院の討伐遠征で闘った魔獣のものとは、けた違いの魔力を感じる。
夕闇が濃くなってきた。
森の奥から、木がメキメキと折れる音が響いている。
来る。
するとアノン君が手にまばゆい光を発現させ、前方にかざした。
シュパッ、という音が聞こえたかと思うと、アノン君の手のひらから伸びた光線が森を貫く。
「二匹仕留めましたが、一匹外しました」
すごい。
私には気配くらいしか感じられないほど遠くにいる魔獣を一瞬で。しかも二匹同時だなんて。
「一番厄介な奴を逃したかもしれません、皆さん警戒を!」
私も魔力を内側に溜める。いつでもありったけの防護魔法を展開できるように。
『かー』
カラスの鳴き声が聞こえた気がした。
「後ろです! 狙いはフィーネさんだ、逃げて!」
アノン君の言葉に振り向くと、街で一番高い建物の先端にそれがいた。
真っ黒い羽毛に包まれた鳥のヒナのような魔獣だ。目は紫色に濁っていて、こちらを凝視している。
あれが……森の奥の魔獣。
私はただその異様な姿を見つめることしかできなかった。まばたきも出来ないような刹那の中、その魔獣はゆっくり建物から舞い降りて――。
ガギイイィィイインッ。
硬い物がぶつかり合う音が、すぐそばで響いた。
マイさんがいたはずの場所にいつの間にかアノン君がいて、黒い魔獣のくちばしをナイフで受け止めている。
マイさんはアノン君の足下で尻もちをついていた。
よく見ればアノン君は右腕をダランと下ろし、そこから血がしたたり落ちている。マイさんをかばった拍子に負傷したのだ。
一瞬のことで誰もが動けない中、アノン君の垂れた右腕の先からピカッと閃光が走る。その瞬間、鋭い音と共に光線が魔獣の体を貫いた。
魔獣が体勢を崩すと、アノン君は目にも留まらぬ速さで魔獣を三つに刻んだ。
「まだ、います」
アノン君が森の奥を睨みつける。
少しして、ほっと息を吐いた。
「今日はもう行ったようです」
そして、呆然とへたり込んでいるマイさんに振り向いた。
「フィーネさん、すみませんが治癒魔法を掛けてくれませんか?」
マイさんと私による応急措置を終えると、アノン君は宿に戻るなり高熱を出して寝込んでしまった。
けがは完治している。症状から見て、一気に大出力の魔法を連発したことによる魔力切れだろう。
ぐっすり休めば、明日には完全復活するはずだ。
一度だけ目を覚ましたアノン君は、自分の体を確かめてからマイさんに微笑んだ。
「さすがフィーネさん……あの傷が治ってる。……すみません、格好つかなくて」
「ううん、そんなことないよ」
マイさんが泣き笑いのような顔をして、アノン君の手を握る。
「ハッ」と自嘲気味に笑ってからアノン君はまた眠りについた。
「今晩はあたしがアノン君を看てるよ」
マイさんの言葉に、私とエラは自分たちの部屋に戻った。
防衛拠点のリーダーさんによれば、アノン君の言ったとおり魔獣はもう一匹いるらしい。
――深淵。
旅の道すがらアノン君が言っていた、最悪の魔獣。
物理攻撃も魔法も効かず、相対した人の生命力を奪うという化け物だ。
近いうちに、再度襲ってくる可能性が高いという。
「フィーネ様、我々も避難しましょう。せめてアノン殿が回復するまでは」
「ううん、逃げないよ。ここで迎え撃つ」
「それは無謀です」
エラが私の手を握ってくる。
でもなんとなく、今日のエラは押し通せる気がした。
「魔獣は魔力に引き寄せられる……つまり今、魔獣の狙いは私たちだよね?」
「……おそらくは」
現に、あの黒い魔獣は真っ先にアノン君やマイさんを狙ってきた。私はエラが用意してくれた特注のローブのおかげで魔力を誤魔化せたけど、きっと深淵は私のことも狙ってくる。
「だったらなおさら私たちが避難するわけにはいかないよ。どうせ深淵は私たちを追ってくるかもしれないし、もし街の人の避難場所に合流なんてしたら巻き添えを食っちゃうかもしれない。いくらアノン君でも、街の人を守りながら戦うのは分が悪いでしょ?」
アノン君の名前を出した瞬間、エラの目の色が変わった。
「そう、ですね……アノン殿にこれ以上の負担を強いたくはありません」
「なら結論は一つだよ。私たちがこの街で撃退するしかない」
私はエラの手を握り返した。彼女の目を見つめ、安心させるように微笑む。
「大丈夫だよ。私の防護魔法でアノン君やマイさん、エラのことも守るから」
エラはふぅと諦めたようなため息をついた。
こうなった私をこれ以上説得するのは無理だと分かっているのだろう。
「アノン殿の、力になりたいですね」
エラがもう一度ため息をつく。今度はちょっと雰囲気が違う、アノン君のことを心底心配しているような感じだった。
短い付き合いだけど、エラもすっかりアノン君に仲間意識を抱いたようだ。
「そうだね。とにかく今は早く眠ろう。明日に備えないと」
「はい、フィーネ様」
エラがランプの灯を消す。
私もベッドに潜り込み、暗い天井を見上げた。
黒い魔獣との戦いを思い出す。
私は魔獣の動きもアノン君の動きも、まったく追えなかった。
自分の身だけなら、防護魔法が自動的に攻撃を防いでくれるはずだ。
でも、みんなを守るためには、せめて魔獣を目で追えるようにならないといけない。
「今度アノン君に特訓してもらおうかな」
天井に向かってつぶやく。
「……とにかく今は、戦いに備えないと」
体の内側で魔力を練っていると、私の意識はすぐに眠りの底へ沈んでいった。
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