第40話 天才少年の家庭教師


 ――聖域にて。


 深く、深く瞑想する。


 息を吸って、吐いて。

 体の内側の魔力に集中する。


 はじめよう。


 対防護結界の特性分析完了。

 疑似構築。


 よし、うまくいった。


 次は媚薬だ。


 免疫反転……成功。

 体内の魔力と中和……失敗、失敗、失敗。


 落ち着こう。


 聖域の魔力を取り込んで、媚薬の成分を一つ一つ意識して……失敗、失敗、成功。


 やった。


「――ふぅ」


「フィーネちゃん……できた?」


「はい、成功しました」


 すると、マイさんがギュッと抱きついてきた。


「やったねー、フィーネちゃん!」


 聖域で、最も魔力が充満する場所。

 そこでマイさんと一緒に修練に励んでいた。


 気がつけば、私達の周りを聖女見習いさんたちが取り囲み、真剣な眼差しで見つめている。

 その一人がおずおずと話しかけてきた。


「あの、フィーネさん、なんとも独特というか……変わった修練法ですね?」


「あ、はい、私はこの格好が一番集中できるみたいです」


 私は陽の光が降り注ぐ泉のほとりに、ペタンと座っていた。

 前世で言うところのアヒル座り……女の子座りというやつだ。


 大地との接地面を多く取り、染み出る魔力をお尻……というか股下から吸収し、背すじをピンと伸ばすことで全身に行き渡らせる。


 この露出の多い修練服をまた着るのは抵抗があったし、この座り方だと太ももが付け根まで見えるし、そもそもこの座り方自体が恥ずかしかったけど。


 背に腹は代えられない。


 今編み出したのは、に張られていた防護魔法を封じる結界を、無効化する防護魔法だ。


 体に定着させることで、たとえ寝ていたとしても同様の結界は効かなくなる。


 それと、チウロ司教に飲まされた強力な媚薬への耐性も得た。


 聖域で修練を始めて三日。


 私とマイさんは、結界も媚薬も克服することができた。



「フィーネちゃん、そろそろ帰ろう。エラさんまた心配して……多分入り口に立ってるよ」


「そうですね。戻りましょう」


 そういえば、いつの間にか私の呼び方が「フィーネ様」から「フィーネちゃん」に変わっている。


 フィーネ様よりは他人行儀じゃなくなったけど、ちゃん付けはやっぱり恥ずかしい。


 なんなら呼び捨てのほうがいいのだけど、それはさすがにマイさんが遠慮しそうだ。

 とかなんとか悩んでいたら三日が経ってしまい、この話題を出すタイミングを見失ってしまった。


 まあでも。

 マイさんが私を呼ぶときすごく楽しそうだから、いいかな。





 聖域の入り口に着くと、まだ夕方にもなっていないというのにエラが心配そうな顔で待っていた。


「フィーネ様! お待ちしておりました……」


「エラ、まだ太陽が南の空にいるよ。どうしたの?」


「いえ、ただ心配で……」


 心配性だなあ、とは言えない。

 あの日、エラには「身が引き裂かれるほどの心配」をさせてしまったのだから。


「ありがとう。心配かけてごめんね」


 握られたエラの拳を、私は両手で包んだ。



 あの日、エラは聖域の森に、一筋の光が走るのを見た。


 それは、私があの男達の目くらましに使った祝福の光だった。


 すぐに私の身に何かがあったと察知したエラは、司教貴族たちの部屋に飛び込んだ。しかし部屋はもぬけの殻。


 直感的に彼らが良からぬことをしていると考えたエラは、屋敷の使用人や聖女見習いを全員叩き起こし、怪しげな人を片っ端から縛り上げ、すぐに司教貴族の非道な行いを聞き出した。


 聖女見習いさんに街に詰めている聖騎士団へ救援要請しに行かせ、エラは一人森へ。


 私とマイさんが出てくるのを待ちつつ、なんとか自分も入れないかと聖域の加護を殴り続けていたらしい。


 やがてマイさんに背負われた私を見て、まさに「命を削られる思いをした」という。


 明け方、聖騎士団がやってくるとマイさんは二つの銀の腕輪を渡した。

 マイさんを襲った男達から回収したもので、彼らは腕輪を抜いた瞬間「グシャッと潰れた」ってしまったという……。


 聖域に入れる魔道具だと知ったとき、聖騎士の人たちは目を丸くして驚いていたらしい。


 その後、マイさんは腕輪を付けた聖騎士二人と共に別邸へ行き、痺れて動けないでいるチウロ司教や、他の男達の遺体を回収したんだとか。


 その後、チウロ司教は駐屯地に連れて行かれ、尋問されたらしい。


 でも、何を聞いても意味不明な言動を繰り返し、真相究明にはつながりそうにないという。頭の中がき切れているかもしれない。そんな噂を聞いた。


 ……いずれにせよ、教皇様の賓客を害した罪で処刑されることになる。そうエラが教えてくれた。


 

 私はといえば、あの夜から三日三晩、眠り続けた。


 目が覚めたとき、もしやと思って横を向いたら、エラが死にそうな顔をして椅子に座っていた。


 自分のほうが今にも倒れそうなくせして、エラは私のことをとても心配していた。

 「フィーネ様がお心に深い傷を負ってしまったのではないか」と。


 確かに……あの人たちにされたことは、私に少ながらずのトラウマを植え付けたと思う。


 でもそれよりも、私の心に深く突き刺さっていたのは、悔しさだった。


 マイさんを守れなかった悔しさ。

 そして自分の身を……エラの大事なフィーネを守れなかった不甲斐なさ。


 だから、起きた瞬間からやることは決まっていた。


 それが三日前のことだ。



「――エラ、結界の無効化も会得できたよ。これで先に進める」


 図らずも、いろいろな結界や薬を身をもって経験した私は、とんでもないスピードで防護魔法を向上させていた。


 ゾウロ司教に浴びせられた電撃魔法も、一発くらいなら自動的に防護魔法が弾いてくれるはずだ。


「……そうですか。では旅の支度をいたしましょう」


 エラは、まだ少し疲れた顔をしていたけれど、ニコリと微笑んでくれた。



 旅の支度は、エラがほぼ済ませてくれていた。


 彼女の中ではけっこうな葛藤があったらしいけど、結局、聖騎士団の同行は頼まず女三人のパーティーを維持することになった。


 その代わり、私には特別装備の着用が義務付けられた。


「エラ……さすがにこれはやり過ぎじゃないかな……?」


 本邸の客室で。

 エラの言うとおりに着替えた私は、鏡の前で戸惑っていた。

 

 その姿は言うなれば、全身白づくめの怪しい魔術師だ。


 白い長袖のチュニックに長ズボン。

 その上に、攻撃魔法を弾く効果のある鎖帷子くさりかたびらを装着。

 材質は薄くて軽いけど頭までをすっぽり覆うので、この時点でもう誰だか分からない状態になる。


 さらにその上から、様々な効果(以下略)の付与された、厚手の白いローブを羽織る。かなり大きめのサイズで、体のラインを隠すためなんだとか。

 もちろんフードは目深に被る。


 さらにさらに、顔は鎖帷子の上から布をキュッと巻いて鼻と口を隠す。これでやっと完了だ。


 これはさすがに暑すぎではと思ったけど、ローブに編み込まれた魔道具によって内側は常に快適な温度が保たれていた。


 いったいこんな高スペックな装備をどこで調達したのかと聞くと、没収された司教貴族の財産から、いくらかを謝罪金としてぶん取ったらしい。

 それを全部この装備に注ぎ込んだのだと言う。


 ……エラの心配性がグレードアップしている。


「口調も変えてください」


「ええ!?」


「フィーネ様はその優しいお心も人を引きつけ、虫どもにつけ入る隙を与えてしまうのです。なのでもっと、そうですね……例えば無機質な話し方に変えてください」


「そ、そんな無茶な……」


「フィーネ様」


「わ、分かった……ゾ」


「いいですね。それでいきましょう」



 屋敷の玄関ロビーで待っていたマイさんも、私の姿を見て仰天していた。


「フィ、フィーネちゃん、だよね……?」


「我はフィーネ……でアルゾ」 


「ど、どうしちゃったの!?」


「下等な虫が寄ってこないための緊急措置だ」


 エラが満足そうに胸を張る。


「あー……なんか分かる気がする。あ、だったらフィーネちゃん、人のことを三秒以上見つめないこと! あれすっごく危険だから」


 マ、マイさんまで謎の注文を……? 

 エラもうんうんって同意しているし。


「わ、分かりマシタ」


 まあいいか。


 エラがあれこれ考えて、私にとって最良の選択をしてくれたのだろうし。

 その気持には感謝こそすれ、不満に思ったらバチが当たってしまう。

 きっと、マイさんもそう。


 それにこれはこれで、前世のテレビで見たヒーロー戦隊ものの怪人みたいで、ちょっと楽しい。



「すいませーん、ここに聖女見習いのフィーネさんていう人はいますかー?」


 ん? 

 玄関のほうから女の子に呼ばれたような。


 あれ、玄関が見えない。

 て、あれ……目の前にエラの背中しか見えない。


「誰だ!」


 エラが警戒してる……声が恐い。

 マイさんも短剣を抜いて私のそばに来た。


 私も防護魔法の準備をする。

 

「いやー教皇様からここにいるって聞いてきたんだけど。あ、あなたがフィーネさんですか?」


 エラの背中から、ひょこっと顔を出してみる。


 玄関にいたのはやっぱり女の子……いや、男の子かな?


 肩よりちょっと長いくらいの銀髪が陽の光でキラキラ輝いている。

 瞳は濃いブルーで、顔の造形がおそろしく整っている。

 一見すると美少女……いや美少年、かな。

 身に纏っているのが術士風の外套がいとうだから、性別がいまいち分からない。


 なんとなくだけど、悪い人ではない気がする。


 あ、目が合った。

 あ、興味ないやって感じで目を逸らされた。


「フィーネ様、気をつけてください。あの少年、ただ者ではありません」


 あ……男の子なんだ。


「まいったなー、そう警戒されるとこっちも話ができないや。……ちょっといいですかね?」


 いきなり彼の声が近くなった。


 え!? この距離を一瞬で移動してきた!


 エラの剣が少年の手で封じられている。

 そして視線はマイさんに固定されている。


「あなたがフィーネさんですか?」


 少年がマイさんに向かって聞いた。


 まあ、こんなずんぐりむっくりな姿で「私がフィーネです」なんて言っても誰も信じないか。

 基本マイさんのほうが聖女っぽいし。


「そ、そうだけど!?」


 あ、マイさんが返事した。


 マイさんが一時的に私の振りするってこと? 

 あ、横目でウインクしてきた。うっ……綺麗すぎてドキッとしてしまう。


「あーやっぱり。初めまして、僕はアノン・ブレイズと言います。怪しい者ではありません。聖公国のブレイズ男爵家の三男で、今年で十二になります。教皇様からフィーネさんを護衛するよう言われたんです。はい、これが教皇様からの書状」


(はきはき喋る子だなぁ)


 私が尊敬の眼差しで見つめていると、アノン君はマイさんに書状を手渡しパッと姿を消した。


 と思ったら玄関に彼の姿があった。


 すごい……どういう力を使っているんだろう。


 エラが、手も足も出なかったなんて……。





「――アノン殿、先ほどは剣を抜こうとしてすまなかった。君はなかなかの使い手だな」


 今、私たちは屋敷の応接室でテーブルを囲んでいた。

 聖女見習いさんの淹れてくれた紅茶を私以外の三人がすすっている。


 私は布で鼻と口を覆っているので飲めない。

 飲もうとしたらエラにやんわり止められてしまった。まだ警戒したほうがいいということだろう。


 それにしても私たち、この屋敷でずいぶん我が物顔だけどいいのかな……。


「こちらこそすみませんでした。エラさんもすごいですよ。僕の動き追えていましたよね」


「まあな」


 フフフ……と二人が笑い合う。


 仲良くなるのが早い。

 というかエラがこんなにすぐ人と打ち解けているのが驚きだ。

 いつもならもっと相手を探って、吟味しているのに。


 これもアノン君の十二歳とは思えないコミュ力のなせる業(わざ)なのだろうか。


(私もほしい……コミュ力)


 思わずゴクリと喉が鳴る。


「フィーネさんは確か薄茶色の髪色で、僕とあまり年が変わらないと聞いていたのですが、実際はもっと大人の女性に見えますね。失礼でなければおいくつか伺っても?」


 ア、アノン君、初対面で女性に年を聞くのは失礼なのでは……。

 出会っていきなりそこまで踏み込んでもいいの? コミュニケーションの難易度が高くて分からない……。


「今年で十九だよ。まー噂なんて尾ひれ背びれがついて出回るとも言うし?」


「それもそうですね。ところでフィーネさん、そちらの白づくめの方はどなたでしょう?」


 うぇっ、わ、私!?


 い……いきなり話しかけられて心臓が口から飛び出すかと思った。

 クラスの人気者に急に話を振られたときってこんな感じなんだろうか。


「えーとねー、この子はー……」


 マイさんがチラチラ見てくる。


 名前、を聞かれているのかな。


 名前。

 名前どうしよう。


「わ、我は、コロポックル……だ! ポックルと呼ぶがイイ」


「ポックルさん……ですね。人族ですか? 失礼ですが女性ですよね? その格好は何か事情があるんですか?」


 うう……そんなにたくさんの質問を一度に投げないでホシイ。


「ワ、我は人ダ。一応女性……ダ。えと、事情がアルのダ!」


 よし、全部答えたゾ。


「そ、そうですか。変わった方ですね」


「ポックルちゃんはこう見えて、防護魔法の使い手なんだよー」


「そうですか。ところでフィーネさん、折り入ってお願いがあるのですが、僕に治癒魔法を教えてくださいませんか?」


 あ、私の話さらっと流された。


「え、あたしに?」


「はい。なんでもフィーネさんは、規格外の治癒魔法を使えるとか」


「うん、まあね!」


 なぜかそこでマイさんが胸を張る。


「恥ずかしながら、僕は五系統ほどはマスターしたのですが、治癒方面がダメでして……フィーネさんに教えてもらえれば力強いです。どうか僕の家庭教師になってください。王都に着く道すがらだけでも良いので!」


「ご、五系統!? 全部会得してるの? それだけで大陸でもトップクラスの天才だよ!」


 マイさん、目を見開いてびっくりしてる。


 うん、確かにすごい……。


 普通は炎熱魔法と電撃魔法、みたいに二系統覚えるだけでも至難の業だと言われるのに。


 それを五系統。しかも「使える」じゃなくて「マスターした」って言ってた。

 ちょこちょこつまみ食いみたいな感じで使えるんじゃなくて、それぞれの系統を最大レベルまで会得しているということだ。


 王国でも、そんな人がいるなんて聞いたことない。


「いえ、天才なんかではありません。ずっと努力してきただけです。それに僕は最強になりたいんです。治癒魔法が使えないようでは自分や身近な人を守れません。だから、どうかお願いします!」


 アノン君が思いきり頭を下げる。


 最強になりたい、身近な人を守りたい、か……。


 うん、少し応援したくなっちゃうな。


 ふと、マイさんと目が合う。

 隣にいるエラからも視線を感じる。


 私はコクリとうなずいた。


「うん、いいよー」


 マイさんが答えた。


「本当ですか!? ありがとうございま――」

「その代わり、教えるのはこのポックルちゃん!」


 え、私!?


 あ、まあフィーネだから私……なのか。


 うん、ひと肌脱ぎますか。


「ワ、我に任せヨ」


 うわ……アノン君、露骨に嫌な顔してる……。

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