第39話 【元聖女視点】聖女じゃなくなった日
フィーネちゃん達と川で野宿をした翌朝。
アーセムがパーティーを抜けると告げてきた。
夜通し走ってもフィーネちゃんへの煩悩を断ち切れなかったらしい。
「ここから先は私がおらずとも聖騎士団が厳重に監視しているから安全だ。しかもあのエラ氏は私よりもおそらく強い。不安ならば急ぎ新たな護衛も要請しよう。それから――」
……なんてまくし立てていたけど。
フィーネちゃんといると、どうにかなっちゃいそうだからって顔に書いてあった。
そして驚いたことに、ジャッキーもパーティーを抜けると言い出した。
「……匂いが、ヤバいんだよ」
「に、におい……?」
「ああ、人間のオスを惹き付ける匂いだ。お前らも無意識には感じてるんだろうが、俺には明確に分かっちまう。人族の血も混じってる俺には特に効いちまうんだ……気を抜いたら襲っちまいそうになる」
「そんな、昨日までは平気だったじゃない!?」
「ああ、昨日な……川で野宿したときよ、俺はパトロールに出ただろ?」
ジャッキーが遠い目をする。
「うん、それで?」
「戻ろうとしたらさ、強烈な匂いに頭がヤラれちまって、フラフラとそっちに吸い寄せられたんだ。で、茂みの中から……見ちまったんだよ。俺は夜目が利くからよーく見えちまうんだ。フィーネが、川で……」
「か、川で……?」
ジャッキーの瞳に宿っていたのは、紛れもなく獣だった。
ゾクリと背筋が凍る。
「……とにかく、俺はパーティーを抜ける。あの子のことは守ってやりてぇが、傷つけたくもねぇ」
フィーネちゃん、種族の壁も突破しちゃったよ。
アーセムとジャッキーが抜けてからは、大変だった。
夜に鉱山で爆発事故が起きたのだ。
「治しにいかないと!」
やっぱり彼女はそう言った。
でも、フィーネちゃんが大勢の男達の前に……?
嫌な予感しかしない。エラさんも同じ不安がよぎったのだろう。二人で目を合わせていたらフィーネちゃんが「いきます」って即答してた。
私、何をためらっていたんだろう。
聖女が人を救うかどうかに即答できないなんて。
こうなったら傷ついた人たちを救って、フィーネちゃんも守る。
元聖女の私なら、それができるはずだ。
実際に現場に行ったら、被害は思った以上に甚大だった。
私の治癒魔法でも全員を救うのは無理だ。
そう悲しく非情な決断を下そうとしたら。
「マイさん、一刻を争います。中の人をお願いします」
フィーネちゃんから立ち上る魔力に、腰を抜かしそうになった。
そして彼女が浮かべる優しさに満ちた微笑みにも。
本当に、女神様が現れたのかと思った。
「わ、わかった」
エラさんにフィーネちゃんの護衛を任せ、比較的軽傷な人がいるっていう建物の中に向かう。
元聖女の力でも、救命措置がやっとの人がたくさんいた。
なのにフィーネちゃんがいる外にはもっと重傷な人がいる。その人たちを全員救うと彼女は言っていた。
私も聖女時代、それなりに現場で治癒をしてきたはずなのに。
いったいフィーネちゃんはどれほど多くの現場で、人を癒やし続けてきたのだろう。
それなのに彼女ときたら。
「私も、マイさんみたいになりたいです」
ここが治療現場じゃなかったら、思わず抱きついてしまうところだったよ。
途中、坑夫さんに呼ばれて私は救助現場に向かうことになった。
戻ってくると、フィーネちゃんの姿がなく、探しに行こうとしているエラさんと落ち合った。どうやらはぐれてしまったらしい。
急いで建物の外に出ると、フィーネちゃんが救ったのだろう人たちが鉱山の入り口をぼーっと見ていた。
「女神様……」
「ああ、灰色の女神様だった」
なるほどフィーネちゃんはもう鉱山を出たらしい。しかも顔を隠していたフードも外れているっぽい。
彼女の足跡を追うのは簡単だった。
「すみません、この道をとんでもなく可愛い子が通りませんでしたか?」
「あ、ああ……今、見たこともない天使みたいな子が――」
「ありがとうございます!」
最終的には、惚けた表情で道の先を見ている人たちの視線を追って宿屋にたどり着いた。
急いで中に入ると、酔っぱらいの男達に囲まれているフィーネちゃんを見つけた。
寝ぼけ
許せない。
手の中で、麻痺の術を練る。
大司教さまに教えてもらった攻撃魔法だ。
しかしいつの間にかエラさんが酔っ払い達の中にいて、フィーネちゃんを抱き締めていた。
え、あれ……!?
私が瞬きをする前まで、エラさん私の隣にいたよね。
「今すぐ去れ」
その場にいる全員がすくみ上がるような声。
エラさんのもの凄い殺気で、酔っぱらいは逃げていった。
「マイ殿、その魔法を使ったら彼らを殺してしまいますよ」
エラさんが私に向かって声を掛けてきた。
「あ……ごめん、頭がカッとなっちゃって」
「いや、いいのです。……どうかその力でフィーネ様を守ってください」
初めて、エラさんが私に笑顔を向けてくれた。
……うん、私が絶対にフィーネちゃんを守るよ。
次の日、私たちは司教貴族様の屋敷に招かれ、その足で聖域に向かうことになった。
聖域。
王都にあったものよりも、規模も加護の強さも段違いだった。
これなら、聖女の力を持つ者以外は絶対中に入れない。
心配そうなエラさんに、声をかける。
「エラさん大丈夫だよ。フィーネ様は何があっても私が守るから」
「マイ殿、くれぐれもよろしくお願いします」
聖域に向かうフィーネちゃんを、エラさんは泣きそうな顔で見つめていた。
大丈夫。
絶対に嫌な目には遭わせないから。
宿屋の酔っぱらい達の下卑た視線を思い出す。
そうだ、フィーネちゃんに釘を刺しておかないと。
「フィーネ様、集中するのはいいんだけど、力を使い果たさないように気をつけてね」
「ほどほどにします……」
うーフィーネちゃん、あんまり自覚なさそう。心配だ……。
聖域にある別邸では、聖女見習い達はみんな修練服を着ていた。
懐かしいな。
これ慣れないと一人じゃ着れないんだよね。
案の定、フィーネちゃんはあたふたしていた。
「あーこれ最初はワケわかんないんだよね。手伝ってあげるよー」
「えっと、じゃあお願いします」
うっ……照れてるフィーネちゃんがすごく可愛い。
フィーネちゃんの体は、この世のものとは思えないくらい綺麗だった。
いろんな聖女見習いの子の着替えを手伝ったり、一緒に湯浴みしたりしてきたけど、こんなに美しい体をしている子は初めて見た。
女の子の憧れのような白くきめ細かい肌、くびれた腰、長い足、華奢な体。
それなのにおっぱいは年齢の割に大きくて、布越しでも綺麗な形をしているのが分かった。
大司教さまは私の体が一番好きって言っていたけど、フィーネちゃんの体を前にしたら、きっと前言撤回しちゃうんだろうな。
「マイさんは、これ着たことあるんですか?」
「……昔、何度かね」
大司教さま、これを着た私を抱くの好きだったから。
美味しい夕食でお腹を満たし、寝室に案内された。
あ、フィーネちゃんと一緒の部屋じゃないのか。
恋愛の話とか……してみたかったな。
教会にいたころは、誰ともそんな話できなかったし。
まあ私の恋愛経験とか聞かれても、言葉に詰まってしまうんだけどさ。
「じゃあ、あたしは隣の部屋だから。何かあったら呼んでね」
「はい、お休みなさいマイさん」
「うんうん。あ、そうだこれ」
昔、大司教さまにもらった短剣を渡す。
私のことをずっと守ってくれていた、宝物だ。
「これフィーネちゃん持ってて。護身用の短剣だよ」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあお休み~。……ほいっ」
浄化の術を掛けてあげたら、フィーネちゃんがはにかみながらお礼を言ってきた。
あーもう、その感じも可愛いなぁ……。
ふぁ~あっと。
さっきからあくびが止まらない。
明日はフィーネちゃんと聖女の修練だ。楽しみだな……。
私が聖女の先輩として、いろいろ教えてあげなきゃ。
「――まっ――、マ――さんに――出さないで――」
あれ……。
遠くで、フィーネちゃんの声。
「――まあ我慢しろ、チウロ司教も言っていただろう。あの娘は後で好きなだけ抱ける」
「我慢などできるか。聖女フィーネのあんな姿を見せつけられて、耐えられるわけがない」
「それは分かる、俺ですら――」
近くで、男の人の声もする。
「クソ! ならこっちの聖女で楽しんでやるよ!」
「聖女? 聖女見習いではなく?」
「いや、この女は元聖女だ。王国の教会に認められた正真正銘のな」
「ほんとか!? ああ……聖女フィーネに気を取られていたが、この女もとんでもない美人じゃないか」
「そりゃあ聖女だからな。よかったじゃないか、お前……一度本物の聖女を抱いてみたいと言っていただろう?」
「ああ、今日はツイてる。チウロ司教に感謝だ」
体が、動かない。
まだ、夢の中なのかな。
あ、布団を剥がされた。
さむい。
「うお……めちゃめちゃ胸でかいな」
「ああ、抱きがいがありそうだ」
誰かの……男の人の、手の感触。
ああ、大司教さまかな。
服、そんな乱暴に脱がさないで。
「――な、なあ、俺からヤッてもいいよな、お前は初めから聖女フィーネ狙いなんだろ?」
「ああッ!? 何言ってやがる。あっちでもお預けで、こっちまで我慢しろなんてふざけんな」
「うるさい。この女は俺がもらう」
「あ、おまえ! あークソ……早くしろよ」
「ああ、お前は乳でもしゃぶってろよ」
なんだか、気持ち悪い。
この声、大司教さまじゃ、ない。
じゃあ、この人は、誰?
やだ、助けて。
大司教さま。
ん……ちょっと目が開く。
知らない男の人、だ。
あれ、この人が腰に差してる短剣、確かフィーネちゃんに……。
待って。
さっきのフィーネちゃんの声。
……フィーネちゃんが、危ない。
――麻痺の術。
「はぐぁあっ! ……か、ぁっ……」
「うおっ、びっくりした。……おい、どうした? あがぁっッ……ぐがっ……」
なんとか覚醒できた。
多分、睡眠薬だ。夕食に入れられていた?
「お……まえ、なぜ、起きているっ……」
最初に麻痺の術を浴びせた人、まだ動けるんだ。
後ろの人は……死んでる。
「あたし、催眠魔法が使えるんだ。だから睡眠薬には耐性があるの」
「な……聖女が、攻撃魔法、だと……」
「あたしは、変な聖女だから」
言いながら、あたりを見回す。
他に敵らしき人はいない。
そういえばこの人達、さっきフィーネちゃんの「あんな姿」って言ってた?
彼女に、なにしたの……?
その短剣、返して。
あれ、足下がおぼつかない。
「ま、まてっ、聖女フィーネは無事だ……向こうの部屋で」
「向こうの部屋で?」
「チウロ司教の、相手を――」
――麻痺の術。
男は、動かなくなった。
腰から短剣を引き抜き、シーツを引っ張り上げて体に素早く巻く。修練服を着直している時間はない。
急がなきゃ。
静かに扉を開けて、廊下に出る。
フィーネちゃんの部屋の扉、半分開いてる。
開いた隙間から中を覗く。
そこには、ベッドの上に組み伏せられた彼女がいた。
「フィーネ、やはり君しかいない。帝国に売り渡すなどもってのほかだ。君は私のそばで永遠に――」
体が勝手に動いた。
――麻痺の術。
素早くチウロ司教の背後を取ると、もう一度麻痺の術をぶつける。最大出力で。
「ぐぉっ……だれ、だ」
一度じゃ効かない。この人も強い。
ならもう一度。
――麻痺の術!
よし、落ちた。
「フィーネ様!」
抱きしめたフィーネちゃんは、小刻みに震えていた。修練服が脱げかけている。
フィーネちゃんの口元から、甘い媚薬の香りがする。
この男、フィーネちゃんに…………許さない。
振り向きざまに、もう一度麻痺の術を放った。
「がっ……ぐぁッ……」
殺すつもりで、脳に思いきり叩き込んだ。
生き延びたとしても、この人はもう正気ではいられない。
誰かを守るために人を傷つけ、殺めてしまった。
人を救い、生かすために存在している聖女が。
でも……フィーネちゃんを助けるためなら。
聖女じゃなくなってもいい。
「フィーネ様、怪我はない!?」
もう一度、彼女の状態を確認する。
うん、大丈夫。フィーネちゃんはまだ奪われてはいない。
「マイ……さんは、無事、ですか……?」
こんな状況でも、私の心配するんだね。
フィーネちゃんこそ、本物の聖女様だ。
「大丈夫、向こうの男たちも無力化したから。今はとにかくここから逃げよう。立て……そうもないね、おぶってあげる」
ベッドのシーツを剥がし取り、フィーネちゃんに巻きつける。
媚薬の匂いがこびりついているけどしょうがない、今は一刻も早くエラさんに合流しないと。
「ごめん、今はこれで我慢してね。さ、行こう」
フィーネちゃんを背負う。
軽いな。
こんな可憐な子を大人が寄ってたかって、欲望のままに好き勝手、するなんて……。
「マイさん、助けに行けなくて、ごめんなさい」
それなのに、フィーネちゃんは。
どうしてこの世界は、こんなに理不尽なんだろう。
悔しくて、涙が出てくる。
「フィーネ様は何も悪くない。今は忘れて、もう眠ろう?」
睡眠の術。
これも大司教さまと修練した魔法。
一瞬で、気持ちのいい眠りの世界へ誘うことができる。
眠りに落ちたフィーネちゃんをおぶって、森を走る。
「はぁ、はぁ……」
けっこう、重労働だ。
冒険者になってだいぶ鍛えたと思ったのに。
私は、冒険者としてもまだまだだ。
痛っ――。
裸足だから、足の裏が傷だらけだ。
でも、あの建物に留まっていたら敵の仲間が来るかもしれない。
今はエラさんのところへ。
それが一番、安全な場所だ。
しばらく走ると、チラチラと光が見えてきた。
たくさんの人が、手に魔導灯を持っている。
その中に、エラさんがいた。
「エラさん!」
叫びながら、聖域の外へ出る。
すぐにエラさんが駆けて来た。
「フィーネ様!」
「エラさん、フィーネちゃんは無事」
言いながら草地に倒れ込む。
息、苦しい。
でも状況を伝えなきゃ。
「司教に襲われた。媚薬を飲まされてる。怪我はない。追っ手はいない。穢されて、ない」
必要なことを、全部。
「分かりました。すみません、誰かお湯の準備を!」
エラさんの掛け声に、聖女見習い達がいそいそと動き出す。
エラさんはそのままフィーネちゃんを抱き上げ、屋敷の中へ走っていった。
「はぁ……」
ひとまず安心、かな。
あ、そういえばさっき、どさくさに紛れて「フィーネちゃん」て言っちゃってた。
……この呼び方、許してくれるかな。
「ふぅ……いてて」
ちょっと、魔法を使い過ぎたかも。
それに足腰も。
でも、こんなところで倒れてるわけにもいかない。
大司教さまに、怒られちゃう。
「んしょ」
もうひと踏ん張り、歩こう。
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