第35話 司教貴族(兄)の毒牙

「しっかし上玉っすねぇ~。今までで一番じゃねーっすか? 成人前の小娘とは思えねぇ色気っすよ」


 盗賊風の男が「ヒヒヒ」と笑いながら、手を握ったり閉じたりするジェスチャーをする。背はそこまで高くない。けど腕や足がかなり太く、まさに大男という感じだ。


「チッ、お前は少し黙ってろ。……だがそうだな、聖都で見た大聖女以上の美貌だ」


 ゾウロ司教は本邸で会ったときとは別人みたいだ。不機嫌そうに何度も舌打ちをしている。

 

 まだ、男達は近づいてこない。


 おそらく私が起きているのは想定外だ。しかもバリケードを張り、短剣も持っていて臨戦体制。一応警戒しているのだろう。


 どうするか。


 さっきから防護魔法が発動しない。

 おそらく部屋全体に強力な結界が何重にも張られている。

 体が少しだるいから、さっきの夕食に薬を混ぜられたのかもしれない。


 ここまで用意周到ということは、他にも罠が仕掛けられているのだろう。

 だとすると窓も……。


 くるりと振り向いて窓に走り寄る。

 取っ手をつかんで持ち上げると、拳一つ分ほどしか開かなかった。


「無駄だ、その窓からは逃げられない。大声を出しても無駄だ。音が外に漏れない魔道具を張り巡らせている。まあ、聞こえたところで助けは来ないが」


 チウロ司教が表情を変えずに言う。


「かーわいいお尻フリフリさせちゃってぇ。ムダムダ! フィーネちゃんはこれからオジサンたちに食べられちゃうんだよぉ~」


 盗賊風の男の声が、私の背中に浴びせられる。

 その直接的な言葉に、ゾワリと鳥肌が立つ。


(エラ……)


 いや、だめだ。ここは聖域。エラの助けは望めない。

 この分だとマイさんは薬で眠ったままだろう。


 窓からは逃げられない。

 であれば出口は一つ。


 時間稼ぎをしつつ、隙を見つけて男達の背後の扉から出る。そして隣の部屋に行き、マイさんを起こして逃げる。


 幸いなことに治癒魔法は使えるようだ。であれば薬の成分を分解して目覚めさせられる。


 せめて、マイさんだけでも。


 成功率は低い。

 でもやるしかない。


 左手に握った短剣をギュッと握って男たちに振り向く。

 

「どうやってここまで来たのですか?」


 とりあえず、会話をして相手の気がゆるむ瞬間を待つ。


「あっれ~、フィーネちゃんなに、健気に時間稼ぎかぁ?」


 盗賊風の男がニタニタ笑う。


「チッ、黙ってろと言っているだろうが。せっかくだ、話してお互いの人となりを知ったほうが後々より楽しめる……これだ」


 ゾウロ司教がローブの腕をまくる。そこには無機質なシルバーの腕輪がはめられていた。


「これで俺たちは聖域に入れる。弟が作ったどこにも出回ってない魔道具だ。質問はそれだけか?」


 ゾウロ司教が一歩近づく。

 反射的に私も後ろに下がる。背中が窓に当たり、冷たい感触が広がる。


「教皇様はこのことを知っているのですか? 私たちは正式に招聘された聖女見習いです。そのような相手に……乱暴な行為が許されるのですか?」


 会話を終わらせてはいけない。

 それに聞き出した情報の中に、この状況を打開するヒントがあるかもしれない。


「教皇様は知らないさ。なんせお前たちがここに来ていることも知らないだろうからな」


 使者の聖女見習いさんもグルなのか。

いや、ゾウロ司教が彼女に嘘を吹き込んで命令したのかもしれない。


「ヒヒヒ……教皇様に言いつけられないくらい、恥ずかしいことしてやるから覚悟しろよぉ~」


 盗賊風の男も一歩近づく。


「なにをするつもり、なんですか?」


 聞きたくない。


 でも、この人たちの目的を……情報をできるだけ集めないと。


「帝国には聖女を欲する貴族や王族がたくさんいてな、高く売れるのさ」


 聖女、狩り。


 敵の司令官さんやマイさんが言っていた言葉を思い出す。


 そういえば、特徴のない二人の男はどことなく野宿で襲ってきた帝国の工作員に雰囲気が似ている、気がする。


「私を、売るのですか?」


(いやだ、これ以上聞きたくない)


「ああ、これほどの美貌だ。フフ……お前はさぞかし高値が付けられるだろう。だがその前に俺たちで楽しもうと思ってな」


 ゾウロ司教の下卑た笑いに、嫌悪感が広がる。


「……エラが黙っていません。今ごろ異変を察知してこちらに向かっています」


 そうだったらいいという願望を口にする。

 

 すると今度はチウロ司教が答えた。


「それはないな。彼女は私たちの不在すら知らん。それに腕輪はここにある五つだけだ」


 エラが異変に気づけたとしても、腕輪がなければ聖域には入れない。状況は絶望的だ。


 ただ、侵入者ここにいる五人で全員らしい。マイさんは無事だ。それだけは良かった。


「それで、そのナイフでどうする?」


 さっきからチウロ司教は短剣を警戒しているようだ。


 その警戒心を利用させてもらう。


 私はさっきから練っていた治癒魔法を一気に放出する。

 その瞬間、私の体が光った。


「うおっ」


 盗賊風の男が腕で目元を覆う。


 フルパワーの祝福を凝縮した光線だ。まばゆい光が放射状に幾千にも走り、男たちを直撃する。鎮静効果のあるだけの光だが、目くらましにはなるはず。


 明滅する光の中、男たちが動きを止めている。


(今だ)


 短剣を彼らの足元へ投げつけた。重い。

 でも。


 期待どおり、特徴のない二人の男が短剣から司教たちを守ろうと身を乗り出した。


 このままゾウロ司教の横をすり抜けて外に出るんだ。


小癪こしゃくな」


 走り出した瞬間、全身に激痛が走った。


「あっ、ぐ……」


 体中をナイフで切り付けたような痛み。

 電撃魔法だ。


 足に力が入らなくなり、体制を崩して横の壁に思いきりぶつかった。


(まだ、だ)


 再度走り出そうとするも。


「チッ、無駄だ」


 ゾウロ司教が面倒そうにつぶやく。


 同時にまた激痛が走り、そのまま背中が壁に張り付いたように動けなくなった。


「今のは祝福か? 聞いてはいたがこれほどとはな」


 チウロ司教が興味深そうに言う。その手には私の投げた短剣が握られていた。


「逃げようとしおって、生意気な女だ。少しお仕置きだ」


 忌々しそうにゾウロ司教が言うと。


「あぁっ、ぐっ……ッ」


 さっきよりも鋭い痛みが全身を駆け抜けた。

 壁を背にしたまま、何度も激痛を浴びせられ視界がチカチカする。


「おいおいゾウロさんよぉ、これも光景だが壊しちまったら楽しみも半減しちまうぜ」


 盗賊風の男の声がして、痛みの拷問が止んだ。


 うっすら目を開けて、自分の体を見下ろす。

 

 外傷はない。

 でもずっと呼吸を止めていたせいか、息が苦しい。


 (体内のダメージは……だめだ、痛みの余韻で集中ができない。

  電撃魔法、こんなに痛いなんて)


「チッ、もう逃げようとするなよ。さもないと……」


 いつの間にか目の前まで迫っていたゾウロ司教が、私の肩をつかんだ。


「……っ」


 その瞬間、さっきの激痛を思い出してビクリと震える。


 でも、痛みは襲ってこなかった。


「分かればいい、分かれば。フフッ、フフフフ……もう抵抗できないだろう? フフフ……」


 猫背をさらに丸めながら、ゾウロ司教が私の顔を覗き込んでくる。楽しそうに口角を歪める表情に、背筋が凍る。


「フフ、この美貌……たまらんな」

 

(まだだ、まだ……!)


 私は力を振り絞り、ゾウロ司教の手を逃れるように体を捻った。

 エルドアの屋敷で軍隊長に習った身のこなしだ。


 壁沿いに部屋の出口へと走る。


 しかしドンと背中を押され、私は壁と正面衝突した。

 そのまま体の前面を壁に押し付けられる。


「逃げるなといったろうが」


 グイグイと強い力で背中を押される。

 壁との間で胸が圧迫されて苦しい。

 電撃魔法を浴びせられるのを覚悟する。でも痛みは襲ってこなかった。


「フフッ……威勢のいい女だ」


 左耳に生温かい吐息が吹きかけられる。


 ぞくんと鳥肌が立った。


 ゾウロ司教のその行為が何を意図しているのか。

 男たちが私に――フィーネの体に何をしようとしているのか。

 その醜悪な欲望を理解してしまう。


 思わず悲鳴を発しそうになり、唇を噛み締めた。



---



 ゾウロ司教は、自分の体と壁との間に挟まれるフィーネの感触を味わっていた。


 さっきまでの苛ついた態度が嘘のように、今は愉悦の笑みを浮かべている。


 蜂蜜色の髪に鼻をうずめ、ハフハフと嗅いでみる。まるで香しい花蜜のようで、男を誘う甘い匂いにしばし夢中になる。


「はぁ、もう果ててしまいそうだフィーネ、フフフ……街の宿で寝ている姿を見たときから、ずっとこうしたいと思っていたんだ」


 荒く息を吐いていたゾウロ司教は、「うっ」と唸り声を発して硬直する。


「おいおいゾウロさん、相変わらずはえーな。精力剤なくなっちまうぜ。それとも……そんなにいいんで?」


「チッ、おまえにも後で抱かせてやるから待ってろ」


「へへへ、やったぜ。フィーネちゃ~ん、それまで待っててねぇ~」


「チッ、下品な奴め」


 ゾウロ司教は懐から小瓶を取り出すと、一気に飲み干した。


「フフフフ……続けようかフィーネ」


 わざわざフィーネの耳元でささやいたゾウロ司教は。両肩に掛かっている麻布あさぬのに手を掛けると、ぐいっとずり下ろした。


 たすき掛けにしていた麻布が、一度フィーネの胸で引っかかる。


「くぅッ……」


 フィーネはその行為に声を上げたくなったが、それをするとゾウロ司教をますます悦ばせるだけだろうと、必死にこらえた。


「けっこう辛抱強いじゃないか、それともフフ……もう諦めたか?」


 絶対的優位な立場にあるという愉悦を隠すことなく、ゾウロ司教は笑みを浮かべる。


 ゾウロ司教はフィーネの両肩を自分に引き寄せ、壁から離す。そしてグルリと自分のほうを向かせた。


(いやだ、見るな……!)


 胸が露出しそうになったまま男たちのほうを向かされたフィーネは、咄嗟に胸を両手で隠す。


 しかしゾウロ司教はすかさず彼女の腕をつかむと、力まかせに開いて壁に押し付けた。


「いや、だ……」


 嫌悪感と悔しさに、フィーネの瞳に堪えていた涙が浮かぶ。


 その瞬間、ゾウロ司教がハッと息をのんだ。

 「くっ」と苦しそうな声でうめくと、そのまましゃがみ込む。


「また達しちまったんかぁ。そろそろ交代してもいいんですぜ」

「はぁ、はぁ……チッ、まだだ。くそ、この色香……なんて女だお前は」


 わずかにもたらされた間。


(今の、うちに)


 フィーネは察知されないように、体の内側をゆっくりと治癒魔法で満たしていく。


 電撃による神経と筋組織のダメージを癒やし、後は治しづらい全身の痺れと脱力感が回復するのを待つ。


 この乱暴のために五人ともがフィーネの近くに集まっている。盗賊風の男の拘束さえ解ければ、部屋の出口まで一直線に動線が開くはずだ。


 ゾウロ司教の電撃魔法は脅威だが、なぜか唐突に訪れる彼の脱力の隙を突けば逃げられるかもしれない。


「おい、精力剤を飲むから少し押さえておけ」


 ゾウロ司教が懐から小瓶を取り出しながら、盗賊風の男に指示を出す。


「へへっ、そうこなくっちゃ」


「おい、まだ脱がすなよ。俺がこれからじっくり味わうんだからな」


 ゾウロ司教が苛立った声を上げる。


 舌打ちをして立ち上がろうとしたその体を――――剣が貫いた。


「あがっ……」


 目を驚愕に見開いたまま、ゾウロ司教の体が剣をなぞるように崩れ落ちる。


 フィーネは、目の前でその光景を見ていた。


「そん、な」


(あれは……即死だ)


 目の前で突然命が失われる衝撃に動揺しつつも、治癒師としての冷静な選別眼がゾウロ司教は手遅れであると判断する。


「おいっ、チウロさ――」


 戸惑うしゃがれ声が途切れたかと思うと、フィーネの前方に盗賊風の男の首がコロコロと転がった。


 こちらに手を伸ばしていた大男の体が、ドザリと後ろに倒れ込む。


(この人まで、そんな)


 また一つ、無慈悲に命が刈り取られた。


 命が失われることに対する本能的な悲しみが湧き上がる。

 条件反射的に治癒魔法を発動してしまいそうになるが、どう考えても手遅れだ。


(どうして、チウロ司教が)


 フィーネの視界に映るのは、兄を刺し殺した剣を持って立っているチウロ司教と、盗賊風の男の首を刈った特徴のない男。


 もう一人の特徴のない男も、さっきフィーネが投げつけたマイの短剣を持ち、部屋の出口塞いでいた。


「まったく、兄上はすぐに孕ませてしまいそうだからな」


 チウロ司教が意味不明な言葉をつぶやく。

 その鋭い視線が胸元に注がれた気がして、咄嗟に両腕で隠す。


(考えろ。考えるんだフィーネ)


 今、この場に立っているのはチウロ司教と男が二人。


 防護魔法は……やはり発動しない。

 自分の腕力では、どうひっくり返っても突破できない。


「帝国からは綺麗な体で引き渡せと言われているというのに、電撃魔法で傷つけようとしおって……もっと大事に扱うべきだろう」


 チウロ司教の目的が分からない。

 でも、いきなり襲ってくる様子はない。


(ここは、冷静になるんだ。恐怖に飲まれてはだめだ)


 フィーネは小さく深呼吸をし、まっすぐチウロ司教を見つめた。


「ああっ……やはり君は美しいな、フィーネ」


 チウロ司教の瞳に、初めて光が宿った。

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