第34話 罠 part3

 エラとマイさんと私は、使いの人が用意してくれた馬車に揺られていた。


 山間を抜け、緑の色濃い森が見えてくる。

 どこかエルドアの森を思い出し、心が落ち着く。


 考えてみたら、入国してからもう五日が経つ。

 すごく長かったような、でもあっという間だったような気がする。



 司教貴族のお屋敷は、馬車で半日ほどの場所にあった。

 ちょうど聖都に向かう道すがらで、多くの聖女見習いが修練のために立ち寄る場所らしい。


 広大な森のほとりに馬車が停まる。


 降りると、見事に森と調和したお屋敷に感動した。

 外壁はつたに覆われ、でも緑に埋もれている感じがしない。よく手入れされていることがうかがえた。


 屋敷に入ると、多くの聖女見習いと、わずかながら男性の聖教騎士の姿もある。


 私たちを案内してくれた使いの聖女見習いさんが振り返る。


「申し訳ございません。ここはもう聖域に近い場所ですので、聖女見習い用の服にお召し替えください。お着替えが済みましたら、この地を治める司教貴族様がご挨拶をとのことです」


 聖女見習い専用の更衣室に通され、それぞれの服を手渡される。


 見習い服は他の聖女見習いさんと同じ、白い麻布あさぬのを両肩で留めるタイプだった。前世で言うところの古代ギリシャの女性が着る――確かキトンという名前の衣服にすごく似ている。


 両肩から先は露出しているけど、胸元は麻布が覆っているし、足元もスカート部分がくるぶしまで伸びている。


 少しだけ安心した。

 あの王都の儀式で着せられたような薄布だったら、絶対に断っていただろう。


 スルスルと、隣でマイさんが服を脱ぎ始める。

 エラもローブに着替えるよう言われたらしく、服を脱いでいた。


(あわわっ……)


 思わず目を背ける。


 そう、ここは女子更衣室。


 女の子として生きているのだから当然私が居ていい空間なのだが、すごくソワソワする。というか気まずい。


「フィーネ様、お手伝いしましょうか?」


 すでに見習い服を着込んだエラが、こちらを見ていた。


 彼女の姿に、思わず息をのむ。


 いつも動きやすくて戦闘向きの服を好むエラが、お淑(しと)やかな格好に収まっている。


(に、似合う)


「エラ、よく似合ってる……」


「お戯(たわむ)れを」


 そう言うエラは、ふてくされたように照れていた。


 マイさんは……相変わらず何を着ても綺麗だ。

 聖教会の白いローブ姿も似合っていたけど、見習い服はまさにぴったりという感じで、もう本物の聖女様という感じだった。


 それに、二人とも胸元の存在感がすごい。


 見習い服はダボっとしたデザインなので、胸の形は隠れるはず。

 なのに、二人ともおっぱいの形が分かるほど麻布がこんもりしている。その刺激的なバストは、もはや直視できないほどだった。


「私とマイ殿はあちらを向いていましょうか」


「そうだねー」


 人に見られていると着替えができない娘としてエラに認識されている私は、二人に気を遣われながら、いそいそと見習い服に着替えた。


 更衣室の隅っこで、彼女たちに背を向けて。





「こちらが司教貴族様のお部屋です」


 清潔な執務室に通されると、そこには二人の男性が立っていた。


「あなたがフィーネさんですね。はじめまして、この地を治めるゾウロです」


「弟のチウロです。教皇様より話は伺っております」


 兄のゾウロ司教は少し猫背で、伸びた顎が特徴的だった。肩まである長い金髪が特徴的で、二十代くらいに見える。小柄で猫背なせいか、頭の位置が私と同じくらいの高さだ。


 一方、弟のチウロ司教は細身で背が高く、神経質そうな人だ。短い銀髪が特徴的で、こちらも二十代前半くらいだろうか。


 二人とも頭に四角い帽子を被り、青いローブを着込んでいる。目を細めて温和な表情を浮かべており、こちらを見るともなく見るといった感じで……言ってしまえば私たちに興味がなさそうだった。


 その姿はまさに修行僧か僧侶といった感じだ。


「フィーネ様」


 エラが小さくささやく。


 いけない。

 つい初対面の人をまじまじ見つめるというコミュ症ムーブをかましてしまった。


「お、お招きいただきありがとうございます。教皇様に招聘いただきました、聖女見習いのフィーネと申します」

「同じくマイと申します」

「護衛のエラです」


 私が王国出身であることは、マイさんと教皇様以外には、アーセムさんやジャッキーさんくらいにしか知らされていないという。


 だからこうした場面では、教皇に見込まれた聖女見習いとして自己紹介をする。


「ええ、よくいらっしゃいました」


 ゾウロ司教が窓に顔を向け、森のほうを眺める。


「ただ、せっかく来ていただいて早々に恐縮ですが、まもなく日が沈みます。今のうちに聖域にある別邸に移動されてはいかがでしょう。聖女見習い達が夕食の準備をしているはずです」


 旅を急いでいることが伝わっているのだろう。ありがたい話だった。


「司教様は聖域には来られないのですか?」


 エラが聞いた。

 なんとなく警戒している気がする。


「聖域に入れるのは聖女の力を持った者だけなのです」





 夕暮れが迫る中、私たちは森のほとりに立っていた。


 エラが手を伸ばすと透明の膜のようなものが現れ、そこから先に進むことができなかった。


「聖域の加護はすごいでしょう?」


 付いてきてくれたゾウロ司教も手を伸ばす。エラと同じく透明の膜に阻まれ、先に進めないようだった。



「じゃあエラ、ちょっとお留守番しててね」


「フィーネ様……お気をつけくださいませ」


「周りは聖女見習いさんしかいないんだから、大丈夫だよ。……エラは心配性だなー」


 そう微笑みつつも、異国の地で誰よりも頼りにしているエラと離れるのは心細い。


「エラさん大丈夫だよ。フィーネ様は何があっても私が守るから」


「マイ殿、くれぐれもよろしくお願いします」


 エラの心配そうな視線を背中に受けながら、聖女見習いさんの先導で森へと入る。



 森は静かで、ほのかに明るかった。


 地面がうっすらと青く光り、膨大な魔力が染み出している。


「マイさん、すごく綺麗な場所ですね」


「そうだね、あたしも聖域に来たのは初めてだから感動だよー」


 エラにもこの光景を見せたかったな、と思う。


 奥へ進めば進むほど、治癒の力が濃くなっていくのを感じる。


(これが、聖域)


 ここなら、いつもの倍以上の練度で鍛錬ができそうだ。


「フィーネ様、集中するのはいいんだけど、力を使い果たさないように気をつけてね」


 私の心を読んだようなマイさんの言葉に、ドキリとする。


「ほどほどにします……」



 二十分ほど歩くと、開けた場所が見えてきた。


 深い森にぽっかりと穴が開いたような空間に、先ほどのお屋敷を一回り小さくしたような建物があった。


 地面の青い光と、空からの月明りに照らされたその外観が、とても幻想的だ。


 玄関を入ると、聖女見習いさんが振り返って告げた。


「聖域では、修練用の服にお召し替えください」


「修練用の服?」


 ふと見ると、建物内を歩く聖女見習いさんたちは薄着だった。


 純白の麻布なのは見習い服と同じなのだけど……露出度が高い。


 上は、二枚の麻布が左右から斜めに折り重なっているような感じで、下は丈の短いひらひらのスカートだった。


 多分、私とマイさんも同じものを着なければならないのだろう

 ただ、一応聞く。


「あれを、着るんですか?」


「はい、聖域に滞在中は常にこれを着ます。ああ、上半身には下着を着けないように。聖女の乳房は大地の恵みを蓄(たくわ)えるという話があります。淫靡にならず、かつ恵みを直に吸収できるようにと考えられた服なのです」


 聖女見習いさんが優しげな笑みを浮かべながらまくし立てた。


 さっきお屋敷にいたときより開放的というか、ちょっとはっちゃけている気がする。


「ちなみに恵みのおかげなのか、聖女見習いの乳房はとても甘いんですよ? 聖女は純潔たれと言われますから母乳を味わったことはありませんけど。……あなたたちはもう試しました?」


「い、いえ……」


 これが噂に聞く、男子禁制の女子校ノリというやつなのだろうか。

 マイさんも隣で苦笑いを浮かべている。


(あの服を着るの、ちょっと嫌だな)


 あの神任の儀で着せられた薄布を思い出して、変な汗が滲む。


 まあでも、修練のためだし、そういうルールなら仕方がない。

 ここには聖女見習いさんしかいないし。



「では夕食の準備がありますので、これで」


「はい……」


 私は更衣室で手渡された服を見て、途方に暮れていた。


 修練服は、三枚の麻布と麻紐に分かれていた。


「あーこれ最初はワケわかんないんだよね。手伝ってあげるよー」


 振り返ると、マイさんはもう着替え終わっていた。早い……。


「えっと、じゃあお願いします」


 とても一人で着られる自信はなかった。


 マイさんが気を利かせて後ろを向いてくれたので、私は見習い服を脱いだ。


 次に胸に巻いていた布を外し、パンツ一丁になる。


「脱いだ? そしたら二枚の布をそれぞれ両肩に掛けて」


「あ、はい」


 縦長の布を両肩に被せ、たすき掛けのようにして重ねる。胸元と背中でそれぞれ布でバッテンを作る感じだ。


「そしたらね、残りの布を腰に巻くんだよ」


 スカート用の麻布を腰に巻く。薄いバスタオルを腰に巻き付ける感じだ。丈はけっこう長いかと思ったけど、よく見ると二カ所に深いスリットが入っていて、太ももが大胆に露出するようになっていた。


「巻きました……」


「よしよし。じゃあ結んであげる。ちょっと腰のとこ押さえてて」


 マイさんが麻紐を私の腰に巻き付け、三枚の麻布が合わさったところ、腰のあたりできゅっと結ぶ。


「ほい、できた。フィーネ様ってやっぱり腰の位置高いんだねー」


 鏡を見て、自分の姿を確認する。


 麻布の面積が意外に広く、おっぱいがはみ出さないくらいには覆われていた。でもけっこうたゆんでいて、前かがみになったら胸元が見えてしまうだろう。


 しかも布をたすき掛けにしているだけなので、サイドも緩くて横から見たら脇腹が丸見えだ。おっぱいも……横の部分が少し見えてしまいそうだ。


 スカートもスリットのせいで、歩くたびに太ももが付け根あたりまで露出してスース―する。


 神任の儀で着させられた服に、すごく似ている。


「あ、あの」


「ん、どした?」


「腰のところが、ちょっとゆるくて……」


「あーフィーネ様、腰ほっそいもんねー。うん、ちょっと締めるね」


 マイさんが私の目の前に回り込んできてしゃがむ。


(うわ……)


 腰のところをきゅっと締めてくれるマイさんの胸元。

 こぼれ落ちそうなおっぱいと、深い谷間が見えた。分かってはいたけど、間近で見るとやっぱりすごい。スラリとしたプロポーションとのギャップで破壊力がやばい。


 慌てて目を逸らし、ごまかすように聞く。


「マイさんは、これ着たことあるんですか?」


「……昔、何度かね」


「あ、そうなんですか……」


「ほいできた」


「ありがとうございます」


 なぜだか、それ以上は聞けなかった。





 髪の毛を適当に後ろで結び、食堂へ向かう。


 着てしまえば修練服も着心地はそこまで悪くなく、山菜料理や森で採れた果実に舌鼓を打つころには、すっかり慣れてしまった。


 きっと、周りもみんな同じ格好だからだろう。

 女子高にいくのって、こういう感じなのだろうか。



「お部屋はこちらになります」


 案内されたのは、建物の隣にある客室棟だった。

 二階建てで、修練のために訪れる聖女見習いが泊まる場所なのだとか。


 階段を上がってすぐの部屋が、私の今日の寝床だ。


「じゃあ、あたしは隣の部屋だから。何かあったら呼んでね」


「はい、お休みなさいマイさん」


「うんうん。あ、そうだこれ」


 マイさんが荷物の中からキラリと光る刃物を取り出した。


「えっ?」


「これフィーネちゃん持ってて。護身用の短剣だよ」


「あ、ありがとうございます」


「じゃあお休み~。……ほいっ」


 体が微(かす)かに光り、体のべとつきが消えた気がする。マイさんの浄化の魔法だ。


 もう一度お礼を言うと、マイさんは「ふぁ」と可愛いあくびをしながら部屋に入っていった。


 私も寝室に入る。


 部屋はそこそこ広く、家具はダブルサイズのベッドとテーブルと椅子だけ。

 洋服棚などはなく、鏡台もなかった。明日は起き抜けのメディカルチェックはできないかもしれない。


「ふぁ」


 マイさんと似たようなあくびが出る。


 窓からの月明かりが室内を優しく照らしていた。


 明日はいよいよ聖域での修練だ。今日は早く寝て、明日にそなえよう。


「よしっ!」


 倒れるようにベッドに寝っ転がると、すぐに眠りに落ちた。









 複数の足音が近づいてくる。


 そんな気配がして目が覚めた。


「……誰かが来る」


 月の光の角度から、ベッドに倒れ込んでそう時間は経っていない。


 防護魔法がけたたましく警報を鳴らしている。

 窓の外を見てみると、五つの人影がこの客室棟に入り込むところだった。


 ゾワリ。


 背中に冷たいものが走る。


 まずい。


 侵入者はまっすぐこの部屋に向かっている。そんな気がする。


 複数の足音が、廊下の階段を上りきった。

 今外に出てマイさんの部屋に向かったら、廊下で侵入者たちに出くわしてしまう。


 扉に駆け寄り鍵が掛かっているのを確認する。

 次に部屋のテーブルと椅子を倒して、扉が開かないように引っ掛けた。


 そして、防護魔法を発動する。


『この部屋で間違いないのか?』


 扉の向こうから男の声が聞こえた。


『ああ、この部屋に通したはずだ』


 ガチャガチャ。


『クソ、鍵が掛かってる。開けろ』


 カチャリ。


 ガタンと音がして、開きかけた扉が即席のバリケードに当たる。


『おい、どうなってる。何かに引っかかったぞ』


『力任せにぶち破りやすかい?』


『チッ、壊すなよ』


 ガコン、ガタン。


 テーブルと椅子が衝撃で飛んだ。テーブルは横に転がり、椅子が足元まで飛んでくる。


 じりじりと部屋の真ん中まで後ずさり、窓までの距離を確認する。


 ガチャ、ギィ……。


 扉が開くと、ぞろぞろと五人の男たちが入ってきた。


 ゾウロ司教にチウロ司教、それにニヤニヤと笑みを浮かべた盗賊風の男、二人の特徴のない男。


 五人は目を見開いてこちらを凝視していた。


「ひょ~、たっまんねぇなあ!」


 盗賊風の男が、嫌な感じのイントネーションで言った。


「チッ、眠ってるんじゃなかったのか?」


 ゾウロ司教が、屋敷で会ったときには想像もできないほどギラリとした目つきで、私を睨む。猫背のせいか、獰猛な肉食獣が獲物を狙っているように見えた。


「たまに効かない娘もいるでしょう。それに、そのほうが楽しめる」


 チウロ司教も獲物を捕捉した蛇のような目で、私の頭からつま先まで視線を走らせる。背が高いからか、上から胸元を覗き込まれた気がして、思わず胸を押さえる。


 このままではマズい。


 この人たちの目的は分からない。ただ、その視線に含まれるよこしまな感情は伝わってくる。


(あの人たちと、同じ目)


 敵の司令官さんや新王陛下と、同じ目だ。


 陛下に力づくで口づけをされそうになったときの、あのおぞましい感覚が脳裏に蘇る。


(……いやだ)


 なんとか、しないと。


 私の左手には、マイさんに渡された護身用の短剣が光っている。

 それを握りしめながら、キッと男たちを見据えた。



 まいったな、さっきから何度やっても防護魔法が発動しない。

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