第33話 伝説を作る聖女

 私たちは深夜の商店街を走っていた。


 坑夫のおじさんが「こっちだ!」と声を張り上げて先導する。


 鉱山で爆発事故。


 この世界では鉱山とは、魔道具とかの原材料になる魔石の採掘場を意味する。魔石は大地の魔力を溜め込む性質を持った希少な石だ。


 魔石そのものが爆発することはないけど、ごくたまに……それこそ数十年に一度、坑内で誤って炎熱魔法を使ったりすると、して爆発することがあるという。


 採掘場に近づいていくにつれ、煙の匂いが濃くなっていく。


 前を走るマイさんの白いローブが、立ち上る赤黒い煙でオレンジ色に染まっていた。脳裏に、オレンダイ軍が侵攻してきた時のことがよみがえる。


(一人でも多く、救うんだ)


 私は治癒魔法をフルパワーで掛けられるよう、体内で魔力を練りながら走った。





 案内されたのは採掘場に近い広場。


 そこはまさに戦場だった。


 体が焼けただれた人、体の一部が欠損している人。重傷者だけでもざっと百人以上が地面に寝かされている。


「おお、アンタが流れの聖女さんかい!?」


 坑夫のリーダーっぽい男の人がマイさんに駆け寄ってくる。


「はい、聖女見習いのマイです。状況を教えてください」


 凛とした声が響く。マイさんが深く被ったフード越しに見つめると、リーダーっぽい人が息をのむ。


 私も一瞬見惚れてしまった。いつものフレンドリーで明るい雰囲気とは打って変わり、低い声で問いかけるその姿は、まさに頼れる聖女様といった感じだった。


「あ、ああ……けが人は全部で三百人くらいだ。あそこの建物に運んでたんだが入りきらなくなって外に寝かせてる。今、他にも聖女さんが何人か治療してくれてるんだが、坑道に取り残されてるヤツもいてな、けが人が次から次に運ばれてきてるって感じだ」


 矢継ぎ早に状況を説明したリーダーっぽい人に、マイさんは優しく微笑んだ。


「状況がよく分かりました、ありがとうございます。治療のほうは任せてください」


「おおっ、助かります聖女様……」


「聖女見習いです」


 マイさんの神々しい雰囲気に圧倒されたのか、リーダーっぽい人が祈るように頭を垂れた。


 私も周囲を見回して状況を確認する。


 ここに寝ている人が百人。リーダーっぽい人が言っていた建物――おそらく坑夫たちの詰め所であろう大きな建物の中に二百人。


 他の聖女見習いさんの姿は外には見えない。建物の中で治療にあたっているのだとしたら、そちらのほうにより重傷者がいるのだろうか。

 いや、助からないと判断された人が外に寝かせられている可能性もある。


 私は一歩進み出た。


「あの、症状の重い人は中と外、どちらに運ばれているのですか?」


 するとリーダーっぽい人がハッとした表情で私を見つめ、動かなくなった。


 しまった。

 マイさんと違って私とエラはぼろっちい灰色の外套を被っていて、見るからに怪しい旅人だ。


 思わずフードを外そうとするが、エラの手がそれを止める。

 だから代わりに名乗る。


「私も聖女見習いで、フィーネといいます」


「あ、ああそれは見りゃ分かる、すまねぇ……ちょっとびっくりしちまって。重傷者……手遅れな奴は外に運ばれてる」


「分かりました」


 するとマイさんが、つらそうに私を見つめた。


「フィーネ様、中に行こう。ここの人たちは私の目から見ても手遅れだよ」


 聖女見習いでもサジを投げた患者たち。


 でも、今の私なら。


「マイさん、先に行っててください。私もすぐに追いますから」


「え、フィーネ様、なにを……」


「せめてこの人たちに応急処置だけでも」


「無理だよ、ここの人たちは……それこそ大聖女様くらいでないと」


 マイさんの言いたいことは分かる。

 手遅れな人に治癒魔法を使っても魔力の無駄遣いだ。それなら治る見込みのある人に魔力を使って、一人でも多くの人を助けたほうがいいに決まってる。


 私もそう思う。


 だから、私がみんなを助かる命にする。


 私は体内に練った魔力を思いきり解放した。

 一瞬にして広場が白い光に包まれる。


「マイさん、一刻を争います。中の人をお願いします」


 目を見開いて固まっているマイさんに、「ここは任せろ!」というメッセージを込めて微笑む。


「わ、わかった」


 マイさんの後ろ姿を見届けつつ、私は治癒魔法の出力を上げていく。


 本当は一人ひとりの症状に合わせて、適切な処置をしていきたい。完治させるには直に触れる必要もある。でもそんな悠長なことはしてられない。


 私はまず防護魔法を展開して、広場を半円球の青いドームで覆った。

 次に魔力を薄く伸ばし、寝ている人全員に浸透させていく。


 みんなと、魔力のつながりが完成した。


 そうしてから次々に治癒魔法を流し込んでいく。


 火傷の炎症を抑える治癒魔法。

 欠損したり開いたりした箇所を塞ぐ治癒魔法。

 体内を解毒し、血液中から一酸化炭素や細菌を取り除く治癒魔法。

 その人の魔力に私の魔力を融け込ませ、免疫機能を一時的に増大させる治癒魔法。

 魔力で心臓を動かし、血液循環を助ける治癒魔法。


 どれも荒療治の、応急処置だ。


 でも命は繋げた。

 息を吹き返してくれた人もいる。


「フィーネ様、そろそろ」


 エラが私の肩に触れた。


「ごめんエラ、もうちょっと」


 息を吹き返す人が、増えるかもしれない。


「フィーネ様、これ以上は無駄です。このままではフィーネ様の魔力が空っぽになってしまいます」


 ……そうだね、エラ。


 今の私の力でも、一人残らず救うことはできないみたい。


「うん、ごめん」


 私は防護魔法のドームを消し、魔力のつながりを解いた。


「じゃあ、中に行こう」


 いつの間にか全身に大量の汗をかいていた。少し魔力を使い過ぎたかもしれない。


 でも、まだ頑張れる。


 私はフードを目深に被ったまま、腕まくりをした。



「マイさん、すごい」


 建物の中に入ると、マイさんが陣頭指揮を執っていた。

 他の聖女見習いさんは二人。マイさんは彼女たちにテキパキと指示を出しながら、自分は最も症状の重い患者さんに治癒魔法を掛けている。


「あ、フィーネ様、外は終わったの?」


「はい」


「すご……」


「え?」


「ううん、こっち手伝える?」


「はい、いけます」


 私もマイさんと手分けして、症状の重い患者さんを治して回った。



「ふぅ……ちょっと休もうか」


「そうですね」


 運ばれてくるけが人の波が引いてくる。

 建物内の重傷者はあらかた治した。後は軽傷の人を治しつつ、外の人たちにも今度は一人ひとり治癒魔法を掛けて、多分終わりだ。


 私とマイさんは、けが人が運ばれてくるだろう建物入口を見つめながら佇んでいた。けが人が来たらすぐ動けるように、立ったままで。


「フィーネちゃんの治癒すごいね。びっくりしちゃったよー」


 マイさんの口調がいつもの気さくな感じに戻っている。私も声から少しだけ緊張を抜く。


「マイさんの治癒魔法もすごかったです。それに、なんか頼りになるっていうか……安心感があって」


 実際マイさんの治癒魔法は、他の聖女見習いさんより数倍の威力があった。それに的確でスマートで、すごく場慣れしている感じある。


 私も実地経験はそれなりだと思っていたけど、マイさんのほうが上の気がする。経験を積めば、私も……。


「私も、マイさんみたいになりたいです」


「……フィーネちゃんに言われると嫌味に聞こえないから不思議だよねー」


「え?」


「あ、ごめん。いや私なんてフィーネちゃんに比べたら――」


 その時、建物の入口に坑夫さんが走り込んできた。


「救助現場でけが人が出た、動ける聖女様はいるかっ!?」


「あ、じゃあ私が」


 一歩出ようとすると、先にマイさんが前に出た。


「今行きます」


「おお助かる、こっちだっ!」


 早足で向かおうとするマイさんに声を掛ける。


「あの、マイさん」


「フィーネ様はここをお願いねー」


「でも」


「今はあたしのほうが魔力あるから、任せといてよ」


「う……はい、すみません、よろしくお願いします」


 マイさんはニコっと笑うと、手をひらひらさせて駆けていった。


 魔力がほとんど残っていないこと、バレてる。


(マイさんは、大人だな)


 明るくて、ほんわかしているように見えて、周りがしっかり見えている。

 面倒見がいいというか、面倒を見るのにすごく慣れている気もする。大家族の長女、という感じだ。


 それに比べて私は……自分のことで精いっぱいだ。


「私もしっかりしなきゃ」


 両手で頬をパンと挟む。


 私は残った魔力を振り絞ると、ちょうど運ばれてきたけが人のもとへ走った。





 空が白み始めた頃、最後の一人の治癒が終わった。


 「ふぅ……」


 額の汗を拭う。


 結局、中と外を合わせて四百人くらいの人に治癒魔法を施した。

 助けられる命は、なんとか拾い上げることができたと思う。


 久々に力を使い切った感覚に襲われ、視界が歪む。


(みんなは、どこだろう)


 マイさんは、救助現場のほうに駆り出されていったっけ。


 エラは……そういえば姿が見えない。さっきまで一緒に治療を手伝ってくれていて、食事と着替えを取ってくると言っていたような。


(う……まずい。

 このままだと、眠っちゃいそう)


 さすがに眠気がやばい。魔力欠乏も手伝って、今すぐ倒れてしまいそうだ。


 でもここで眠りこけるのは患者さんの邪魔になってしまう。


 宿に戻ろう……。


 私はふらふらと歩きだした。


「あわっ……」


 外に寝ている患者さんの足につまずき、転びそうになる。


「だ、大丈夫ですかい聖女様っ?」


 寝ていたはずの患者さんが起き上がり、私が地面に倒れる前に支えてくれた。

 これはなんという失態だろうか。けがをしている人に助けてもらうなんて。


「ごめんなさい、けがをしている方に……ご迷惑を」


「なにを言うんですかいっ、俺ら聖女様がいなきゃ今ごろ女神のもとに召されちまってましたわ、こんくれぇ……むしろ聖女様を転倒の危機から救った英雄の気分ですわっ」


 がはは、と笑う坑夫さんは、確か来たときには心臓が止まっていた。


(よかった)


 一人しみじみとしていると、患者さんが私の腕を支えながらプルプルと震えだす。


「俺ぁよ、氷みてぇに冷たくて暗い意識の中で、死を覚悟したんだ。そしたらよ……優しくてあったかい魔力に包まれる感じがして、目が覚めたらアンタが……聖女様が立っててよ。あの温もり、あの光景……俺ぁ一生忘れねぇよ……」


 患者さんの両目から大粒の涙が流れている。

 大きな男の人でも、こんなふうに号泣することがあるのだと少し驚く。


「なあ、お前らもそうだろうっ?」


 患者さんが声を張り上げると、ふいに大勢の視線を感じた。


「おおっ、当たり前だ!」

「俺も一生忘れねぇっ」

「感謝してもしきれねぇよ」

「アンタは俺の女神様だ!」

「ううっ……聖女様……っ」

「ああ……」

「なんて神々しいお姿」

「あの立ち姿、なんて美しいんだ」

「ぜひフードを取ってお顔を……」

「はぁ、はぁ……聖女様、うっ」


 正直、魔力空っぽ状態に眠気が重なって、みんなの声がぐわんぐわんと頭に響いてよく聞き取れない。

 でも思い思いに感謝の言葉を口にしてくれている、気がする。


 嬉しいけど、ちょっぴりこそばゆい。


「あ、えと……」


 なんか一言、を求められている。フードを被っているから足元しか見えないけど、そういう期待の視線を感じる。


 私は空気に押されるがまま、すっくと立ち上がった。


 きっと宴会芸の順番が回ってきたサラリーマンは、こんな気分なのだろう。


「……えっと、皆さんはまだ万全ではないので、しばらくは絶対安静を心がけてください。よく寝て、消化にいいものを食べて……あ、調子が戻ってきたからといって、お酒は絶対にダメです。治りかけに調子に乗るのが一番危険なので」


 ……あとは、伝えるべきことはあったかな。


「くっ……聖女様、どんだけ優しいんだ」

「そこまで、俺たちのこと、気にしてっ……」

「おいお前ら、絶対に聖女様の言いつけを守るぞっ!」

「オオオォッ!」


 患者さんたちがすごく盛り上がり始めた。


 なんか求められている言葉とは違った気がするけど、みんな真剣に聞いてくれるようで何よりだ。


「そうだ、あともう一つ」


 場が一瞬で静まり返る。


「少しして頭痛や吐き気がしたら――」


 そのとき、ぶわっと強い風が吹き抜けた。山間に吹く朝の風だ。


(あ、フードが)


 いつの間にか首元の紐が緩んでいたのか、舞い上がるような向かい風でフードが脱げてしまった。


 一気に視界が広がり、百を超える患者さんたち顔が飛び込んでくる。


 彼らは一様に私を凝視していた。その目は見開かれ、口もポカンと半開きになっている。


(うっ……)


 大勢の視線が体中に突き刺さる。魔力欠乏と眠気にやられている頭が、さらにショートしそうになる。この状況は、重度のコミュ症の私にはツラすぎる。


 さっさと去ろう。


「……頭痛や吐き気がしたら、後遺症の疑いがあるので、お近くの聖女見習いさんに診てもらってくださいね。では失礼します」


 ペコリと頭を下げ、ふらふらとこの場を後にする。


「うおっ、うおおぉぉぉっ!」

「なんだありゃぁ、女神様かっ!? 俺たち死んじまったのか?」

「あんな綺麗な人、俺、初めて……」

「あっ、俺もうやば……うっ」

「ちょっと待て、状況が整理できねぇっ」

「あの笑顔、見たか……?」

「ああ、もっぺん心臓が止まっちまうかと……」

「くそっ、こんな怪我さえなけりゃ追いかけられんのにっ」

「灰色の……女神」

「ああ、今日からあの子が、俺たちの女神様だ」





 私は覚束ない足取りで、早朝の商店街を歩いていた。


 採掘場のほうから「うおおぉぉぉっ」という雄叫びのような声が聞こえた気がしたけど、私はもうそれどころじゃなかった。


(ねむい……もうこの道ばたで、いいかな……?)


 ――フィーネ様、ベッドで寝ないとお行儀悪いですよ。


 ふとマリエッタの声が聞こえた気がした。


 屋敷にいた頃は、よくリビングのソファーや中庭のベンチでうたた寝をして、マリエッタに怒られたっけ。


 マリエッタ。

 屋敷のみんな、今ごろどうしてるかな。


(着いた……私のベッド……)


 宿屋の扉を開け、石畳のロビーを歩く。


 受付カウンターを通り過ぎると、私は誘われるようにロビーのソファーに腰を下ろした。


(ふかふかだ……)


 全身が沈み込んでいく感覚。

 同時にまぶたもゆっくりと閉まっていく。


(あれ、防護魔法が)


 ふと、ロビーに隣接している酒場からいくつかの視線を感じた。防護魔法が警告を発している。


 酒場のほうから男の人たちが歩いてくる。酒瓶を片手に、酔っぱらっているようだ。


「うぉ、近くで見ると――」

「――なぁなぁ、一人なの?」

「俺たちの部屋でさぁ――」


 男の人たちの声が、どんどん遠ざかっていく。


 私はそのまま眠りの底に落ちていった。









「フィーネ様」


 ハッと目を開けると、見慣れたエラの顔があった。


 あたりを見回すと、私たちの部屋のベッドの上だった。


 窓から明るい陽射しが差し込んでいる。角度からして、今はお昼どきのようだ。


(あれ、私確か、ロビーのソファーで)


「ごめん、エラがベッドまで運んでくれたの?」


 するとエラが申し訳なさそうな顔で手を握ってきた。


「私が目を離したせいで申し訳ありません。あの下賤な男どもは私が追い払いました。フィーネ様には指一本触れさせていません」


「え……えっと?」


「今、マイ殿が安全な食事を買いに行っています。本日は部屋でゆっくり休みましょう」


 そう言うと、エラが優しく微笑んだ。


 よかった。

 ついロビーでうたた寝してしまったこと、怒ってないようだ。



 その夜。


 私たちの部屋に、教皇様の使者が訪れた。

 エラの体の隙間からチラリと覗いたその使者は、とても綺麗な聖女見習いさんだった。


「――ご一行様には一度、司教貴族様のお屋敷にお立ち寄りくださいと、教皇様はおっしゃっています」


「司教貴族、ですか?」


 エラが低い声で問う。


「はい、聖女見習いが修練をする『聖域』を代々守っている家です。皆さまも聖域を一度ご覧になってはいかがでしょう」


 聖域。

 聞いたことがある。


 聖公国には、聖女の力を高める聖域という魔力濃度の高いエリアが点在していて、聖女見習いたちは各地の聖域を巡り、修練を積むらしい。


(聖域に行ったら、もっとたくさんの人を救えるようになるのかな)


 もしそうなら願ってもないことだ。



 私たちは次の日、司教貴族のお屋敷へ向かった。

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