第32話 早すぎる離脱
聖公国に入国して三日目。そのお昼どき。
「ひさびさの街だねーっ」
マイさんが嬉しそうな声を上げる。
森の中を川沿いに進むこと半日、森を出た平原の先に、人の行き交う街が見えた。
平原は、見渡す限りの赤茶けた山々に囲まれていて、街はその山と山の谷間にある。
「この街で教皇様の使者と合流するんだよ。フィーネ様、ここまで来ればもう安全だからね」
マイさんが楽しそうに教えてくれた。なんでも、この辺りからは教皇様の力の影響範囲内とかで、他国のスパイや工作員はすぐに見つかってしまうのだとか。
(教皇様って、すごい人なんだな……)
会うことができれば、ぜひその力について聞いてみたい。
街は、人が多くて活気があった。
鉱山で栄えているらしく、商店街には多くの店が立ち並び、そこかしこから美味しそうな匂いが漂ってきている。
「フィーネ様、お魚料理食べよっか?」
「えっ、あ……はい」
釣りがしたいと宣言してから、マイさんの中で私はすっかりお魚食べたい娘として定着してしまったらしい。
私はお魚が食べたいわけ……もあったけど、どちらかというと釣りのほうに興味があった。まあ、緊張感のなさで言ったらどっちもどっちか。
結局今日は釣りができなかった。いつかパーティーのみんなでできるといいな、なんて妄想する。
「いらっしゃいっ!」
定食屋とおぼしきお店に入ると、カウンターから威勢のいい声が飛んできた。
「五人、入れますー?」
「今テーブル用意すっから、ちーと待ってな!」
店員さんたちが動き回り、テーブルを片づけたり料理を運んだりしている。
お昼どきだからかお店は繁盛していて、坑夫っぽいお客さんたちで賑わっていた。
(すごい……街って、こういう感じなんだ)
前世で難病に伏せっていた私は、こういう人の多い場所に行く機会がなかった。
今世では貴族になってしまったので、下町にはほとんど行けていない。お忍びで孤児院や診療所を慰問したときも、寄り道は禁じられていた。
(なんか楽しいな)
熱気が伝わってきて、私まで元気になってくる。
「あ、テーブル空いたみたい。さ、食べよ食べよ」
マイさんに手を引かれる。その拍子に、目深に被っていた
「あわっ」
「フィーネ様」
すかさずエラの手が伸びてきて、私のフードを押さえる。
「ごめん、ありがとエラ」
「お気を付けください。どこに敵がいるかも分かりませんので」
「あれ、でもこの街は安全だって」
するとマイさんが振り向いて、私のフードの紐を結び直した。
「あーごめんフィーネ様、それとこれとは別でね」
「別?」
「……私たち聖女見習いは、いろいろと狙われやすいんだ」
「そう、なんですか」
「それにフィーネ様は特に――」
「マイ殿」
エラが低い声で、マイさんの言葉を制止した。
「あ、うん、そっかそっか、余計に気負わせちゃうもんね」
「ええ、余計なことは言わぬように」
……?
私は特に……貴族、だから気を付けろということだろうか。
でもこの国で私が貴族であることを知っている人なんていないと思うんだけど。
「さあさあ、早く食べよっ、腹ペコだよー」
再びマイさんに手を引かれ、テーブルに座った。
「美味しい……!」
私の目の前には、川魚を焼いて香草を散らしたスープと、この店で一番人気だという鶏の肉団子スープが置かれていた。
やはり私のお腹は魚を欲していたらしく、一口食べるごとに幸せが全身に染み渡っていく。
こうしてサバイバルな旅をしていると、より生きていることの素晴らしさを実感する。それに、旅の仲間と食べる料理がこんなに美味しいということも、初めて知った。
(今日を生きていることに感謝を)
「ごちそうさまです」
私は祈りを捧げながら食事を終えた。
すると、マイさんがオホンと咳払いをする。
「あー……じゃあちょっと大事な発表があります」
居住まいを正したマイさんにつられて、私も背筋を伸ばす。
「アーセムが、ここで離脱することになりました」
「へ?」
つい、素っ頓狂な声を上げてしまう。
アーセムさんが離脱、お別れ?
そんな……。
「あーフィーネ様ごめん、突然のことでビックリだよね」
「あ、あの理由を、聞いてもいいですか?」
アーセムさんを見つめると、「むっ!」と唸って目を伏せてしまった。なんとなく顔全体が紅潮している気がする。
「あ~、アーセムはさ、絶対大丈夫だと思ってたんだけど……」
「大丈夫、とは?」
思わず身を乗り出してしまった自分に驚く。
でもそれほどにショックで、理由を知りたかった。
短い間だったけど、いろんな出来事があって、仲間としての距離が近づいてきたと思っていた矢先だったから。
すごく、寂しい。
「いやさ~……アーセムは異性に興味がな――」
「すまない、聖女フィーネ」
理由を言いにくそうなマイさんを制して、アーセムさんが頭を下げた。
「むっ」以外の言葉を、ひさびさに聞いた気がする。
マイさんが気まずそうに頬をポリポリとかき、アーセムさんは黙ったままうつむいている。
(フィーネのばか)
二人の様子から、何か深い事情があることは明らかだろうに。
アーセムさんの態度から、離脱を申し訳なく思っているのも分かる。
それなのに、寂しいよ~なんて理由で駄々をこねるのはワガママな子どもだ。
仲間なら、こういうときは笑って送り出さないと。
「いえ、私のほうこそここまで守っていただき、本当にありがとうございます」
感謝の気持ちを込め、私も頭を下げた。
下を向いたせいでこぼれそうになる涙を、ぐっとこらえる。
少しして頭を上げると、同じように頭を上げたアーセムさんと目が合った。
笑って送り出すんだ。
「アーセムさん、お元気で。また一緒に旅ができたら嬉しいです」
胸の前で拳を握り、凛々しい笑顔を作る。男の子同士がするような、さっぱりとした別れをイメージしてみた。
少し涙ぐんでいたせいで、泣き笑いのような変顔になっているかもしれない。
「むうぅっ……!」
アーセムさんが胸を押さえ、苦しそうにうなった。
すごくつらそうだ。
私と同じように、別れるのがつらいのだろうか。
「さらばだ」
立ち上がったアーセムさんは、そのまま早足で店を出て行った。
「……アーセムがやられちゃったのも分かるわー」
去っていく巨体を見つめながら、マイさんが呆れたようにつぶやいた。
お会計を済ませて店を出ると、今度はジャッキーさんが深刻そうな顔で立ち止まった。
「俺も、話があるんだけどよ」
マイさんとエラと私で、ジャッキーさんを見つめる。
実は、朝から一言も発しないジャッキーさんの様子が、かなり気になっていた。触れちゃいけないような雰囲気だったから声を掛けなかったけど……。
アーセムさんの離脱があった直後なだけに、嫌な予感がする。
「俺も、このパーティーを抜けることにしたわ」
「ちょっと話そうか〜」
能面のような笑顔を貼り付かせたマイさんが、ジャッキーさんを店の裏手へと引っ張っていく。
私は、彼らが消えていった裏手を見つめたまま動けないでいた。
「フィーネ様……」
エラが心配そうに、私の肩に手を乗せる。
「ん、平気だよ」
旅に別れはつきものだ。冒険小説でもそうだった。
そもそも私を聖都に送り届けたらこのパーティーも解散の予定だった。たまたまそれが予定より早く、二人同時に訪れただけ。
しばらくして戻ってきたマイさんは、くたびれた顔をしていた。
ジャッキーさんもいつもより狼耳が垂れ、髭も心無しかしおれている気がする。
そういう些細な変化に気づけるくらいには、仲良くなっていた。
「あの、ジャッキーさん、理由を聞いても?」
「……すまねぇ、こればっかりは言えねぇんだわ」
「そう、なんですか」
やばい。
今度こそ泣きそうだ。
するとエラがずいっと前に出て、ジャッキーさんを見据えた。
「ジャッキー殿、一つ聞いても?」
「ああ、いいぜ」
「昨晩川べりで野宿した際、あなたは本当に偵察へ行ったのですか?」
「……すまん、お前さんの察しのとおりだ」
「そうですか」
エラはふーっと息を吐くと、納得したようにもう一度ため息をついた。
「俺は荒くれもんだが、獣人としての誇りは持ってる。道理に外れたことはしたくねぇし、お前さんに斬られるのもまっぴらごめんだし、嬢ちゃんを傷つけたくもねぇ」
話が、読めない。
読めないけど、ジャッキーさんのもうここにはいれないという気持ちは伝わってくる。
「なぁに、こっから先は教皇様の目が光ってるし、聖教騎士団の監視も厳しい。帝国の奴らや野盗に襲われるリスクはほぼねぇさ。そこに凄腕の護衛騎士もいるしな」
ジャッキーさんがエラに目配せをする。
どうやら引き留めても無駄みたいだ。
ならアーセムさんと同じように、笑って別れを告げよう。
「ジャッキーさん、短い間でしたがお世話になりました」
「ああ、こちらこそ……すまねぇな」
ジャッキーさんが近づいてきて、私の頭をポンポンと叩く。肉球の柔らかさが気持ちいい。また少し涙が出てうになる。
「手、出してくれや」
「手?」
手のひらを広げると、じゃらりと銅貨を渡された。
「ここの飯代、全員分だ」
「え、でも」
「少ねぇが
ニィッと笑った口元に、鋭い牙がキラリと光る。
(かっこいいな)
ジャッキーさんは、冒険小説で憧れた冒険者そのものだ。義理堅く、仲間思い。
私もここは冒険者らしく、かっこよく別れを告げよう。
「今度、上手な火の起こしかた教えてあげますね」
ニコリと不敵な笑みを浮かべてみる。
「くくっ、言うねぇ」
ジャッキーさんが「達者でな」と手を振りながら去っていく。
ふと隣のエラから、チンと剣を
「一気に寂しくなっちゃたねー」
商店街を歩きながら、マイさんが空を仰いだ。
「はい……寂しいです。アーセムさんだけじゃなく、ジャッキーさんもだなんて」
「あたしもびっくりだよー、性癖だけじゃなく種族の壁も超えちゃうなんて」
「え?」
「マイ殿」
「ああごめんっ! さ、着いたよー!」
マイさんが慌てて立ち止まる。
そこはこの街でもひときわ大きな宿屋だった。四階建てで、豪華な外装に覆われている。宿屋というよりホテルという感じだ。
「ここで教皇様の使者と落ち合うことになってるんだ」
「使者の方は、いつ頃?」
エラがすかさず聞く。
「さあ、二日三日以内だとは思うけど……まあ、それまで宿で待機かな」
「分かりました」
具体的な日時の指定は受けていないらしい。
それもそうだ。今回の旅は不確定要素が多すぎて、待ち合わせ時間ピッタリに落ち合うのは困難だ。
受付を済ませ案内されたのは、ベッドが三つ置かれた広い部屋だった。
本当は男性陣の部屋も用意されるはずだったのだと思うと、少し寂しい気持ちが湧いてくる。
「フィーネ様、慣れない旅でお疲れでしょう。湯を持って参りますので体を拭いたらお休みください」
「うん、ありがとうエラ……そうするね」
エラの言うとおり、なんだか疲れた。
長旅のというよりも突然の別れによる精神的な疲れが大きい。
ぼーっとしながらお湯で体を清め、そのまま倒れ込むようにベッドにダイブした。
「じゃあごめん、お先に……お休みエラ、マイさん」
こういう時はさっさと寝てしまうに限る。
何事も切り替えが大事なのだと、前世でも今世でもたくさん学んだから。
その夜。
騒がしい気配で目が覚めた。
ふと見ると、エラは窓の外を伺っており、マイさんもベッドから身を起こしている。
「エラ?」
「ああ、目が覚めてしまいましたか」
「なんの騒ぎ……?」
なんとなく、窓の外が赤い気がする。
「鉱山で火災事故が起きたみたいですね。けが人が運ばれているのが見えます」
「治しにいかないと!」
咄嗟にマイさんを見ると、マイさんはエラのほうに顔を向けた。
彼女たちの間で、何かためらうような視線が交差する。
そのときドンドンと、部屋の扉が乱暴に叩かれた。
「フィーネ様、隠れて」
エラが音もなく扉に近寄り「なんの用ですか」と問う。
すると焦ったような男の大声が聞こえた。
「すいやせんっ、聖女見習いの方っすよね! 鉱山で爆発が起きて仲間たちがけがを負っちまったんだ、頼むが癒やしてもらっちゃくんねぇか!」
ボロボロの外套を羽織った私とエラはともかく、マイさんは聖教会の白いローブに身を包んでいる。その格好はどこからどう見ても聖女見習いなのだろう。
どこかでマイさんを見かけたか、話を聞いたかして頼ってきたのかもしれない。
エラとマイさんは再び顔を見合わせている。
私は外套をすっぽり被ると、扉に向かって返事をした。
「いきます、案内してください」
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