第31話 川での洗濯

「こりゃあ帝国の諜報員だな」


 ジャッキーさんが縛られた男たちを調べ、結論付けた。


 帝国。


 オレンダイ領主をけしかけ、エルドアを襲わせた隣国だ。

 エルドアから見て、オレンダイ領を挟んで北方にある独裁国家。


「噂の聖女狩りってヤツかな……」


 マイさんがぼそっとつぶやく。


 聖女狩り。

 エコンドもそう言っていた。王国を侵略する際に邪魔となる聖女を王国から消すのだと。


 ゾクリと悪寒が走る。


 エコンドの、あの魔獣のような眼光を思い出して肩が震えた。


「マイ殿」


「あ、ごめん」


 エラがマイさんを睨んだ。


「エラ、私なら大丈夫だよ」


 もう、自分で身を守れるから。


 そう視線に込めてエラを見つめる。


 エラは心配そうに私を見ていたけど、ふっとため息をついて森のほうを向いてしまった。


「マイさん、聖女狩り……について詳しく教えてください」


 私はマイさんを見つめた。


 なんとなくだけど、新王陛下や大司教さまが私を狙っている理由も、そこにある気がする。


「ああうん……あたしもよくは知らないんだけどね、なんか帝国のあたりって強い魔獣が出る割に聖女が生まれにくい土地なんだって。だから他の国から聖女を誘拐しているって噂があるんだ」


 それは、初めて聞く話だ。


 エコンドの言っていた話とは違う。聖女狩りには、いろいろな目的があるのだろうか。


「それにこれも噂なんだけどね、なんでも帝国の好色帝って人が聖女をせいど――」


「マイ殿!」


 さっきより強い口調でエラが遮った。その有無を言わさぬ形相に、マイさんも私も固まる。


「あーごめんっ、あくまで噂だから鵜呑みにしないで!」


 マイさんが焦ったように両手をアワアワさせている。


 せいど。

 セイド? ……ってなんだろう。


 思考を巡らせようとしたとき、エラがパンッと両手を合わせた。


「増援が来る可能性が高い。この男たちは放置して退散しましょう。フィーネ様を狙った罰を刻みたいところですが、今は安全が第一です」


「だな、コイツら……明らかに俺達を特定して狙ってきたしな」


 ジャッキーさんが気絶している男の一人を蹴る。


「私達の身元は完全にバレていると見ていいでしょう。フィーネ様、ここで馬車を捨てます。皆もローブを脱いでください」


 アーセムさんやジャッキーさん、マイさんが羽織っていた白い聖教会のローブを脱ぎ、受け取ったエラが松明の火で燃やす。


 さらに今度は馬車から最低限の荷物をピックアップすると、車輪を四つとも外して壊した。エラ、すごい手際だ。きっとこういう逃亡劇になることも想定していたのだろう。


「これで少しは時間稼ぎになればいいですが……。フィーネ様、申し訳ございません。ここからは冒険者パーティーを装うことになります。かなり不自由な思いをさせてしまうかもしれませんが――」


 ぼ、冒険者……!


 ごくりと唾を飲み込む。


 転生する前から秘かに憧れていた、冒険者。

 前世でも今世でも叶うわけがないと諦め、冒険小説を読みながら空想に浸るだけだった存在に。


 胸がドキドキと高鳴りだす。体中にドクドクと血が巡り出す。


(だめだ、落ち着けフィーネ)


 小説とは、違うんだ。


 現実はそう甘くないのを私は知っている。


 実際の冒険者の生活は、めくるめく冒険の日々なんて楽しいことばかりではないはずだ。


 質の良い睡眠やバランスの取れた食事など望めないだろうし、野盗や魔獣の脅威、仲間内での色々なストレスもあるだろう。


 ……それに、今は帝国にも狙われているという緊迫した状況だ。私が一番、気を引き締めないと。


 胸の前で拳をぎゅっと握りしめる。


「わ、分かった。足手まといにならないよう頑張るよ!」


「むっ……!」


 なぜかアーセムさんがうめいた。

 場がシーンとなり、みんなが私をポカーンとした顔で見つめている。


(あれ?)


 また空気の読めない発言をしてしまったのだろうか。


「フィーネ様、その顔は反則でしょー」


「え?」


 マイさんが呆れた顔でため息をつく。その真っ白な頬がなぜか紅潮していた。


 ……どうやら、冒険者への憧れが思った以上に顔に出てしまったらしい。とても恥ずかしい。


 私はそっと拳を下ろした。





 翌日は、ほとんどを移動に費やした。


 一頭の馬に私とエラが乗り、もう一頭にマイさんが乗る。


 ジャッキーさんは走ったほうが早いと四足モードになり、アーセムさんは普通に走っていた。あの巨体に聖教騎士の鎧を身にまとい、それでずっと馬の横を走っているのだからすごい脚力とスタミナだ。


「街道近くは、やっぱ怪しいニオイの奴がうじゃうじゃいるな。おい、このまま荒れ地を走って進むぞ」


 ジャッキーさんに先導され、町や村を避けて道なき道を進む。


 そうして、聖公国への入国二日目は過ぎていった。



 日が暮れかけた頃、私たちは森の中で綺麗な川を見つけた。


「おーい、今夜はあの川べりで野宿にするぞ!」


 偵察から戻ってきたジャッキーさんの提案で、私たちの二日目の宿泊地が決まった。



 その夜。


 私はエラと並んで焚き火を見つめていた。


 ジャッキーさんは付近のパトロールに出ている。

 マイさんとアーセムさんは、少し離れたところで何やら真剣な顔で話し込んでいた。


「なんだか蒸し蒸しするね」


「そうですね」


 夜とはいえ、まだ蒸し暑い。


 つい、目の前の清流に目が行く。


「入ったら気持ちよさそう……」


 思えば、国境沿いの村を出てから体を洗えていない。


 転生して十余年、基本的に毎日お風呂に入らないと我慢できない体に仕上がってしまった。ずいぶん貴族の生活に慣れてしまったものだと思う。

 

 転生前はほとんど入院の日々で、入院中は入浴できるのなんて三日に一回くらいだった。ここまでお風呂好きになったのは、そんな前世の反動もある。


 唯一ワガママを言って、浴室をヒノキ張りにしてもらったりもした。血流を良くする効果があるのだ。


 朝と夕の二回、ゆっくり湯船に浸かるのは最高の幸せだった。


 ……いやいや、冒険者たるもの、そんな贅沢にうつつを抜かしてはだめだ。。


(私、気がゆるんでるな)


 せめて綺麗な水で体を拭いて、気を晴らそう。


「エラ、川の水で体を洗ってくるね」


 手ぬぐいを持ってエラに声を掛ける。


「お、お一人では危険です」


 ちょっとそこの大岩の陰に行くだけなのに、エラが警戒した顔つきで付いてくる。


「もしかして敵の気配がする? やめたほうがいいかな」


「いえ、敵はいません。私が警戒しているのは別のものですので」


 別のもの?

 魔獣か何かだろうか。


 大岩の陰でしゃがみこむ。焚き火の灯りが届かないのでほとんど真っ暗だ。


 まずは川の水をパシャパシャと顔にかける。


「つめたっ」


 でも気持ちがいい。


 外套(がいとう)を脱ぎ、下に着ていた簡素な茶色いチュニックも脱ぐ。


 ブラジャーは付けていない。適当な布をバストに巻きつけて、背中で縛っているだけだ。

 その布を外し、ジャブジャブと水洗いする。ついでに外套も川に放り込んだ。


 ズボンやパンツも洗いたいところだが、そこまで脱ぐのはさすがにマズい気がする。


 衣服を洗い終わると、髪の毛を結んでいた紐をほどく。

 両手のひらで水をすくって頭にかけ、濡れた髪を絞る。それを何度か繰り返す。


 頭がサッパリしたところで、手ぬぐいを水で濡らし上半身を拭いていく。ひんやりとして、いい気持ちだ。


「エラも洗ったら? 気持ちいいよ」


「そうですね。私も後で失礼します」


 エラが森のほうを凝視しながら返事をした。



 ブラジャー代わりの布と外套は濡れたままなので、チュニックだけを着て焚き火へ戻る。洗濯物は焚き火のそばにある岩に置いて乾かす。


(なんかこういうの、キャンプっぽい……!)


 転生前も転生後も、焚き火を囲んだり、釣りをしたり、釣った魚を焚き火で焼いて食べたりするキャンプというものに並々ならぬ関心があった。


 トマ達と釣りをしたことはあったけど、あれはお遊びみたいなものだった。

 生きるために、魚を獲る。命を賭けた真剣勝負。釣りは浪漫だと思う。


 明日、川沿いを移動するのなら食料を確保するために釣りをすることも、あるのではないだろうか。いや多分ある。


(……明日は釣りかも)


 みんなで釣り糸を垂らす光景に思いを馳せていると、マイさんとアーセムさんが焚き火に戻ってきた。


「あれ、フィーネ様の髪濡れてる。洗ってきたの?」


「はい、とっても気持ちよかったですよ。ついでに洗濯もしちゃいました。ところで釣りとかって――」


「え、洗濯? ってことは……」


 マイさんが岩の上に並んだ洗濯物と、私を交互に見る。


「あ、はい。そこの岩で乾かしてます。それで明日釣りしますか?」


「えぇっ!? えっ、釣り……?」


 マイさんが戸惑っている。


 いけない、つい興奮して自分の言いたいことだけを夢中でしゃべるコミュ症特有のアレが発動してしまった。


 釣りしますか? なんて、緊迫した状況を分かっていないアホの子が遊びに誘っているみたいじゃないか。


 違うのだ。真剣なサバイバルとして、食料調達手段として釣りをするかどうかを聞きたいのだ。


 誤解を解きたくて、マイさんにまくし立てる。


「あ、いえ、釣りに憧れているとかそういうことではなくて、ぼ、冒険者として川で食料調達をする必要があるのでは、と、思いまして……!」


 私は何を必死に訴えているのだろう。


 なんかすごくアホの子のような気がしてきた。顔が熱い。


「むぅぅぅ……!」


 急に野太い声がしたと思ったら、アーセムさんが立ち上がっていた。


「……ちょっと走ってくる。限界だ」


 言うなりアーセムさんが駆け出していく。

 マイさんは「あちゃー」とおでこに手を置いていた。


 エラが私の肩に触れる。


「フィーネ様、馬車に積んでいた食料は多めに持ってきましたので、わざわざ釣りに時間を費やすことはいたしません。先を急いでいますから」


(……!?)


 そうだよね!

 少し考えれば分かることだった。


 恥ずかしい。


 マイさんも呆れてしまっただろうか。

 そう思ってマイさんを見ると、岩の上の洗濯物をじっと見つめていた。


「……あー、ところでさ、あたし浄化の魔法使えるよ」


 マイさんが静かにつぶやく。


「え?」


 こんな場面で浄化といえば、体や髪、おまけに衣服の汚れや肌に付着した不純物を取り除いてくれるという、あの便利魔法のことだろうか。


「ほいっ」


 マイさんがエラに手をかざす。エラの体を薄い水色の光が包み、すぐに消えた。


 すごい。

 これが浄化魔法……初めて見た。


「エラ、どう?」


 ドキドキしながら聞いてみる。


「……そうですね、肌や髪のベタつきがなくなったような気がします」


「マイさんすごいです。どうやって会得したんですか?」


 私もぜひ会得したい。


「あーうん、昔覚えさせられたんだー」


 そうつぶやいたマイさんは、笑顔の奥に近寄りがたい雰囲気を宿していた。

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