第29話 旅の始まり

 国境沿いの村に入る。


 この村は、聖公国に続く街道からは少し外れた場所にある。だからあまり商人も利用しないらしく、とてものどかな村だ。私もここへは初めて来た。


 義兄さまがこの村を指定したのも、村人の誰も私を見たことがないと踏んでのことだろう。


 文に書かれていた宿屋へ向かうと、裏の馬屋に行くように言われた。


 エラが先行して扉を開ける。

 薄暗い倉庫のような場所に、三つの人影があった。


「……天使の恵みは?」


 低い声が響く。天使の恵み……ふむ、合言葉だろうか。


「どこにも実らない」


 エラが応える。やはり合言葉だったらしい。


 暗い空間から、白い聖教会のローブを被った三人が現れた。


「聖教騎士団のアーセムです」


 見上げるような大男だった。

 頭が天井に付きそうだ。多分二メートルくらいはある。


 厳格そうな顔つきで髪は長く、口を真一文字に引き結んでいる。年齢は、貫禄があり過ぎて分からない。三十歳にも五十歳にも見える。

 そんなことを言ったらとても失礼なので黙っていよう。


「冒険者をやってるジャッキーだ。よろしくな」


 次に挨拶してくれたのは狼の獣人だった。

 顔つきも狼そのもので、狼を二足歩行にしただけのように見える。

 背丈はエラと同じくらいけど前屈みになってるから、直立したらもっと高いのかも。


 獣人……初めて会った。


 王国では獣人は一度も見たことない。聖公国では女神の下に皆平等が謳われているため、獣人がけっこう住んでいると聞いた覚えがある。


 声帯や口の形が狼でも、言葉を話せるものなんだと感心した。

 これも本人に言ったらとても失礼なので黙っていよう。


 そんなことを考えていたら、つい外套のフードを外して見つめてしまっていたらしく。


「フィーネ様、あまりお顔を見せないほうがよろしいかと」


 エラにやんわり注意された。


 すると三人目、細いシルエットの女性が歩み寄ってくる。


「あーだいじょぶだいじょぶ、ジャッキーは人間の雌には惹かれないんだって」


 女性は言いながら白いフードを外す。中からはロングの黒髪が綺麗な……とんでもない美女が現れた。


「冒険者 兼 聖女見習いをやっているマイだよー。よろしくね、フィーネ様」


 顔立ちは恐ろしく整っていて、黒髪のせいかどことなく日本人の面影もある。

 大きく潤んだ瞳は金色で、慈愛の心が宿っていた。今まで見たことないくらいの美人さんだ。


 背は私よりも高くてエラよりは低い。でもスラリとしていて実際よりも高く見える。


「あ、はい! よ、よろしくお願いします」


 両手を差し出すと、マイさんが屈託のない笑顔で握手を返してくれた。


「うわ……」


 つい見惚れてしまった。

 まるでアイドルと初めて握手をしたファンみたいだ。


 その握手の上に、エラの手のひらがそっと乗っかった。


「フィーネ様、もうそのへんで。ア―セム殿、説明をお願いしても?」


「む」


「あ、ア―セムはあまり喋るのが得意じゃないから、ここからは私が通訳するよー」


 マイさんがオホンと咳払いをする。


 なんだか仕草の一つ一つが可愛らしい。不思議と人を魅了するというか、明るく輝いているというか……とにかく陽のオーラがすごい。


 またもやぽーっと見惚れていると、マイさんがウインクしてきた。


(ほあ……っ)


 心臓がドキンと高鳴り、思わず顔から火が出そうになる。


「えっとねー、私たちは聖教会の遣いなんだ。アーセムは直属の聖騎士で、私とジャッキーはアーセムに雇われた冒険者だよ」


 まったく冒険者には見えない優雅な仕草で、マイさんがアーセムさんとジャッキーさんを手で紹介する。


「で、フィーネ様たちは教皇様直々に招聘(しょうへい)されてるんだ。教皇様のいる聖都にしばらく滞在してもらうってことで、ウォルム様と教皇様の間で話がついてるらしいよ」


 そっか。


 私、まだエルドアには帰れないんだ。

 義兄さまや屋敷のみんな、トマたち、元気かな。


「マイ殿、早急に入国しないとまずい状況なのですか?」


 エラが聞く。


 すると、さっきからつまんなそうに話を聞いていた狼男のジャッキーさんが応えた。


「ああマズいな。さっき領都までひとっ走りしてきたんだが、このあたりにゃ馴染みのない奴らがうろちょろしてたぜ」

「王族か教会の探索隊でしょうね」


 エラがこともなげに言う。


 私を――フィーネを探しに来ている。


 義兄さまはきっと私の居場所を明かさない。そのせいで、みんなが酷い目に遭うのだけは嫌だ。


 そんな私の表情を読み取ったのだろう。エラがそっと手を握ってきた。


「実は……ウォルム様から、フィーネ様が来られたほうが問題も大きくなるから、絶対に領都に近づかせるなと厳命されております」


「そう、なんだ……」


「それに聖都入りの話は、教皇から何度か打診があったみたいですよ。ウォルム様が断っていただけで」


「義兄さまが?」


 初耳だ。


「ええ、でもこんな状況ですからね。ならばフィーネ様の見聞を深めるいい機会にもなるのではと了承されたんです。聖公国には聖女見習いが鍛錬をする『聖域』もありますからね」


 聖域。


 文献で読んだことがある。聖女の資質を持つものだけが立ち入りでき、特別に大地の魔力が充満している場所が、聖公国には何カ所があると。


 そこへ行けば私の治癒魔法をレベルアップできるかもしれないと、少し興味を抱いてはいた。


「――それに」


「ん?」


「フィーネ様にエルドア領特使として教皇とパイプを作ってもらったほうが、領にとっては有難いと。だからこれは領主代行としての立派な務めだとウォルム様は言っています」


 エラが、何十通にもおよぶ文束の中から一枚を取り出して私に見せる。


 義兄さまの優しさが痛い。

 そこまで言われてしまっては、私に拒否する選択肢はない。


(ありがとう、義兄さま)


 義兄さまの走り書きの文字に目を潤ませていると、マイさんがパンと両手を合わせた。


「じゃあ、さっそくだけど行こっか」


 マイさんに連れられて馬屋の奥に行くと、白塗りの豪華な馬車があった。所々に金の装飾が散りばめられていて聖教会の紋様が彫り込まれている。


「これなら下手に手出しされないからね」


 なぜかマイさんが得意げな顔をしている。


「さ、乗って乗って、聖都まで直通便だよー」


 笑顔のマイさんに中へ押し込まれると、すぐに馬車が走り出した。


 私の隣にエラが座り、正面にマイさんとアーセムさんが座る。御者はジャッキーさんが務めるらしい。


 許可をもらって、窓のカーテンの隙間から外を見る。


 国境沿いの、のどかな田園風景が右から左に流れていく。

 すると御者のジャッキーさんの大きな声が聞こえた。


『おーい、聖公国に入ったぜ』


「え、もう?」


 私たちはすんなりと国境を越えた。

 生まれて初めて、王国以外の国に足を踏み入れたのだ。


 なんだか、胸がドキドキする。

 

 昔から、なんなら前世のときから旅には憧れていた。

 トマたちとの冒険者ごっこはワクワクしたし、シャーテイン君に貸してもらった冒険小説はもう何周したか分からない。


 そんな冒険者に……私が。


(だめだフィーネ。これはお役目なんだから気を引き締めないと)


 ふっと鼻から息を出し、緩みそうになっていた表情筋を戻す。


「マイさん、聖都まではどのくらい掛かるんですか?」


「えっとねー、実は私も行くのは初めてなんだけど、確かいくつかの街を経由してー……」


「五日ほどだ」


 マイさんの代わりにアーセムさんがぼそっと答えた。


 するとまた、外からジャッキーさんの声が響く。


『国境近くはきな臭えから街道を外れんぞ! ケツが吹っ飛ばないように掴まってろ!』


 言い終わる前に、馬車がガタガタと揺れだした。


 石畳の街道を逸れ、舗装されていない草原地帯に突っ込んだらしい。

 ガタガタが、やがてガッタンガッタンになりお尻が跳ねる。


 エラが心配そうに手を重ねてきた。


「フィーネ様、大丈夫ですか? なんでしたら私の膝の上に――」


「ううん、大丈夫だよ。ちょっと楽しいかも」


 確かにお尻が痛いけど、治癒魔法をちょこちょこ使えば問題ない。

 それになんだか……こういう荒っぽいほうが冒険者っぽくてドキドキする。


 薄ら笑いを浮かべていると、マイさんが目を見開いていた。


「フィーネ様って、貴族……なんだよね?」


「あ、一応……」


「お貴族様って、もっとお嬢様って感じかと思ってたよー」


 う……恥ずかしい。


 きっとこんな山猿のような貴族令嬢は私だけだ。後でそのへんの誤解は解いておかないと、貴族がみんなアホだと思われてしまう。


「マイ殿、フィーネ様は真の貴族令嬢……女性の中の女性と言ってもいい方ですよ」


「え、真の貴族令嬢……?」


 エラやめてー。


 マイさんが「このお猿さんが?」みたいな顔で見てくる。

 早くいろいろな誤解を解かないと。


 口を開きかけたとき、またもやジャッキーさんが声を張り上げた。


『おーい、これから森に入るぞ! そんで今日は森で野宿だ! お嬢さんがた、虫やら獣やら覚悟しとけ!』


「なっ、フィーネ様に野宿など――」


 エラが怒ったように声を上げたその時、


 ガタンッ――!


 大きく馬車が揺れ、浮遊感が襲った。大きな石でも踏んだのだろう。

 体がふわりと宙に浮き、落ちる。


「ひょぁっ」


 座席に尻もちをついたマイさんが可愛い悲鳴を上げた。驚き顔もすごくチャーミングで綺麗だ。


 アーセムさんはどういう訳か、私たちが浮遊している間も座席にどっしりと腰かけたままだった。


 私はといえば、浮いた瞬間に空中で体勢を立て直し、落下と同時にシュタっと床に着地していた。森遊びで覚えた体さばきだ。


「フィーネ様、お怪我は――」


 エラが心配そうな顔で寄り添ってくる。


「エラ」


「はい、フィーネ様」


「野宿……楽しみだね!」


「え」


 私はさっきから、高鳴る胸のドキドキを押さえられなかった。


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