第28話 王都脱出
暖かい陽光に包まれ、目を覚ます。
まどろみの中、肌触りのいいシーツの匂いをゆっくり堪能する。
シーツの上で、自分の体を確かめるように「うーん」と伸びをしてみた。
(きもちいい)
ゆっくり上体を起こしてみる。
体の節々に痛みはない。凝りやダルさもない。頭痛や貧血症状もない。脱水症状も感じられない。
(うん、異常なし)
多分、二日間くらい寝ていた気がする。
エラが、時々薬効成分のあるお茶を飲ませてくれたのをなんとなく覚えている。
神任の儀で薬を盛られて、それで。
台座に寝かせられて……そのころにはもう意識が朦朧としていたから、記憶は曖昧だ。
でも、体を流れるヌルヌルとした気持ち悪い感触と、魔力が吸い取られていく感覚は、なんとなく憶えている。
(うっ……)
本能的に体をかき抱く。
拒絶反応だろうか、イヤな汗が背中ににじむ。
確か、それでエラが……エラが助けてくれて。
それで、私の――フィーネの体を守ることができた。
(えっと、それでどうしたんだっけ)
エラがお風呂に入れてくれて。
それから……。
――「エラは、脱がないの?」
カーっと顔が熱くなり、手で顔を覆った。
何かエラにとんでもないことを言った……ような。
(エラに、どんな顔して会えば)
恥ずかしさに耐え切れなくなり、私はごまかすように声を出した。
「あ~、いい朝だなー!」
「そうですね」
背後から聞こえたエラの声に、口から心臓が飛び出しそうになる。
「エ、エラ、いたん……ううん、いてくれたんだね、ずっと」
振り向くと、枕元の椅子にエラが座っていた。顔には張りがなく目元にはクマができている。ショートヘアーの黒髪もパサパサだ。
ずっとつきっきりで、寝ずの看病をしてくれていたのだと分かる。
ベッドの上を移動して、エラの目の前に降りる。
「ありがとう、助けてくれて。もう大丈夫だから……ゆっくり休んで」
言いながら治癒の光でエラを包む。これで、後はぐっすり寝れば全快復だ。
よし、魔力の放出に関しても問題ない。
「……はい、ありがとうございますフィーネ様。では少しお休みをいただきますね」
目が合った瞬間、エラが下を向く。
少し頬が赤く見えたのは……気のせい、うん気のせいだ。
「……フィーネ様、このたびは媚薬を抜くために仕方なく、私が浴室にてその……洗い流させていただきました。失礼いたしました」
その姿がなんとなく、転生前にお世話になった看護師のお姉さんに重なった気がした。
「私のためにしてくれたんでしょう? それに付きっきりで看病までしてくれて、何から何までお世話になったね……本当にありがとう」
そう言って、エラの手をぎゅっと握る。
「それに、薬のせいか浴室のことはあまり覚えてないんだ。だから、気にしないで」
「そ、そうですか……」
エラは安心したように胸を撫で下ろした。一瞬がっかりしたように見えたのも、きっと気のせいだろう。
それにしても、媚薬。
媚薬を使われるなんて。
「みんなで健康に生き抜く。心身ともに」のモットーを脅かそうとするものには色々と対処してきたつもりだった。だけど、そういう脅威もあったのかと痛感する。
(あとでエラに成分を聞こう)
この二日間で私の体内に出来たであろう免疫を活性化させて、成分と照らし合わせながら解毒のメカニズムを完成させる。治癒魔法の応用だ。
そうすれば私が盛られても、他の人が盛られても治癒魔法で分解できるようになる。うちの屋敷には女性が多いから必要性は高い。
(侯爵令嬢として、強くあらないと)
そんなことを考えながら、日課のメディカルチェックをすべく鏡台に向かう。
エラも仮眠を取るべくふらりと立ち上がり、扉へ向かった。
「フィーネ様、今夜発ちます」
「うん、分かってる」
エラのほうを見ずに答える。
目的は分からないけど、新王陛下と大司教さまが私を狙っていた。それは事実だ。
であれば領主の妹という立場である以上、とにかく早く王都を出てエルドアに帰還すべきだ。
今までこの上屋敷に誰かが乗り込んでこなかっただけでも奇跡。
きっと、猶予はほとんどない。
---
夜。
茶色の薄汚れた
マンホールから出て、通りの向こうをうかがう。
上屋敷から一台の馬車がゆっくりと出ていくと、その後を馬に乗った数名の兵士が追った。
馬車はただの出入り業者だ。不自然に遅い時間に来てもらっただけで。
「新王直属の
エラの言葉に思わず体が強張る。
「大丈夫ですフィーネ様。脱出の手はずは万全です」
彼女を信じ、コクリと頷く。
私たちはマンホールから静かに這い出て、夜の路地に溶け込んだ。
人気のないルートを一時間ほど歩くと、王都の貴族街を囲む城壁にたどり着く。そこに一人の兵士が立っていた。
「ご心配なく。あの者は私たちの味方です」
「え、味方?」
「ええ、ウォルム様は王都で独自の人脈を築いていらっしゃいますから」
「す、すごいね」
兵士に近づいたときにはさすがに緊張したけど、「ウォルム様にはいつもお世話になっております」と頭を下げたその人は、兵士専用の通用口へ案内してくれた。
私達は、あっさり城壁の外へ出ることができた。
城壁の外側には、平民の家々や商店街や工場が広がっている。
しかしもう取り囲む壁はない。街並の先には広大な田畑が地平線まで続いている。
「フィーネ様、こちらです」
用意されていた早馬に二人で乗り込む。
朝日が昇る前に、私達は王都を脱出した。
朝もやの中を、馬で駆け抜ける。
エラが手綱を持ち、私はその腕の中に収まる形でまたがっていた。
(おかしいな……どう、してっ……)
馬の振動が、やけにお腹に響く。
体がジンジンして呼吸が荒くなってしまう。多分、媚薬が抜けきっていないせいだ。
「うぅ……あいてっ」
たまらず後ろに倒れそうになり、後頭部がエラの胸当てにコンとぶつかる。
「邪魔なので外しますね」
エラは胸当てを外して、道に投げ捨てた。
今度は後頭部が柔らかくて豊満な弾力に埋まる。
かっ飛ばす馬の動きに合わせて、私の頭がぼよんぼよんと柔肉のクッションで跳ねた。
「エ、エラ、痛くない?」
「いえ……むしろこちらのほうがいいです」
立ち寄った集落では、
外套を目深に被った私たちが行くと、「ウォルム様にはたいへんお世話になってますので」と言い残して去っていく。
おかげで家の中では人目を気にせず、体を休ませることができた。
それにしても、本当に義兄さまのコネはすごい……。
そうやって途中途中で短い休息を取りながら、エラや馬に治癒魔法を掛けたり、ついでに私にも掛けたりしつつ進む。
エラから媚薬の成分を聞き、体内に残る薬の成分とを照合させながら治癒魔法で無害化していく。
それを数回繰り返したころ、体内に解毒のメカニズムが完成した。少なくとも似たような成分の媚薬はもう効かないはずだ。
王国の直轄領を抜け、別の領地に入るタイミングで馬を乗り換えた。
「本当にありがとう、お疲れさま」
ずっと走りっぱなしだった馬を優しく撫で、治癒魔法を掛ける。ついでに祝福も浴びせた。
「フィーネ様、あまり外で魔法を行使しないように。かなり目立ってしまいます」
「あ、ごめん」
「いえ、次からは屋内で乗り換えるようにしますね」
エラはほとんど睡眠を取らずに馬を走らせ続け、強行軍でも四日はかかる距離を、三日とかからず踏破してみせた。
やがて、見慣れた穀倉地帯に入る。
「フィーネ様、エルドア領に入りました」
「帰ってきたんだね」
馴染みのある空気、匂い、魔力に包まれ安心する。
「ウォルム様からは、一度国境沿いの村に行くようにと言われています」
「うん、分かった」
エラは伝書鳥を通して、頻繁に
この短期間で、あれこれの手はずを整えてしまうのだから、義兄さまは本当にすごい。
馬は義兄さまの待つ領都ではなく、隣国の聖公国と接する村に向かった。
村の目と鼻の先で、義兄さまからの
『聖教会の迎えを待て』
義兄さまの走り書きだ。
よほど余裕がないのだろう。最後のほうは字が乱れていた。
胸が、チクリと痛む。
「フィーネ様のせいではありません」
「うん、ありがとう」
察して気遣ってくれる護衛騎士に、背中を預ける。
くよくよしていてはだめだ。
これ以上、義兄さまに……領のみんなに迷惑をかけないよう、せめて義兄さまの指示は完璧にこなさなきゃ。
「エラ、聖教会って……」
「ええ、聖公国にある、この大陸にある教会の
「私、聖公国や聖教会のこと、ほとんど知らないや」
文献や、たまに領民から話を聞く程度だ。
私は本当に箱入り娘なのだと実感する。
そういえば前世でも、外の情報は本やテレビ、看護師さん頼りだった。
この世界では、もっと自分の目と耳でいろんなものを見られるだろうか。
「ところで、聖教会の迎えってなんだろう」
義兄さまからの文をよく見てみると、紙の下のほうに謎のイラストが描かれていた。
よほど急いでいたのか、幼子が描いたような絵だ。
どうやら迎えの人の特徴を表したものらしい。描かれているのは三つのシルエット。
一人目は、大男。
二人目は、狼……?
三人目は、黒髪ロングの……女の人?
何かの暗号だろうか。
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