第27話 【大司教視点】大聖女の器
※大司教視点の閑話。次話はフィーネ視点の話に戻ります。
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「失礼いたします。ゴーゼ司教、よろしいでしょうか」
「これは聖女マイ様、いかがなさいましたかな?」
白いローブに身を包んだ黒髪の聖女が、私の執務室に入ってくる。
凛とした姿は、まさに聖女見習いたちの憧れの的。
長い黒髪は艶やかで、端正な顔立ちはオリヴィア王女にも匹敵する美しさ。
そして、胸元の豊かなふくらみは男達の視線をつかんで離さない。
まさに、民が思い描く聖女そのものだった。
「端的にいいます。聖女見習いを寝所に呼ぶのはもうお止めください」
私は心の中で舌打ちをした。
この聖女は大司教のお気に入りという立場を利用して、教会内で日常的に行われてきた聖女見習いへの「個人授業」を禁じたのだ。
忌々しい、農家の娘が。
「……聖女マイがそうおっしゃるなら、もう金輪際呼ばないようにしましょう。熱心な聖女見習いに、聖女のなんたるかを善意で教えていたのですが……いやはや、あらぬ誤解を生んでしまったようだ」
「しらじらしいですね」
そう吐き捨てると、聖女マイは執務室から出て行った。
治癒魔法はたいてい農民の娘に発現する。それは自分たちの命が、大地の魔力に左右されるからだ。日々土くれや雑草、作物の魔力を肌で感じ、大地のご機嫌をうかがい異変を察知しなければ生きていけない。
森から現れる魔獣に襲撃されることもあるし、戦争や小競り合いが起きれば徴兵されて捨て駒として前線に駆り出される。
日々命の危険と隣り合わせなのが農民だ。その中でも、命を産み育てる女のほうが男よりも魔力に敏感だ。だから聖女見習いのほとんどは農民出身となる。
治癒魔法が発現すると体が活性化して健康になり、そして美しく育つ。
周囲はありがたがって大事に育てるので、自然と気立ても良くなる。温和で優しい性格だからこそ、治癒魔法が発現するともいえる。
「あの生意気娘のような例外もいるがな」
私は聖女マイの出て行った扉を憎々しげに見つめた。
まあいい。
つい先日の王都騒乱で、第二王子の策略にまんまと乗せられた第一王子派がクーデター未遂を起こし、鎮圧された。
今の大司教は第一王子派に近しい。晴れて第二王子が新王となり、私を大司教に指名すれば、大司教もろとも聖女マイもその立場から引きずり落としてやろう。
「ふふ……あの軟弱王子にくれてやるのはもったいないがな」
第二王子の初恋は、聖女マイらしい。
かつて成人の儀で祝福を授けられたとき、その美しい黒髪に一目惚れしたのだとか。
それ以来、第二王子の人生の目標は、自分が王となり、聖女の望む公平で平等な世界を作るというものになった。聖女は純潔たれ、という古いルールごと教会を改革し、聖女マイと平和な世界で夫婦となるために王となる。
この執務室で、そう酔いしれるように明かしてくれた。
扱いやすい男だと思った。
私は代わりの聖女を立て、聖女マイを聖女から降ろしたほうが堂々と手に入れやすいのでは、と提案した。
そのときの第二王子の我が意を得たりという表情は、なかなかに滑稽だった。
ちょうどいい代わりも見つけた。
聖女フィーネ。
貴族でありながら治癒魔法の使い手で、オレンダイ領の侵攻では領主不在の中、領主代行として民を先導し、傷ついた兵を敵味方関係なく癒し続けたという奇跡の乙女。
本来、貴族からは聖女が生まれることはまずない。命のありがたみからは縁遠く、何不自由ない暮らしをしているからだ。まさに農民とは正反対の存在。
かなり誇張が入っているのだろう。
まあ実際に会い、見目麗しくて多少でも治癒魔法が使えたら聖女に据えてやろう。
そう軽く考えていたのだが。
エルドアの屋敷で会ったフィーネは、私の想像を絶していた。
「なんと、美しい……」
つい、驚嘆が口から漏れてしまった。
全身の細胞が
青い瞳はどこまでも吸い込まれそうで、少し垂れ気味の目元には慈愛と親しみを感じる。
「――私はできるだけ多くの民を、癒そうと考えております。そこに領の隔たりはございません。傷ついた民は、等しく癒やします」
鈴を転がしたような、それでいて妖艶さも感じる美声に鼓膜が
民を等しく癒す。その気高い志は、まさに理想の聖女といえた。
そしてあの祝福の光。
まさに規格外の魔力量だった。
王国に並ぶものなしと言われた第二王子の炎熱魔法を包み込み、中和したのだ。
私は、一瞬で聖女フィーネが欲しくなった。
ぼうっとフィーネに見惚れている第二王子も、同じことを考えていたのだろう。案の定、帰りの馬車で興奮気味に彼女のことを語る姿からは、初恋の乙女――聖女マイのことなどすっかり忘れた様子だった。
オレンダイ領主を成敗し、いよいよ第二王子は新王となった。
もう新王は聖女マイに執着していない。しばらくしたら聖女の座から降ろして、自分専用の聖女見習いにするのも悪くないと思っていた矢先。
「聖女マイが、姿をくらませただと……!?」
さすがに大司教に着任早々、聖女不在はまずい。
新たな王を任命する「神任の儀」もある。
いよいよもって、フィーネに白羽の矢が立った。
早々に彼女を教会の聖女にし、神任の儀の代役に据えなければ。
そう思っていたら。
「私は彼女を、フィーネを妻にするつもりだ。彼女を聖女にはしない」
やはりというべきか、新王も彼女が欲しいと言ってきた。
「それはまた……聖女マイはもうよいのですか?」
「よい。私はあのエルドアの屋敷で一目見たときに確信した。彼女こそ、私が追い求めてきた聖女そのものなのだ」
この聖女狂いが。
「新王、少しお待ちを。今、聖女マイが失踪し、教会は早急に新たな聖女を立てる必要がございます。神任の儀も控えておりますゆえ」
「儀式に聖女の祝福が必要なのは分かっている。だが、うかうかしているとウォルムに……いや他の者に手籠めにされてしまうのだ。それに聖女に手を出すのは難しいとそなたが言ったのであろう」
まったく、ややこしいことになった。
「ならばこうしましょう。神任の儀で聖女フィーネの純潔を奪うのです」
「なっ……」
「既成事実さえ作ってしまえばよいのです。純潔を失った聖女は聖女たる資格がありません。彼女は世間の風評にさらされるでしょうが、それはあなたが守って差し上げればよい」
「そんな大それたことが……だが、ふむ……既成事実か」
新王が悩む素振りをする。だがこの色
聖女に任命さえしてしまえば。
教会の力を使って彼女を独占することはたやすい。
新王とは対立するだろうが、あの男はフィーネの真の価値を分かっていない。
あの少女は、大聖女の器(・・・・・)だ。
歴史上、
絶世の美貌と規格外の魔力を持つ、まさに奇跡の体現者。
エルドアの屋敷であの祝福を見たとき、確信した。
大聖女とは、教会の総本山である聖公国にしか現れないと言われている。現に、数十年ぶりの大聖女を教皇が見出したばかりだ。そのおかげで、聖公国は向こう十数年は安泰だと言われている。
同時期に二人の大聖女が……それも一方はこの王国に現れた。今のところそれを知るのは、私くらいだろう。
絶対に、手に入れなければならない。
フィーネが大聖女の器だと知られれば、聖公国も、隣の帝国も黙ってはいないだろう。聖公国は教皇の権力を使って
大聖女は、契りを結んだ相手に膨大な「力」を授けることができる。この大陸を支配できるほどの途方もない力だ。
それをこの無知な小僧に与えるなどもったいない。
この国の教会を統べる私にこそ相応しいだろう。
新王は神任の儀でフィーネを手に入れる。
ならばその舞台装置に仕掛けを施し、彼女から放たれる「力」をこちらに流れ込むようにすればいい。
そうして、儀式の準備を進めた。
魔力の吸収度が高い衣装を用意すると、新王はその露出の多いデザインにすっかり妄想を膨らませていた。
魔力を奪い、台座に流し込むための聖油も用意した。
これで私が「力」を手に入れることができる。「力」さえ手に入れてしまえば、それを使って邪魔な新王を排除することも簡単だ。
手に入れたあとは、私の聖女としてじっくりと楽しむとしよう。我ながら完璧なプランだと自画自賛した。
だが神任の儀の当日。
私の計画は狂った。
「――そこまでだ!」
突然視界がまぶしい光に覆われ、次の瞬間衝撃が走った。
気づいたとき、私は舞台袖で倒れていた。
起き上がると、尻もちをついた新王がぶつぶつと何事かをつぶやいている。
(取り逃がした、だと)
それはまずい。
もし国外に逃げられでもしたら大変だ。
私は放心状態の新王を尻目に、司教連中に指示を出した。
「正当な聖女を保護するという名目で、身柄を追え」
教会直属の聖騎士団も動かす。
なんとしても、新王より先に捕えなければ。
王都は警備が厳重だ。
見つかるのも時間の問題だろう。焦る必要はない。
---
しかし一週間が過ぎても、フィーネは捕まえられなかった。
教会の聖騎士団、新王直属の陰の者が総出で彼女を探したにも関わらずだ。
王都を脱出したところまでは分かっている。
だがエルドア領の近くで完全に足取りがつかめなくなったらしい。
てっきり故郷のエルドアに戻ると思っていたのだが、領に入った形跡もない。
一体どこへ消えたのか。
聖女マイもそうだが、どうやって姿をくらませられるのだろう。あの美しさではどこへ行っても目立つに違いないだろうに。
新王はついに、帝国への防衛拠点を構築するという名目で、自ら軍を率いてエルドアに向かった。軍を駐留させ、フィーネを徹底的に探し出すつもりなのだろう。
うかうかしてはいられない。
こうなったら私もエルドアに向かおう。
もしエルドアで彼女が見つかれば、新王はすぐにでも手籠めにしてしまうだろう。
それは絶対に阻止しなければならない。
最悪、新王をその場で消してでも、あの「力」を、フィーネを手に入れなければ。
私は暗い決意を胸に、エルドア行きの馬車に乗り込んだ。
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