第26話 【護衛騎士視点】浴室での慰め

 カランカランと神殿内に荘厳な鐘の音が響き渡った。


 目隠しの女に案内されたのは王都神殿で最も広い大聖堂だ。前方、祭壇や舞台があるはずの場所に今日は暗幕が掛かっている。


 ――「暗幕が上がり次第、儀式が執り行われます。それまでお待ちを」


 目隠しの女はそう言っていた。


 神殿内に人の気配はない。この大聖堂内に出口は三カ所。いざという時には、フィーネ様を抱えてでも撤退するようウォルム様に言われている。


 懐に隠し持った筒状の物体に触れる。ウォルム様に授かった特注の魔道具で、昨日フィーネ様に頼んで防護魔法を込めてもらった。


「エラは心配性だなー」


 そう言って笑ったフィーネ様の顔も、どこか不安そうだった。


 なぜだかオレンダイ軍の陣地に乗り込んだときを思い出す。

 あの建物の中で、フィーネ様は敵軍の司令官に服を暴かれ、乱暴な目に遭う寸前だった。


 ぎしり。


 奥歯がきしむ。

 あのような思いは二度とさせない。



 それにしても、鐘が鳴ってから随分経つ。フィーネ様と別れてから半刻は過ぎただろうか。いまだに儀式が始まる気配はない。


 コツコツと大聖堂内を歩き、暗幕の前に立つ。……大きい。

 

 なんとはなしに触れてみると、ピシと音がして手が弾かれた。


 結界だ。

 ――そう気づくと同時に右手を腰のベルトに伸ばす。シュルシュルシュルとほどいて左拳に巻きつけると、全力で振り抜いた。


 ゴーンと鐘を叩いたような音がして、拳に痛みが走る。


 結界の破壊は困難と判断し、目隠しの女が去っていった出口に走り寄り、拳を振り抜く。


 扉が壁ごと砕け、掛かっていたらしきかんぬきの破片も飛び散っていた。やはり扉は外から封じられていたようだ。


 かつてオリヴィア王女の護衛をしていた際に覚えた神殿内の地図を思い浮かべ、フィーネ様がいるであろう舞台への最短距離を割り出す。


 足音を消しつつ最速で廊下を移動する。進路を塞ぐ敵はいない。


 心臓の鼓動が九つ脈打つ前に、舞台袖に到着した。


 行く手に人の気配がする。

 見れば暗がりの中、あの目隠しの女が舞台のほうを向いてたたずんでいた。

 

 静かに背後から近づく。

 目隠しの女は、何かに見惚れているようだった。


 ハッとして舞台上に目を向ける。


 台座に、フィーネ様が寝かされていた。なんとか起き上がり、手を掲げて小さな防護魔法を展開している。その先には呆然とする新王と、光球――攻撃魔法を放とうとしている大司教。


 瞬間、体が動いた。


 まず障害になりそうな目隠しの女に拳をお見舞いする。しかし暗幕を殴ったときと同じ衝撃で弾かれた。

 ふっと目隠しの女が視界から消え、猫のような動きで私の背後に回り込もうする。


 その動きは王家直属の隠密部隊――の動きに似ていた。


 正攻法では排除が難しいと判断し、奥歯に偽装して仕込んでいたつぶてを舌で外すと、振り向きざまに口から放つ。


「くっ……」


 礫は女の左目あたりに直撃した。おそらく致命傷だろう。


 崩れ落ちる女の横を通り過ぎ、舞台上に躍り出る。


「そこまでだ!」


 大声を上げて気を引きながら、大司教と新王陛下向けてに魔道具を投げ込む。


 瞬間的に発動した防護魔法により、二人の男が吹っ飛んだ。


 見たこともない淫靡な衣装を着せられたフィーネ様をマントで覆うと、優しく抱えて神殿の出口へと向かう。



 裏口から出て、乗ってきた馬車とは別の方向へと走る。敷地の外、密かに別で待機させていた貨物用馬車に乗り込む。


 御者を務める馴染みの商人に、打ち合わせ通りの指示を出す。


「目立たぬように迂回して帰還だ」


 御者は返事をせず、馬車は静かに走り出した。



「ふぅ」


 フィーネ様を抱えながら木箱の中に潜み、一息つく。


 彼女の護衛に付くようになってから、怪しいやからは跡を絶たなかった。


 誘拐を企てたり、屋敷に侵入しようとしたり……不届き者はたちの悪い豪商に雇われた盗賊だったり、盗賊に偽装した貴族や他国の工作員だったりした。


 ウォルム様はその度に防衛体制を見直し、屋敷を護る兵士たちの練度も上がっていった。気づけば屋敷内の侍従や庭師、御者にいたるまで、そのほとんどが女性になっていた。



 コンコンと、御者が手元の杖で床を叩く音がした。上屋敷に着いた合図だ。


 木箱をそっと開け、外の様子をうかがう。

 敷地内に怪しい気配はないようだ。


 念のため再び木箱に潜み、荷物として屋敷の中に運ばれた。


「フィーネ様っ!」


 エントランスで木箱から出ると、マリエッタが駆け寄ってくる。


「マリエッタ殿、湯浴みの準備はできていますか?」

「できています。一体フィーネ様に何があったのですか!?」


 心配そうな顔の中に、好奇心の揺らぎが見えた気がした。


(マリエッタもか……)


 フィーネ様は周囲の者を男女関係なくとりこにし、一様に狂わせる。


「あとで説明します。これからフィーネ様を清めるので誰も浴場に近づかせないように」



 一階廊下の奥に、フィーネ様の浴室はあった。


 ウォルム様が彼女のために造らせたもので、白い大理石で覆われている。浴室というよりも浴場といったほうがいい広さだ。


(早く洗い流さないと)


 フィーネ様の全身には、ヌルヌルとした油のような半透明の粘液が付着していた。見たことのない液体だったが、香りの中に媚薬の成分を感じ取った。


 いつかこんなこともあるのではないかと、フィーネ様に媚薬に対抗する治癒魔法を会得してもらおうと考え、どう説明したものかと迷っていた矢先にこれだ。


 護衛服を着たまま、フィーネ様とお湯の中に飛び込む。


 湯の温もりが服の中に浸透してきて、ようやく緊張を解く。

 

 壁一面にランプが並び、広い空間を淡く照らしている。

 屋敷の一番奥まった場所に位置し、窓一つないこの浴室は、ウォルム様の過保護を通り越した執着を感じさせた。


 フィーネ様を抱きかかえたまま、お湯をすくってその細い肩に掛ける。

 その体には、薄い布が頼りなくまとわりついていた。


(こんな淫靡な服を着させられていたとは)


 薄布にも、ヌルヌルとした液体が染み込んでいる。

 脱がそうと薄布を留めている紐をつまむと、上衣もスカートも簡単に外れ、浴槽の中を漂っていった。


(なんて、綺麗なのだろう)


 あらわになった白磁のような素肌を眺める。


 おそらく男の理想を詰め込んだような体なのだろう。女の私が見ても見惚れてしまうほどなのだから。


 フィーネ様の肩にお湯を掛けながら、その美しい横顔を見つめる。



 女でありながら武に秀でた私は、王都騎士団で早くから頭角を現した。


 成人してすぐ、年下のオリヴィア王女に気に入られ専属の護衛騎士となる。だが若くして出世した私への風当たりは厳しかった。


 見かねた王女殿下が、ちょうど女性の護衛騎士を探していたウォルム様を紹介してくれたのだ。


 初めてフィーネ様と出会ったとき、この世には王女殿下よりも美しい少女がいるのだと心底驚いた。


 女神の現身うつしみ――それがフィーネ様の第一印象だ。


 フィーネ様は私の褐色の肌を「健康的で好き」と言ってくれた。その頃にはもう、私は彼女に心酔していたと思う。


 慈愛にあふれるフィーネ様は、私を連れて孤児院や診療所を訪問しては片っ端から治して回った。その魔力量は異常で、心根の優しさもまた規格外だった。


 この純真無垢な少女を、絶対に穢させない。



「……ん……エラ? おはよぉ……」


 鈴を転がしたような美声が浴場に響く。


 薄目を開けたフィーネ様が、トロンとした瞳でこちらを見上げていた。


 媚薬が抜けきっていないせいなのか……その気だるげで、どこか色香を含んだ声に、思わず心臓が波打つ。


「お、おはようございますフィーネ様。お湯加減はいかがですか?」


 私の胸に寄りかかる美少女に、平静を装って問いかける。


「んっ……ちょうどいいよ」


 猫のように身をすくめたフィーネ様は、腕をほんの少し折り曲げてささやかな伸びをした。


「ぃてて。……エラ、よろい着てるの?」


 伸びをした際に、フィーネ様の左腕が私の胸当てにコツンとぶつかった。


「も、申し訳ありません、すぐに外しますので」


 フィーネ様の体を少しだけ浮かすと、急いで胸当てを外す。


「くっ」


 左の拳に鈍い痛みが走る。気づけば青く腫れ上がっていた。扉を破壊した際に負傷したのだろう。


「だいじょうぶだよ、治すから」


 フィーネ様はいつもの調子で言うと、もう次の瞬間には左手の腫れが消えていた。


 彼女は元に戻った私の拳を不思議そうに見つめている。まだ意識がはっきりしないのだろうか。薄い蜂蜜色の髪がお湯に濡れ、その頬や肩に張り付いていた。


「フィーネ様……」


 無性に抱きしめたくなり、体をピタリとくっつける。


「ひゃっ」


 フィーネ様がピクッと震え、可愛らしい声を上げる。

 しかしすぐに頭を私の肩に預けると、ほぅっと小さくため息をついた。

 

 フィーネ様は普段、一人で湯浴みをしたがる。


 少なくとも私が護衛に付いてからは、誰かを伴って湯浴みをしたことはない。お召し替えですら最低限しか侍女に手伝わせなかった。


 以前どうしてかと聞いたら、「いやだって恥ずかしいから」と頬を赤らめていた。


 妙なところで恥ずかしがり屋なのに、たまに驚くほど大胆だったりもする。

 奥ゆかしくも思いきりのいいフィーネ様……本当に愛らしい。


 だからこそ、新王と大司教の蛮行にははらわたが煮えくり返る。


 フィーネ様を無理やり手籠てごめにしようとしたのだろうか。


 それにしては手が凝り過ぎている。手籠めにするだけならば、他にやりようはいくらでもある。わざわざ大がかりな儀式を用意しなくても。


 なにか大きな思惑が動いているのかもしれない。この誰よりも人の幸せを願う慈愛の聖女をめぐって。


 私は、白くて華奢な体を後ろから抱きしめた。


「フィーネ様は何も悪くありません。もう何人なんぴとも、あなたに指一本触れさせません。私が命を賭けて守りますから」


「…………大げさだなあ、エラは」


 しまった。


 先程までつらい目に遭われていたというのに、さっそく思い出させてどうする。

 

 自身の浅はかさを呪っていると、ふわっとフィーネ様の手が頬を包んだ。

 いつのまにか絶世の美少女がこちらを向いている。


「エラ、命を賭けるなんて言わないで。私はだいじょうぶだから……ね?」


 その優しい笑顔に、胸が締め付けられる。


 つい細い手を握る。なめらかで柔らかい、まるでフィーネ様の心のような感触に涙が出そうになった。


 フィーネ様を慰めようと思っていたのに、これでは私のほうが……。


「エラは、脱がないの?」


 どうしてお風呂で服を着ているの? という感じで素朴に聞いてくる。でも妙に艶っぽく聞こえ、心臓がドクンと跳ねでしまう。


 そういえば確かに、ずっと着衣したまま湯に浸かっていた。

 

「し、失礼しました。湯が汚れてしまいますね、すぐに脱ぎます」


「うん……あっ、あー……じ、じゃあ、むこう向いてるから……」


 急に慌てだすフィーネ様に、くすっと笑いそうになる。


 きっとまだ意識がちゃんと覚醒していなかったのだろう。それでつい言葉を口走ってしまい、今になって恥ずかしくなったのだ。そんな様子が面白い。


 私は一度お湯から上がると、衣服をすべて脱いだ。

 キツく巻いていたサラシも解く。


「ふぅ……」


 胸部の締め付けがなくなり、解放感がため息となって漏れる。


「フィーネ様、失礼します」


「……あい」


 明後日の方向を向いて耳を真っ赤にしているフィーネ様が、なんだか微笑ましい。


 お湯に浸かりながら彼女の背後に忍び寄り、今度は強めに抱きついてみる。


「あぅっ……あ、あのっ」


「どうされました?」


「むね、あたってます……」


 ウブな少年のような反応をするフィーネ様が可愛くて、少しいじめたくなってしまう。


 昔から発育がいいと言われ、物心つく頃には男の視線を感じるようになった。

 騎士団内で女性騎士は珍しかったので、酒に酔った同僚がよく触れてきたり、時には襲ってくることもあった。もちろんその全てを返り討ちにしたが。


「気になりますか?」


「そ、それはもう……」


「フィーネ様も、これからもっと成長なさいますよ」


「そ、そうですカ…」


「はい」


(だから、どうかあなたを本当に思ってくれる人に出会ってください)


 フィーネ様の綺麗な背中に、さらに体の前面を押し付けてみる。


 ツルツルと滑るほどにきめ細やかで、柔らかい肌。

 胸を密着させていると、どうしてだか腹の奥が熱くなってくる。


 体を強張らせていたフィーネ様だったが、やがてコテンと体重を預けてきた。


 疲れて、眠ってしまったようだ。


「フィーネ様……お可愛いです」


 その汗ばんだ頭をしばし撫でる。

 私もいつのまにか顔から汗が吹き出し、のぼせてしまいそうだった。


 沸々と湧き立つ情欲を胸にしまい込むと、フィーネ様を横抱きにして浴室を出た。

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