第25話 新王の毒牙
舞を終えたフィーネに新王は見惚れていた。
露出の多い
あまりに可憐で、妖美。
彼女の気品と無垢さがそうさせるのだろうか。舞う姿は美しく、まるで女神が地上に顕現したかのようだった。
同時に、動くたびにふわりと露出する白い肢体に、目が釘付けになってしまう。純白の衣装よりもさらに白い。まさに透き通るような肌。恥じらいに染まる頬が、今は彼女の一番色づいている部分だろう。
フィーネは舞を踊りながら、何度も結界の分析を試みていた。新王も魔力放ちそれを妨害していたのだが、彼女に見惚れてつい魔力の放出を忘れそうになるほどだった。
「ああ……フィーネ、なんて美しいんだ……。やはり私の生涯の妻にふさわしい」
つい、本音が口から漏れてしまう。
フィーネがビクリと肩を震わせるのが分かった。でも新王はもう己の情欲を隠す気はない。すでに彼女を手に入れる準備は整っている。もう籠の中の鳥だ。
フィーネが自分のことを好きではないことくらい、彼女のこれまでの態度から痛いほどに分かっている。だが。
――「既成事実さえ作ってしまえばよいのです」
いつかのゴーゼ大司教の言葉が新王の脳裏によみがえる。
そう、既成事実さえ作ってしまえば後は王としての権力でどうとでもなる。すでに母上や上位貴族への根回しも済んでいる。
フィーネは戸惑うだろうか。
いや、純真無垢な彼女のことだ。男の獣欲にさらされ、おののき泣いてしまうかもしれない。
できれば彼女を悲しませたくなかったが、致し方がない。
あのエルドアの屋敷でフィーネを一目見たときから。
心が洗われるような祝福の光に包まれてから。
なぜか男装していた彼女の、あの艶めかしくも透けた姿を目の当たりにしてから。
もうフィーネのことしか考えられないのだ。
この娘を手に入れるためならなんだってすると決めた。
ゴーゼ大司教の協力と引き換えに、この大層な儀式の準備も進めた。
この機を逃したら、彼女は他の男――おそらく義兄のウォルムに手籠めにされてしまうだろう。
今ここで、夫婦としての既成事実を作る。
優しく愛でてやるのは、そのあとでいい。
新王はフィーネに一歩近づいた。
熱のこもった目を彼女に向ける。そうして、彼女の知らない台詞を口にした。
「覇道を成さんとする我に、聖女の口づけによる祝福を――」
「舞によって豊穣の願いは女神へ届けられました。今一度、この地を統べるセダイト・オリミナスに祝福を授けます」
フィーネは新王をまっすぐ見据え、段取りどおりの台詞を口にした。
「なっ……」
見たこともないほど明るい虹色の光が、視界を包む。エルドアの屋敷で見たものとは、段違いに美しい祝福だった。
体の中からドロドロとした黒い執着の心が消えていく。心が洗われたような心地になった新王は、一瞬言葉を失ってしまった。
「新王陛下、これで私のお役目は終わりました。失礼させていただいても?」
「あ、ああ……いや待て、待つんだっ」
我に返った新王が、フィーネに手を伸ばす。
シャラン――。
伸ばした手のすぐ先を、神杖の先端がかすめた。
「……っ」
「失礼しました。まだ舞をご所望でしたら、別の機会に披露させていただければ幸いです」
それは毅然とした振る舞いだった。その瞳には強い拒絶の意志が込められている。
自身が罠に掛けられ、逃げ場のない状況に置かれているのはフィーネも理解しているはずだ。それなのに、どうしてここまで平然としていられるのか。
普段の彼女の恥ずかしがり屋で控えめな態度とのギャップに、新王は戸惑うと同時に見惚れてしまっていた。
「失礼しても、よろしいでしょうか?」
吸い込まれそうな青い瞳に見上げられ、新王は自然とうなずきそうになる。
そのとき。
カシャン――。
神杖が床に転がった。
「あ、れ……?」
新王の目の前でフィーネが膝をつく。困惑した顔で、神杖を落としてしまった手のひらを見つめている。
「やっと効いてきたようですな。いやはや、さすが聖女。薬の効きも遅いようだ」
舞台袖から、重そうな台座を押す大司教が現れた。
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フィーネは混乱していた。
(体が、ヘン……力が入らない)
まるで全身の骨が消えてなくなってしまったかのように、体重を支えることができない。
「やっと効いてきたようですな。いやはや、さすが聖女。薬の効きも遅いようだ」
舞台袖から、大司教が近づいてくる。両手で重そうな台座を押し、その上には白い壺が乗っかっていた。
「大司教、これはいったい……」
新王が大司教に聞く。
「保険ですよ。本来なら陛下が口づけによって直接魔力を流し込み、体の自由を奪う手はずでしたが……もしかしたら失敗することもあろうかと思いましてな」
大司教は舞台中央に台座をセットすると、乗っていた壺を小脇に抱える。台座は人一人が寝られるほどの大きさで、そのサイズ感にフィーネは嫌な予感がした。
「湯浴みの湯に、薬を混ぜておいたのです。特注品でしてね、そのへんの聖女見習いならすぐに腰砕けになってしまうものなのですが、聖女フィーネは聖女としての力がよほど強いようだ」
壺を抱えた大司教が、フィーネと新王のもとへ近寄ってくる。
(だめだ、力が入らない……魔力に、集中を。
魔力だけは、練り続けなきゃ)
太ももがガクガクと震え、膝立ちすらも難しくなる。腰が落ちてペタンと床に座り込んでしまい、前のめりに倒れ込みそうになるのをなんとか両腕を付いてこらえた。
目の前で、大司教が新王に耳打ちをしているようだった。
「……ここへきてどうしたのです、陛下? 彼女を手に入れるためなら何でもするとおっしゃったではないですか」
「ああ、そうだったな」
「私としても儀式を完遂してもらわねば困ります。予定どおり、聖女を台座に運び、聖油を掛けるのです」
「……分かっている」
(儀式……いったいこの儀式って……?)
朦朧とする意識の中で、フィーネは必死に思考を巡らせた。
ふいに、視界がぐらりと揺れる。
体が浮き上がる感覚がして、自分が新王に抱きかかえられていることに気づいた。
「こんなに軽いのか」
頭上から、そうつぶやく声が聞こえたかと思うと、背中がヒヤリと冷たくなる。
気づけば台座の上に仰向けに寝かせられていた。後ろで結んでいた髪がいつのまにか
(背中がゾワゾワする。
この台座、おかしい。
魔力が、吸い取られていくみたい)
ぬうっと、視界を二つの影が覆った。
新王と大司教がフィーネを見下ろしている。逆光で彼らの表情は分からないが、醜悪な感情が渦巻いているのが伝わってくる。
「これは、世の男を狂わせますな」
大司教が感じ入ったようにつぶやいた。
「ああ、私もその一人だよ」
新王が自重気味に笑う。
「では、聖女の体に聖油を掛けてください。聖油にも強い効用がありますからな、これなら彼女もあなたに進んで体を差し出すでしょう」
「そうか。願わくば、こんなものに頼りなくはなかった」
新王はふっとため息をつくと壺を傾けた。
注ぎ口からドロリとした粘度の高い液体がこぼれ、フィーネの体にちろちろと垂れる。
(これ、なに、油……?)
半透明の粘液が肌に触れた瞬間、生温かさとこそばゆさにフィーネは震えた。ヌルヌルと体の上を滑り、まるでそれ自体が意志を持っているかのようだ。
「んぅッ……」
(かかったところが、あつい)
ドロドロと注がれた聖油が、フィーネの衣装の内側に入り込み、マグマのように全身を流れていく。
(うそ、この油、魔力を……!)
聖油はフィーネから容赦なく魔力を吸い出し、そのまま台座へと沁み込んでいった。
体の浅いところの魔力を奪われ、次第にその吸引はフィーネがずっと練り続けている腹の奥にまで到達しそうになる。
(このままだと、もたない)
「さあ陛下。彼女と契りを」
「ああ」
新王の顔が徐々に近づいてくる。その手がフィーネの頬に優しく触れた。
「今度こそ誓いの口づけをしよう……初めての接吻が君とだなんて夢のようだよ。そうして、私のものになるんだ、フィーネ」
その言葉にフィーネは戦慄する。
(……いやだ。
この体は大事な。
大切な……。
誰にも、好き勝手はさせない)
「あなたの、もの……にはならない……!」
フィーネは強い意思を瞳に宿し、新王を見据えた。
バチン――ッ!
「ぐっ、なん……だ」
突然顔面を襲った衝撃に、新王の視界が真っ白になる。
痛みをこらえて薄目を明けると、目の前に虹色に輝く膜があった。
「防護魔法、だと」
目と鼻の先にあるフィーネの美貌。そのわずかな隙間に、彼女の小さい顔と同程度の防護魔法が展開されていた。
「こんなものっ――」
新王は虹色の膜に手のひらを押し付けると、自らの魔力を流し込んだ。膨大な魔力で防護魔法を打ち消しにかかる。
しかし。
バチンッ――!
今度は手のひらに鋭い痛みが走り、新王は思わず体ごと飛び退いた。
「聖女フィーネ、これほどとはの……」
大司教が驚嘆の声を上げる。新王も呆然と台座のほうを見つめた。
そこには上体を起こし、手のひらをこちらにかざすフィーネの姿があった。手のひらの先には、先ほどと同じサイズの防護魔法が展開されている。
「絶対に、渡さない」
(魔力、守りきれた……頭突きも、成功)
フィーネは聖油による吸引から逃れるように、腹の奥の奥へと魔力を凝縮させていた。そうしているうちに、聖油が吸引限界量を迎えたようだ。
新王が至近距離まで近づいてきたところで、凝縮していた魔力を一気に放出し、頭突きをする要領で防護魔法をぶつけた。
(結界も、解析……分解、完了)
フィーネに夢中になっていた新王はいつしか、彼女に妨害の魔力を放つのを忘れていた。その間に、暗幕の結界を解析し、分解を試み、結界の効力を弱めることに成功していたのだ。
「魔力量が規格外……いや、質もか」
大司教が台座を見てつぶやく。
「陛下、このまま逃げられたら儀式は失敗だ。早く契りを結び、その絶大な魔力をすべて台座へ――」
言いかけて、口をつぐむ。
大司教はこの儀式の真の目的を新王には伝えていない。
「ええい、早く契りを!」
しかし新王は、フィーネを見つめたまま動こうとしない。それどころか。
「なんて、高貴なんだ……」
新王は圧倒されていた。
この絶体絶命の状況で、諦めずに機会をうかがい、反撃に打って出たフィーネに。
しかもその瞳には、強い意志がこもっているものの怒りや憎しみのような感情が見受けられない。底抜けに優しく、異常なほどに慈愛に満ちたその姿は、新王が昔から恋焦がれ続けた聖女の在りようだった。
大司教はチッと舌打ちをする。
「役立たずが」
大司教は手のひらに魔力を集めると、光球を発現させる。衝撃波を起こす、最もシンプルな攻撃魔法だ。
いくらフィーネが防護魔法の使い手とはいえ、今の彼女相手なら持久戦で打ち破れるだろう。彼女にダメージを与えたら儀式は中断せざるを得ないが、逃げられるよりはましだ。
大司教の光球が手のひらの上で一点に集約していく。
フィーネはその様子をじっと見つめていた。
(まずいなー……多分あれは、防げないや)
正直、今、申し訳程度に展開している防護魔法を維持するだけで限界だ。最後の力と根性を振り絞って起き上がったものの、あと数秒もしたらぶっ倒れてしまうだろう。さっきから視界がクラクラして、冷や汗が止まらない。
「聖女フィーネ……大聖女の器、そなたは私のものですぞ」
大司教の手から光球が放たれようとした瞬間。
「――そこまでだ!」
威圧感のある高い声が響いた。
大司教が声のしたほうを向く。
舞台袖で、目隠しの女性が倒れ伏すところだった。
その背後からフィーネの護衛騎士――エラが飛び出し、筒状の何かを投げつけてくる。
カッ――とまばゆい光が放たれ、放射状に虹色の防護魔法が展開された。
「ぐぁっ……!」
その衝撃で大司教の体が吹っ飛ばされた。
(エラ……。
また、助けられちゃった……ごめん、ね……)
フィーネは自分に駆け寄ってくる護衛騎士の姿を眺めながら、意識を手放した。小さな体がゆらりと台座から落ちそうになる。
エラは駆け寄りざまにフィーネを受け止めると、その体をマントでくるみ、抱きかかえた。
「この状況については後日改めてご説明願おう。
そう言い残し、エラはもと来た舞台袖へ全力で走った。
―――あとがき―――
次話はエラ視点の閑話です。
ノクターンノベルズにてR18版を連載中です。なおノクタ版は描写や展開がやや変わっている部分があります。
https://novel18.syosetu.com/n1913ik/
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