第24話 罠 part2
ついに儀式の当日がやってきた。
純白のシルクを幾重にも折り重ねた衣装に身を包む。
「マリエッタ、どうかな?」
「……聖女というより女神ですね」
「えと、マリエッタ?」
「ほつれやシワもございません。問題なしです」
いつものように専属侍女にチェックしてもらう。
鏡の中では、気乗りしないといわんばかりの私がこちらを見ていた。
ふう、と息を吐く。
「じゃあ、行ってくるね」
上屋敷を出ると教会の豪華な馬車が待っていた。
護衛騎士のエラとともに、重い足取りで乗り込む。
やがて静かに馬車が動き出した。
(あっつ……)
まだ残暑の厳しい季節だ。
衣装を着込んで馬車に揺られているだけで、汗がにじんでくる。
「フィーネ様、私が常に見守っております。ご安心ください」
エラが私の手をそっと握る。
それだけで安心感が胸を満たすから不思議だ。
「うん、私は大丈夫だよ」
にっこりとエラに笑いかけた。
ほどなくして王都の中心にある教会神殿に到着した。
そういえば、間近で眺めるのは初めてだ。
(おっきいな)
神殿は首を真上に曲げなければその全景を確かめられないほど、高くそびえ立っている。まるでこちらに倒れてくるような圧迫感を感じ、思わず目を逸らした。
馬車は正門を通り過ぎ、裏口から敷地に入る。
馬車を降りると、白いローブに身を包んだ女性が一人立っていた。
両目に包帯を巻きつけているのに、周りが見えている様子だ。魔法の一種だろうか。
「本日聖女様のお世話を担当する者です。儀式中の神殿内は本来聖域で、部外者がいてはなりません。どうぞ私とは言葉を交わさず、極力いないものとして扱ってください」
その言葉に従い、無言で女性の後を付いていく。
なるほど、
大理石張りの白い廊下を進むと、開いた扉の前で女性が立ち止まる。
「こちらで身を清めていただきます」
中を覗くと、廊下と同じように大理石で敷き詰められた部屋だった。
入ってすぐのところに白い
女性に促されて中へ入ると、衝立の奥には正方形の
(あ、お風呂だ)
多分、ここで聖女見習いや聖女が儀式の前に湯浴みをするのだろう。
「お召し物をお預かりします。ご同行の方は私に付いてきてください」
ここからは、しばしエラと別行動のようだ。
「エラ、また後でね」
「フィーネ様、重々お気をつけて」
心配性のエラらしい返事に、くすっと笑う。
女性の目は塞がれているとはいえ、人前で全裸になるのはけっこう恥ずかしい。
「それでは後ほど」
女性は無機質にそう言うと、エラと一緒に通路を歩いていった。
人の気配がなくなり静寂が浴室を満たす。
そっと湯に浸かり、ふぅと一息つく。
(ぬるま湯だ)
長湯をしたら風邪を引いてしまいそうだ。
見知らぬ場所のお風呂で妙に落ち着かないし、なるべく早く出よう。
「ふぅ」
べとついた汗が流れ、火照った体が冷まされていく。
「エルドアのみんなは元気かな」
小さくつぶやいたはずなのに、浴室に反響した。
今日が終わったら一目散に領地に戻ろう。王都ではいろいろあって少しくたびれた。
教会の聖女に任命されかけたこととか、新王陛下が、ちょっとこわいこととか……。
「エラは一人で平気かな~」
心細くなってきたので精一杯の強がりを言ってみる。
「お湯加減はいかがですかな?」
(え……!?)
唐突に聞こえたゴーゼ大司教の声に、反射的に体を抱きしめた。
それだけで、静かな浴室内にお湯の波打つ音が響く。
顔だけで後ろを振り向くと、
「聖女フィーネ、そこの
衣装が、違う?
「……その、お世話の女性はどちらに?」
私はできるだけ低い声で返事をした。早くあっちに行ってほしいという意図を込めて。
「ほどなく戻るでしょう。まもなく儀式が始まりますので、お急ぎを」
そう言うとゴーゼ大司教はゆっくり衝立から離れ、やがて足音が遠ざかっていった。
「……はぁ」
一気に緊張が解け、止めていた息を吐く。
大司教はいつから衝立の前にいたのだろう。
息を殺してこちらを凝視している姿を想像して、一気に鳥肌が立った。
(エラ……)
急いで湯から上がり、素早くタオルを手に取って全身を拭く。早く服を着たい。
でも籠の中に畳まれた衣装を手に取り、全身が固まった。
「なに、これ」
さっきまで着ていた衣装とは、比べものにならないほど薄い。
それに下着も見当たらない。
「聖女様、お時間が迫っております。手伝いましょう」
ビクッと肩が震える。
振り返るとローブの女性が音もなく立っていた。
近くで見ると、見上げるほどに背が高い。思わず手に持った衣装で全身を隠す。
「あの……これ、着てきた衣装と違うんです」
「こちらが本番用です。ひとまずご着用ください」
「下着はどこに?」
「神聖な衣服ですので、下着の類を身につけることはできません」
「そん、な……」
女性は私の手の中にある二枚の薄布をさっと奪い取ると、スカートらしき一枚を頭から被せてきた。
薄布が上半身を通り過ぎ、下半身をかろうじて覆うと、腰の当たりを細い紐できゅっと結ばれる。
続いて上に着るらしいもう一枚の薄布も頭から被せられる。両側にパックリ開いた穴から腕を引っ張り出された。
「それでは参りましょう」
(え……これ、だけ……)
自分の姿を見下ろせば、下半身を覆うスカートは尻や太もものラインを隠すことなく、むしろその輪郭をはっきりと浮かび上がらせていた。
さらに両側にスリットが入っていて、歩くと太ももが見えてしまう。
上半身を覆う衣は、二枚の薄い生地を前後に合わせ、肩口と脇腹のあたりで軽く結んであるだけだった。
両脇の開口部は広く、素肌が外気にさらされているみたいだ。
胸元もたゆんでいて、かがんだらおっぱいが丸見えになりそうで。
(嫌だ……こんな服で、行きたくない)
「すみません、このような服で儀式には出られません」
めいっぱい貴族っぽい口調で抗議する。
しかし、見計らったようにカランカランと荘厳な鐘の音が響き渡った。
「お時間です」
「待ってっ……」
ローブの女性に腕を掴まれ、そのまま通路に引っ張られる。
(うそ……このまま連れていかれるのは、やだっ)
咄嗟に防護魔法を発動する。
「あうッ……!」
その瞬間、心臓が飛び跳ねた。
胸がきゅうと締め付けられて息ができない。
(魔力が、反転した!?)
「申し訳ありません。魔法の一切は私に通用しないのです」
そのまま息苦しさに身悶えながら、気づけば儀式を行う大聖堂の舞台袖まで連れて来られていた。
舞台上を見ると、新王陛下がひざまずいる。
その正面に大司教が立ち、口上を述べていた。
新王陛下も大司教も、白いローブに身を包んでいる。私が着ているのと同じように、体の輪郭が浮き出るほど薄くて……。
(イヤだ)
見たくない。
体中から冷や汗が吹き出す。
聞いている話と違う。
理由は分からないけど、この時点で不穏なものしか感じない。
防護魔法が逃げろと警告を発している。
振り向くと、出口を目隠しの女性が塞いでいた。
(この人、魔法が効かない特異体質なんだ)
魔法以外には闘う術をほとんど持たない私に、この女性を突破するのは不可能だ。
(エラ……)
「――新王セダイト・オリミナスよ、聖女の祝福を受けるがよい」
舞台上では、大司教の口上が終わったところだった。
私のいるのとは反対側の舞台袖近くまで
本来であれば、ここで私の出番だ。
もう一度後ろを振り返ると、目隠しの女性が一歩二歩と私に近づいてきていた。
「あ、あのっ……」
トンと背中を押され、私はつんのめるように舞台上に進み出た。
(エラ、助けて)
私は、護衛騎士の姿があるのを祈りながら舞台の真ん中まで歩みを進める。
ふと、新王陛下と目が合う。
(うっ……)
陛下のエメラルドグリーンの瞳がギラリと光った気がして、咄嗟に目を逸らす。
(おかしい、エラの姿がない。
それに……)
ひざまずく新王の正面まで歩みを進めて、背筋が凍った。
舞台を取り囲むように暗幕が垂れている。
(これは、結界……!?)
反射的に魔力の流れに目を凝らす。
暗幕には防護魔法が刻み込まれ、外からの介入を遮断しているようだった。
それと同時に舞台内での特定の魔法――おそらく防護魔法を抑える作用も働いている。重厚な結界だ。
(これは、罠……)
しばし固まる。
この結界は、明らかに私の防護魔法を封印するためのものだ。
(狙いは…………私?)
どうしてなのかは分からない。
ここまで大がかりな仕掛けを施して、何を狙っているのかも不明だ。
でも今は、とにかくこの場から逃げないと。
今ごろエラは、私を助けようとしているはずだ
それまでの時間稼ぎを……。
いや、オレンダイ軍に
エコンドとは比較にならないほど強大な魔力を持った陛下がいる。
大司教も魔法の使い手だし、魔法が効かない目隠しの女性もいる。
エラが来ても、返り討ちになってしまう可能性が高い。
彼女が来る前に、自力でどうにかしないと。
でもこの状況で、彼らに察知されずに暗幕の封印を解析し、私の魔力で分解するなんて芸当は不可能に近い。
「聖女よ、祝福の時間だ」
大司教の低い声が響く。
(不可能に近いけど、やるしかない)
私は体内で魔力を練り上げながら、目の前の新王に言葉を放つ。
「新王セダイト・オリミナス。聖女フィーネの名において、我らが豊穣の国を統べる者足らんことを示します。女神の代理として、祝福を」
祝福の光を発現させる。
(治癒魔法は、使えるみたい)
祝福は治癒魔法の一種だ。
やはり暗幕は防護魔法を封じることに特化しているらしい。とても厄介だ。
「――聖女として、大地を形作りし創生の女神へ、豊穣祈願の舞を捧げます」
ここから長い舞が始まる。
段取りでは、新王と大司教はかしづいて目を伏せることになっている。
その間に、結界の解析を進めよう。
踊りながら同時に解析を行うのは難しいけど、やるんだ。
すると、新王がゆっくり立ち上がった。
「神よ、我ら下界の民も、豊穣を願うことを許し給え」
新王が私を見下ろす。
舞台袖では、大司教も無表情でこちらを見つめていた。
……儀式の段取りも変えられている。
「さあ、聖女フィーネよ、豊穣の舞を見せてくれ」
その口角がニヤリと歪んだ気がして、私は下を向いた。
ゆっくり陛下に近づき、その足下に置かれている神杖に手を伸ばす。
前かがみになったとき、胸元に陛下の視線が注がれる気がして、私は咄嗟に胸元を押さえた。
(イヤだ。
気持ち悪い)
ぐっと唇を結ぶ。
でも今は、耐えるしかない。
シャラン――。
鈴を鳴らして、舞う。
なるべく新王から離れ、舞台の中央で。
シャラン――。
幸い振り付けは体が覚えていた。
なんとか踊りながら解析ができそうだ。
するとキーンと甲高い音が頭に響き、解析が妨害された。
(うそ、なんで)
見れば、陛下から膨大な魔力が放たれている。
(解析を阻害されている……!?)
冷や汗が頬をつたい、床にポタリと落ちる。
舞いながら何度か解析を試みるも、そのことごとくを陛下に打ち消された。
(うっ、また布がめくれて)
舞うたびに体のどこかが露出しそうになる。
動きを最小限に抑えても、わずかな風圧で薄布がひらりと浮かぶ。
(集中、できない)
初めて味わう恥辱に、心をかき乱される。
そんな状態で解析を試みるのは、ほぼ不可能だった。
シャラン――。
やがて、最後の一振りが終わってしまう。
結界の分解どころか、解析すらできなかった。
「はぁ、はぁっ……」
肩で息をしながら、お辞儀をする。
胸元を片手で押さえながら。
(この後の段取りは……)
陛下に再び祝福を授けて、儀式は終了のはずだ。
だけど。
「ああ……フィーネ、なんて美しいんだ……。やはり私の生涯の妻にふさわしい」
頬を赤く染めた陛下が、熱のこもった目で私を見ていた。
(エラ……、義兄さまっ……)
心の中で助けを呼ぶ。
(だめだフィーネ、自力でなんとかするんだ。考えろ)
私は腹の底で魔力を練った。
どうやら防護魔法に変換しなければ、魔力そのものは封じられないようだ。
なら、ギリギリまで。
私のありったけまで、魔力を凝縮する。
(チャンスをうかがうんだ)
このまま段取りどおりに儀式が終わるとは思えない。
だから一か八か、
鍛錬に鍛錬を積んだ私の魔力なら、結界に打ち勝つかもしれない。
私は拳を握りしめ、惚けたような顔をしている陛下をぐっと見据えた。
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