第23話 罠の匂い
王都の上屋敷のリビングで、私はぼーっとソファーに座っていた。
かたわらには、さっき読み終えた冒険小説が転がっている。
「はぁ……」
ついため息が出る。
せっかくの夏季休暇だというのに、私は上屋敷から一歩も外に出ていない。
王宮晩餐会の翌日、新王から大量の花とお詫びの手紙が届いた。
それ以降も頻繁に手紙が送られてくる。
使者も訪れた。
あらためてお茶の席を設けたいとの要求を、私は様々な理由をつけて断っている。
ダンスであの大きい体に包まれそうになったとき、背すじがゾワリとした。
まるで自分が小動物で、目の前の魔獣に食べられそうになっているような、危ない感じ。
(あの司令官と、同じ目だった)
エコンドに捕まったときを思い出す。
あの人と新王陛下を一緒にするなんてすごく失礼だけど、あのドロドロと黒いものを含んだ視線は忘れられない。
そこにどういう感情が込められていたのかは……なんとなく考えたくない。
(シャーテイン君、どうしてるかな)
学院でただ一人、友達になってくれた男の子を思い浮かべる。
シャーテイン君は安心できた。
きっと幼馴染のトマと同じで、私のことを女とか男とかではなく「ただのフィーネ」として見てくれるからだろう。
(借りた本、返せてないや)
新王陛下の誘いを断っている手前、シャーテイン君と会うこともできない。
彼に借りた冒険小説はもう七周もしてしまった。
「陛下を焦らすなんて、やるじゃないですか」
お茶を運んできた専属侍女が、からかうように口角を上げる。
「マリエッタ……」
なんだか疲れてしまい、言い返す気力も湧いてこない。
なぜこんなにも新王陛下を警戒してしまうのか、自分でも不思議なのだ。
あの背すじがゾワリとする感覚の正体も分からない。……なんとなく、分かりたくない。
とにかく、防護魔法がずっと警告を発し続けている。
(
困ったことがあると、ついつい心の中で義兄さまを頼ってしまうのは悪いクセだ。
王命で辺境に出張中のはずだけど、そろそろエルドアに戻ってくる頃だろうか。
今相談なんてしたら、妹思いの義兄さまはすっ飛んできてしまうだろう。多忙な義兄さまを煩わせるわけにはいかない。
(自分のことくらい、自分で決めないと)
私は本能に従い、引き続き籠城することにした。。
---
一歩も出ないまま、夏期休暇も終わりに差し掛かった頃。
王都教会からゴーゼ大司教がやって来た。
来賓室のソファーに座るやいなや、テーブルを挟んだ私のほうへ身を乗り出してくる。
「聖女フィーネ、ご機嫌
「大司教直々にご訪問くださり光栄です。本日はどのようなご用件でしょうか?」
貴族らしくピンと背すじを伸ばし、ニコリと微笑みかけてみる。
大司教は能面のような笑顔を張り付けたまま、やはり目だけが笑っていない。
何だかイヤな予感がする。
「この度は、聖女フィーネに重大なお役目を担っていただきたく参りました」
うん、絶対面倒
「新たに王となった者は、王都教会にて『神任の儀』を受けます。その際、聖女から祝福を授かるのですが……
「え、失踪ですか?」
情報量の多さにクラクラする。
「ええ……ここだけの話、先の聖女は元大司教のお気に入りでしたからな」
大司教の含みのある言い方が引っかかる。
ゴーゼ大司教は、クーデターを起こした第一王子派を教会から一掃しているのは有名な話らしい。マリエッタが言っていた。
そして元大司教は、クーデターを起こした第一王子派だった。それをゴーゼ大司教が教会から追放したから、前の聖女様も一緒にいなくなった……ということだろうか?
……つまり。
「そこで聖女候補の筆頭であるフィーネ様に白羽の矢が立ったのです!」
(うぅっ、やっぱり)
聖女の、代役。
新王と新大司教、その新体制のもとで神任の儀とやらを成功させ、名実共に権力を盤石なものにしたいのだろう。王都騒乱で政情が不安定な今、早く人々の不安を取り除きたいという気持ちは分かる。
分かるけど。
……新王陛下の顔を思い浮かべると、どうしても拒絶感が生まれてしまう。
それにこのお話を受けたら私は教会認定の、この国の正式な聖女になる。
できれば、教会の聖女にはなりたくない。
私は故郷エルドアで、領のみんなと幸せに暮らすのが人生の目標だ。
生まれ変わったとき、そう決めた。
「大司教様、お話は分かりました。ただ私には荷が重く――」
「おぉっと! 言い忘れるところでしたが、これは王の勅令であり教会からの正式な指名でもあります。ご返答は慎重に願いますぞ」
さぁっと血の気が引いていく。
勅令とは、王の発する中でも最上級の命令だ。
一貴族が拒否するにはよほどの理由と覚悟がいる。
しかも教会の指名というおまけ付きだ。
後ろに控えるマリエッタや侍従たちを思わず見やる。
みんな、重々しくうなずくばかりだった。
これは、さすがに逃げられないか。
……致し方ない。
「分かりました。お役目、心して承ります」
「よろしい」
大司教が満足そうにうなずく。
「その代わり……あの、教会の聖女になるというのは、保留でもいいでしょうか?」
「……ええ、いいですとも」
にこやかに笑う大司教の目は、やっぱり笑っていなかった。
玄関まで送るために廊下を歩いていると、隣の大司教が思い出したような声を上げた。
「そうそう、このたび聖女には『豊穣の舞』によって祝福を授けていただきたいのです。お伝えするのをすっかり忘れておりました」
「豊穣の、舞……?」
なんだか、大司教の言い方がちょっとわざとらしい。
「左様。かつてこの国の聖女が、護国と繁栄を願い踊ったとされる神聖な舞です。今や古文書にわずかな痕跡が残るのみだったのですが、今回、我々は舞の再現に成功しましてね。詳細は追ってお知らせしますゆえ……」
期待していますよ、という言葉を残して大司教は帰っていった。
「はぁ……」
去っていく教会の馬車を見送りながら、ため息をつく。
晩餐会に続き、またもや面倒なことになった。
新王陛下に面と向かって祝福を授けるのも気が進まないのに、まさか舞を踊ることになるなんて。
(これは、もう私の手に負える話じゃない)
義兄さま助けてーとばかりに義兄さまへ緊急連絡用の伝書鳥を送ると、即座に返事が届いた。
『エラを代理後見人に指名する』
義兄さまの字で、そう書かれていた。
---
「ではフィーネ様、私がウォルム様の代理として見守らせていただきますね」
「エラ……よろしく。すごく心強いよ」
基本的に貴族間のやり取りに、侍従や護衛騎士が口を挟むことはできない。
しかし本人が病に
そして私のような成人していない家族の処遇に関わるときの場合。
そして侍従や護衛騎士が貴族の出だった場合。
特例として、貴族はその権限を一時的に侍従や護衛騎士へ付与することができる。それが代理後見人というらしい。
エラはもともと男爵家出身だから、代理後見人の対象になる。
なんとなくだけど、義兄さまがエラを雇い入れたのはこういう事態も見越していたからでは、とも思う。
「ウォルム様の意図するところは存じております。私はウォルム様から、王都でフィーネ様に何かあったら武力を行使してでも守るよう厳命されておりますので」
「ぶ、武力で……!?」
なんだか、ずいぶん物騒な方向に話が進んでいるような。
「私も王宮務めが長かったため祭祀や儀礼には多少精通しております。そうしたしきたりに不慣れなフィーネ様がご無理な要求をされぬよう、私が間に立って交渉に当たるようにとウォルム様は言っているのです」
そういうことか。
確かにエラは私の護衛騎士になる前は、王都で王女殿下の近衛騎士をしていたのだった。
本当に、義兄さまには感謝しかない。
「ありがとう。正直助かる……でもエラも絶対に無理しないようにね」
「心得ております、フィーネ様」
心配する私とは裏腹に、エラは自信ありげに満面の笑みを浮かべていた。
翌日から、エラは早速活躍してくれた。
まず、儀式当日まで新王陛下と会わないようにしてくれたのだ。
「神聖な儀式の練習には大司教である私や当事者である陛下も参加するのは当然でしょう!」
「いいえゴーゼ大司教、神聖であるからこそ聖女の舞は本番まで秘匿されなければならないのです。過去にも『儀式本番までは誰の目にも触れさせてはならぬ』と教会が発したお触れがありまして――」
当初の予定では、儀式本番までには何度かリハーサルがあり、その全てに陛下や大司教が参加することになっていた。
練習風景をじーっと見られるなんて本当に勘弁してほしい。
するとエラが過去の事例とかを引き合いに出して粘り強く交渉し、なんと一発本番でいいということになったのだ。
儀式の段取りもエラは細かくチェックしてくれた。
大司教に伝えられた当日の流れはこうだ。
まず神殿内の舞台にやってきた新王に、大司教が長々と口上を述べる。
その後、聖女が現れ新王陛下にお祝いの言葉と祝福を贈る。
そしていよいよ豊穣の舞だ。
女神に捧げる舞なので、陛下と大司教は舞台の端でひざまずき目を閉じる。
そんな中、聖女は先端にシャラシャラと鈴が付いた
神杖は私の背丈ほどもあるが、見た目ほど重くはない。振り付けもそこまで難しくない。
ただ、舞う時間がけっこう長い。通しで二十分くらいだろうか。わりとハードだ。
舞が終わると、もう一度陛下に祝福を授けて神任の儀は終了となる。
この儀式の始まりから終わりまで、参加者は陛下と大司教と私の三人だけらしい。
正直かなり心細いなと思っていたら、どんな交渉をしたのかエラも舞台袖に控えることが許された。
「私はフィーネ様の護衛騎士ですからね」
大司教との交渉を終えて夜遅くに戻ってきたエラは、不敵な笑みを浮かべていた。
よほどハードな交渉だったのか、足取りが少し疲れている。でも黒髪のショートカットを揺らして笑う彼女は、すごく凛々しく見えた。
儀式に参加できる代わりに、儀式が終わるまでは絶対にその場を動いてはならないとキツく言われたらしい。
でも、エラがいてくれるというだけで安心する。
ほどなくして、本番用の衣装も届いた。
なるべく露出の少ないものをというエラの要請どおり、純白のシルクを幾重にも折り重ねたものだった。
夏季休暇はとっくに終わり、学院ではもう次の学期が始まっている。
だけど私は学院には戻らず、舞の練習に明け暮れた。
こうなったらバッチリ本番を決めてやる。
そうしてこのお役目が済んだら、一度エルドアに帰ろう。
(領のみんなは元気かな)
夕飯後の練習が終わった夜。
月明りの差し込む寝室の窓から、エルドアの方角に向かって祈る。
「……フィーネ様、衣装のまま祈っているのですか?」
振り向くと、扉のところにエラが立っていた。
「エラ」
「申し訳ございません、ノックをしたのですが」
「ううん、エラならいいよ」
「つい、見惚れてしまいました」
「え?」
「純白の衣装を着て祈る姿が、いつか宗教画で見た女神様のようで」
「相変わらずエラは大げさだなー」
「……祝福の光が、フィーネ様の魔力が一段と濃くまばゆくなっている気がしました」
「ふふ、毎日欠かさず鍛錬しているからね」
「鍛錬、ですか」
エラの顔が少し曇る。
私が守り切れないばかりに、なんて思っているのだろう。全然、そんなことないのに。
話題を変えよう。
「儀式、いよいよ明日だね」
「何があろうと守りますから、フィーネ様は気楽に臨んでください」
エラが近づいてきて、私の肩に手を乗せた。
どうやらまたエラに気負わせてしまったようだ。もっかい話題を変えよう。
「終わったらさ、一緒にエルドアへ戻ろうね」
「そうですね。エルドア……私にとっても故郷のように思えます」
肩に乗った彼女の手から、力が抜けていく。
心配性のエラの気が、少しは和んだようだ。
私たちはしばらくそうして、月を眺めていた。
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