第19話 ダンスの誘いは突然に
日増しに暑さがこたえるようになり、早々にブレザーはお役御免になった。
王都の夏はとにかく暑い。
男子は半袖シャツ、女子も半袖ブラウスだけというのが主流の格好だ。
私もみんなに合わせて半袖ブラウス姿に衣替えした。
日増しに、生徒たちの露出が大胆になっていっている気がする。
あまり貴族の風習やルールは持ち込まないという新王陛下の方針のせいか、侍女や護衛から解放され一人で寮生活を送っている生徒が多いせいなのか、奔放な雰囲気が漂い始めていた。
そういう陽気な雰囲気は嫌いじゃない。
私もできればタンクトップに短パン一丁で過ごしたいくらいだけど、それはさすがに自重している。
エラやマリエッタからも露出は控えるようにと強く言われているので、半袖ブラウスは第一ボタンまで留めているし、濃紺のスカートは膝丈だ。
この前世のザ・女子学生の格好も、もう慣れた。
それは多分シャーテイン君のおかげだ。彼が、身分とか性別とか関係なく、自然体で接してくれるからだろう。
「あれ……?」
食堂に、シャーテイン君の姿がなかった。いつも一緒にランチを食べる森沿いのテラス席にも、やはり彼の姿はない。
(補講でもあったのかな)
仕方ない。今日は久々のぼっち飯だ。
森からの涼しい風を感じながら、冷製パスタに似た料理を頬張る。ティロの葉……前世でいうバジルのような葉っぱの香味が効いていて、さっぱりとした味わいだ。
(うん、今日もご飯が美味しい)
一人ご飯はちょっぴり寂しいけど、物足りないなんて思ってはいけない。もともとが陰キャぼっちなのだ。それが私のデフォルトであるということを忘れないようにしないと。
静かに舌鼓を打っていると、風上にいるせいか隣のテーブルのヒソヒソ話が聞こえてきた。
「お、おい、今日は天使様一人だぞ」
「あのいけ好かない平民は一緒じゃないのか」
「声、掛けてみるか?」
「いや、アイツが後から来るかもしれんぞ」
「というか、今さらなんて声を掛ければ……」
「その料理美味しいですよね、とか?」
「馬鹿か、もっと気の利いた言葉があるだろ」
「いや分かっているんだが、どうも天使様を前にするとこう……頭が沸騰してしまうんだ」
「だな……あの夏服も一体何なんだ、俺は直視できないぞ」
「ああ、俺もだ」
「天使様は俺たちを殺す気なのか?」
どうも、物騒な話をしている気がする。
所々聞こえないけど、天使がどうのという言葉は聞きとれた。
魔獣の種類……?
だけど、天使型の魔獣なんて聞いたことはない。
そもそも女神の使いである天使様に関わるような名前を魔獣につけるはずがない。
結局、流行っている冒険小説の話題だろうと納得した頃、遠くのテーブルから女子が近づいてきた。
(うわ、すごく綺麗な女の子……私のほう見てる、私かな……?)
一応後ろを見てみるが、誰もいない。
私に向かって一直線に歩いてくる女子生徒は、金髪を何重にも編み込み、濃紺のスカートに幾つもの金糸の装飾が施された、とにかくゴージャスな感じの令嬢だった。おそらく名のある上流貴族だろう。
見知った顔ではないから、きっと上級生だ。
「天……フィ、フィーネさん、ご機嫌よう」
「ご、ご機嫌よう」
(やっぱり私だった……!)
「今日はお一人ですの?」
「あ、はい、一人です」
「そうですの……」
その令嬢は憐れむような、安心するような複雑な顔で微笑んだ。
(な、なんの用だろう)
しばし見つめ合う。
ちなみに私は令嬢のすらっと高いお鼻を見ていた。こうすれば相手は目が合っているように感じるのだ。
数秒そうしていると、令嬢の白雪のような頬が桃色に染まっていく。
ふと、隣のテーブルからまたヒソヒソ声が聞こえた。
「――おい、あれ」
「ああ、間違いない」
「親衛隊長だ」
「ああ、あの熱烈なファンの」
「ついに隊長自ら動いたか」
「近づく好機とみたんだろうな」
この令嬢が、親衛隊長……?
ちょくちょく耳に入ってきていた、謎の親衛隊。
この人が、そのトップ。
何を護っているのかは知らないけど、私も入ってみたい。かっこいい。
「――女神の休息」
「へ?」
「ああいえ、フィーネさんは今日も魔法の鍛錬をなさるの? 確かこの後は授業の予定はないですわよね」
「あ、はい、そうですね……鍛錬、するつもりです」
「そう……本当に、国の安寧のために身を粉にしていらっしゃるのね……」
親衛隊長さんが感慨深げにつぶやく。
その瞳はどこか遠くを見ている気がする。
どうしよう、話が見えない。
「その鍛錬ッ」
「は、はいっ!」
「……私も、ご一緒してよろしいかしら? 治癒魔法を高めたいと思っていたところですの」
「え?」
鍛錬に?
鍛錬は、ただ魔力を練り上げるだけの地味な作業だ。
こんなのに付き合ってくれるのは、シャーテイン君だけかと思っていた。
「だめかしら?」
「い、いえぜひ、治癒魔法でよければ……ご一緒できたら嬉しいです」
「……ふふ、うふふふ……っ」
よほど嬉しいのか、令嬢は手で口を押さえて肩を揺らし始めた。
「あ、あの、私も聞いてみたいことが」
「ふふ、あら、なにかしら?」
「親衛隊のこと、です」
「し、親衛隊のこと!?」
「はい、あの……ちょっとだけ興味があって」
「きょ……興味が?」
「えと、もしお邪魔じゃなかったら、私も入れたら、なんて……」
「はぅぅっ……!」
親衛隊長さんは胸を押さえて倒れかかり、テーブルに両手をついた。
ガシャン、とテーブルの上の食器が揺れる。
「大丈夫ですか!?」
これはただ事ではない。
瞬時に立ち上がると親衛隊長さんの額に手を当て、魔力の流れを診る。
「フィ、フィーネさんっ……!?」
魔力に異常はない。
次に手首をつかむ。心拍はかなり速いが乱れはない。クリア。
「フィ……天使様……」
少し意識が混乱しているようだ。
これは多分、熱中症の初期症状。
ならば。
「少しふわっとしますね」
「天使様……?」
額に当てた手のひら越しに、軽く治癒魔法を掛ける。
血流をサラサラにし、全身に水分を行き渡らせる効果を強めた熱中症特化の治癒だ。
昔、暑さで弱っていたマリエッタのために編み出した。
「これで、水分を摂ればすぐによくなると思います」
「え、あ……あの、ありがとうございますわ……」
「いえ、お安い御用です」
気づけば、テラス席にいる生徒たちの視線がこちらに集中していた。皆が皆、目を見開いて
(うっ……)
なんだか急に恥ずかしくなり、顔をふせる。
「じゃああの、私はこれで失礼します。……あ、えと、鍛錬は寮の裏庭でする予定、です」
すると親衛隊長さんが満面の笑みを浮かべた。目を細め、その瞳を潤ませている。
「ええ、必ず伺います。そのときには、親衛隊について全てを明かしますわ」
「あ、はい、よろしくお願いします」
「……絶対にお守りいたします」
熱っぽい視線を背中に浴びながら、私はそそくさとその場を跡にした。
新しい出会い。
本当に学校生活は刺激的だ。すごく、楽しい。
でもそんな日の夕暮れ。
穏やかな生活は終わりを告げる。
この日、いつまで待っても親衛隊長は来なかった。
シャーテイン君も姿を見せないままだ。
結局、私はまたしても鍛錬に没頭し過ぎて、寮の裏庭にあるベンチでうたた寝をしてしまった。
(……。
…………。
………………あれ、頭、撫でられてる?
おとう、さま……?)
夢うつつに、頭に乗っかる手の温もりを感じる。
お父さまが生きていた頃は、たまに頭を撫でてもらえたことがあったっけ。
(でも、お父様はもう)
領内視察の帰り道、魔獣の森奥深くにしかいないといわれる最強最悪の魔獣に襲われて亡くなった。
だからこの温もりは、現実じゃないんだ。
優しい感触に名残惜しさを感じながら目を開けると、眼前に見知った横顔があった。
「シャーテイン、くん?」
彼の顔には玉のような汗がいくつも浮かんでいた。
怯んだリスのように、何かを凝視している。
シャーテイン君の視線の先をたどる。
そこには、美しい銀髪を夕闇に染め、エメラルドグリーンの眼でこちらを見据える新王陛下がいた。
「殿下!? じゃなくてセダイト新王陛下!」
慌てて飛び起きる。
するとシャーテイン君がビクリと震え、気まずそうにこちらを見つめてきた。
どうしたんだろう。
状況がいまいち理解できない。
私が居眠りしている間に、シャーテイン君と新王陛下とで何か話をしたのだろうか。
「そろそろ、外してもらえるかな?」
新王陛下の底冷えするような声が響く。
シャーテイン君が顔だけじゃなく全身に大汗をかいているのが分かる。
「そ、それでは失礼いたします、陛下。フィーネもまたね」
言いながら足早に去っていく。
「え、シャー――」
その背中に声を掛けようとしたが。
「聖女フィーネ、久しぶりだね。元気そうで何よりだ」
「ご無沙汰しております、新王陛下。陛下も息災のようでなによりです」
挨拶が始まってしまった。
一貴族である私が、新王陛下の挨拶を無視することはできない。
まあ貴族というより、聖女としてのくだけた挨拶をご所望なのだろうけど。
でもどうして陛下は学院に、それもこんな寮の裏庭なんかにいるんだろう。
しかも、シャーテイン君のあの挙動不審な様子はいったい……。
そんな疑問が顔に出てしまっていたのだろう。陛下が話しだす。
「学院の視察だよ。私が設立に関わったのに中々来られなくてね。でも今日は大事な用件があって、そのついでで来たんだ。そうしたら眠りこけているあなたを見つけたんだよ」
「そうなのですか。ま、また恥ずかしいところをお見せしましたか……?」
かつての透け透けシャツ事件を思い出して顔が熱くなる。
奇しくも今私が身にまとっているのはブラウス一枚。でも今度は肌着を着ているし下着もちゃんと付けている。問題ないはず。
「いや、問題ないよ」
ふう。
しかし、一国の王がこんな所で油を売っていて良いのだろうか。
「陛下、大事な用件はまだお済みでないのでは? そろそろ日も暮れてしまいますが」
「いや、それも問題ないんだ」
ん?
「大事な用件というのは……聖女フィーネ、あなたを王宮晩餐会に招待することだ。あなたの兄上にはずいぶんと手こずらされたからね、直接あなたを誘うことにしたんだ」
何を言っているのだろう。
新王が一歩、二歩と近寄ってくる。
沈みかけの夕陽の逆光で、その表情は読み取れない。
それなのに、見えないはずの視線に射抜かれて背筋がゾワリとした。
かつてマントを掛けてもらった時と同じ距離まで、新王が近づいてくる。
「あの……えっと?」
王宮晩餐会って、何のこと?
「屋敷で出逢ったときより一段と美しくなった。やはりあなたはこの制服がよく似合う。……フィーネ、どうか君とダンスを踊る幸運を、僕にくれないだろうか」
新王の手が私の髪に触れる。
たったそれだけなのに、全身が寒気だった。
なんでだか。
どうしてだか分からない。
でも、得体の知れない恐怖感に涙がにじみ、うまく言葉が出てこない。
――いざとなったら遠慮なく防護魔法で自らをお守りください。
いつかのエラの言葉が頭の中でこだまする。
「あ……あのっ! 義兄さまに相談いたします、ので」
後ずさりながら、そう言葉を吐き出すので精一杯だった。
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