第14話 堕ちる第二王子
私が、教会公認の聖女?
民が親愛を込めて呼ぶ聖女とは違う。教会が任命する聖女は、その国に一人しかいない特別な存在だ。教会で修練を積む聖女見習いの中から、たった一人が選ばれる。
それなのに、聖女見習いでもない私が聖女?
何かの冗談だろうか。
ポカンと固まってしまった私に、ゴーゼ司教がまくし立ててくる。
「ああ、驚かれるのも無理はない。今、王国教会は反逆分子たる第一王子派を一掃しつつ旧体制からの脱却を図っております。我々としては、あなたのような民衆に支持される本物の聖女をこそ、聖女に任命したいと考えています。いやはや、来て良かった……あなたこそ真の聖女に相応しいっ!」
目がギンギンになっていて恐い。
クマのような温和なお爺さんかと思ったけど、目が全然笑ってない。口元はすごくニコニコしているのに。
前世の病院でたまに巡回に来ていた教授先生のような……患者を人として見ていないような、そんな感じがする。
「司教、そのような話をしに参ったのではない、控えよ」
第二王子が私を見つめたまま、背後のゴーゼ司教を制する。
「おお、失礼いたしました。逆賊討伐が落ち着いた頃に、またあらためて」
ゴーゼ司教がおずおずと一歩下がった。
そうだ、今は内乱のただ中で。
私には、第二王子にどうしても言わなければならないことがあったんだ。
「殿下、無礼を承知で具申したいことがございます」
私のまとう空気が変わったのを見て、殿下がスッと目を細める。
「……申してみよ」
「この度の征伐軍、私も同行をお許しいただきたいのです」
「なりませんぞっ!」
間髪入れぬゴーゼ司教の叫び声に肩が震える。びっくりした……。
マリエッタや使用人たちも顔を青ざめて私を見ている。エラなんて氷のような無表情だ。
でも、ごめん。
征伐軍が来ると聞いた時から、決めていたことだから。
第二王子が興奮するゴーゼ司教を手で制し、私に「続けよ」と先を促した。
背すじをピンと伸ばし、第二王子の瞳を見据える。
「お聞き及びとは存じますが、この度のオレンダイの暴挙は第三国により
さて、説得が通じるか。
第二王子は「それで?」という顔で私を見つめている。その瞳はとても冷たく感じた。
私は傷ついたエルドアの兵士たち、たまに一緒に運ばれてきたオレンダイの兵士、孤児院の子どもたち、思い出せる限りの民の顔を思い浮かべて、言葉を続ける。
「当主らの責は免れないとしても、兵の多くは無理やり徴兵された領民たち、いわば被害者です。私が同行することで、一般の民の被害を抑えたいのです」
言った。
無礼を承知で言ってしまった。
でもこれ以上、無意味な死を増やしたくない。
シーン……と、エントランスを静寂が包む。
緊張やら、サイズのキツい礼服のせいでやたらに暑い。汗がじんわりと滲む。
「……ほう、奇特な考え方だ。常識で考えれば、領民の命は領主のもとにある。領主の罪はすなわち領全体の罪だ。それが我が国の統治の基本であろうに。……つまりあなたが同行し、我々が逆賊たちを無闇に討たぬよう、監視でもすると?」
ユラリと空気が歪むのを感じた。
第二王子から発せられた
第二王子の炎熱魔法。
王国でも並ぶ者のいない、炎の使い手だとマリエッタが言っていた。
さっきから妙に暑かったのは、第二王子の放つ熱気によるものだったらしい。
エントランスが一気にサウナ状態と化していく。
玉のように汗が吹き出し、窮屈なワイシャツを濡らす。
「で、殿下っ」
ゴーゼ司教のうろたえたような声が響く。
一方で、私の頭はスッと冷めていた。
この世界に転生して十数年。貴族社会の常識にもある程度順応してきたつもりだったけど、ナチュラルに民を見下す姿勢にだけは馴染めなかった。
前世の自分が、ひときわ弱い存在だったからかもしれない。平民には自由意志などなく支配されるのは当たり前という感覚が、どうにも我慢できないのだ。
前世の終末期病棟で見た、私と同じ末期患者たちの顔を思い出す。
この世界には治癒魔法という奇跡の力がある。
それを使って、今度こそ、みんなで健康に生き抜くと決めた。
違う領の人たちだから知らんぷり、なんてできるわけがない。
「ふぅ」
私は火傷しそうな空気を腹に吸い込み、第二王子を見据えた。
「私はできるだけ多くの民を、癒そうと考えております。そこに領の隔たりはございません。傷ついた民は、等しく癒やします」
「なっ……」
第二王子が驚愕の表情を浮かべた。
私はさらに続ける。こうなりゃヤケだ。
「それに征伐軍には我がエルドアの兵も加わります。今回の戦いで心身に深い傷を負った彼らに、これ以上無用な殺生をさせたくないのです」
この世界の常識に照らせば甘く愚かな考えかもしれない。
でも私はみんなに体だけでなく、心も健やかに生き抜いて欲しい。
そんな願いが魔力となって体中からにじみ出るのを感じた。虹色の光の粒子がエントランスを満たしていく。
(やば、出ちゃった)
「おおこれはっ! こんな祝福は初めて見る。まさに奇跡だ……!」
ゴーゼ司教がひざまずき、両手を小刻みに震わせている。コワい。
おそるおそる第二王子を見ると、呆然と虹色の光を見つめていた。
「これが、本物の聖女の力なのか」
いつのまにかエントランスの温度が下がっている。
(……やってしまった)
私は、不敵な笑みを貼り付けていた。愛想笑いがうまく行かないのだ。それくらい焦っている。
完全にやらかした。勢いであまりにも無礼な意見をぶつけ、まるで見せつけるように力を発現させてしまった。第二王子の面前で。許可もなく。
固まったまま二の句を告げないでいると、殿下がふっと笑った。
笑った……!?
「底のない慈愛の心、恐れ入りました聖女フィーネ。先ほどは感情のまま高ぶってしまった。力を持つ者として恥ずべき行為でした」
第二王子が軽く頭を下げる。
「い、いえ、こちらこそです!」
私は二つ折りになりそうなほど深々と頭を下げた。
「聖女フィーネ、ご安心を。もとより今回の進軍はなるべく無血で終わらせるつもりです。誰にとっても利のない戦で無用な血を流せば、混乱のさなかにある民衆の支持は得られませんからね」
あれ、意外と話が分かる。
というか最初から穏便に済ますつもりだった?
これは……私の玉砕損?
「それで進軍を迅速に進められるよう、心身状態を整える『聖女の祝福』を受けるべく参ったのですが……まさかここまでとは。おかげで何があっても平静でいられそうだ」
第二王子、とても爽やかな笑顔だ。
敵味方関係なしの一人野戦病院プランは叶わなかったけど、この人に任せれば民の被害は最小限に抑えられる気がする。
私はほっと胸をなで下ろした。
ところで、どうして第二王子はさっきから顔が真っ赤なのだろう。
「……聖女フィーネ。あなたの祝福は凄まじいのだが、その効果が一瞬で消えそうというか、いささか……目の毒だ」
第二王子の視線が私の胸元あたりに固定されているような。
え、あれ、シャツが透けて……る?
「ひゃあっ」
反射的に両腕をクロスさせる。
そういえばワイシャツやジャケットがあまりにピチピチで体が収まりきらなかったから、こっそりアンダーウェアやブラジャーを外して着ていたのだった。
ジャケットでほぼ隠れているからまーいっか、などと気楽に考えていた。というか忘れていた。
自分の胸元を見下ろせば、吹き出た汗でシャツが地肌にピタとくっつき、ささやかな谷間やへそが透け透けになっている。
(ひいいぃ……)
これはいわゆる痴女もしくは露出狂というやつでは。
こともあろうに殿下に対してなんたる不敬。恥ずかし過ぎる。恥過ぎる。涙が出そうだ。
必死にジャケットで前を隠そうとするも、ピチピチでこれ以上は閉じない。
すると、第二王子が一歩二歩と近寄ってきて、纏っていたマントを脱いで掛けてくれた。
ちょうど角度的に第二王子にしか私の痴態は見えていなかったようで、何事かと周囲がざわめき始める。
もう手遅れかもしれないが、とりあえず謝っておこう。
「あ、あの、恥ずかしいものをお見せしてしまい、申し訳ございません……?」
第二王子の目を直視できない。口元の当たりを見るので精一杯だ。
「くぅっ」
第二王子の唇が何かに
「…………いや、問題ない」
大人のスルー力、さすがです。
こうしてわずか二十分にも満たない、私にとっては長い長い会談が終わった。
疲れた。
もちろんその後、マリエッタにしこたま説教された。
征伐軍への同行を願い出た件ではなく、なぜか第二王子に恥を晒したことのほうを。
「フィーネ様は王族を堕落させる趣味でもおありなのですか!? わざとなんですか!? 狂った王族に襲われても身を守れるんですか!?」
「ごめんなさい」
そこまで言わなくても……と泣きたくなったが、マリエッタの目が真剣だったので私は頭を垂れるしか無かった。
その必死な様子が、私を心から心配するものだったから。
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