第13話 第二王子の訪問
朝起きて、今日こそ義兄(にい)さまに挨拶しようと寝室に向かうと、なぜか扉の前にマリエッタが立っていた。
「あれ、おはようマリエッタ。お義兄さまはもう起きてるかな?」
「お待ちしていましたフィーネ様。それがウォルム様は早朝にも王都へ戻られたみたいで」
「え、そう……なんだ」
義兄さまに会ったら外出禁止令を出されるかもしれないと、昨日エラと屋敷を抜け出す算段を練っておいたのに。
なにより、世界でたった一人だけの大事な家族だ。久しぶりに兄妹水入らずでお話をしたかった。
「ウォルム様も会いたがっていたのですが、病み上がりのフィーネ様を起こすわけにもいかず、渋々出立されたのですよ」
「そっか、じゃあ仕方ないね……」
肩を落とす私に、マリエッタが「ほぅ」と妙なため息をつく。
「……ウォルム様からは口止めされているのですが、実はウォルム様は内乱鎮圧の事後処理を全部放り出して、急いでフィーネ様のもとへ駆け付けたのですよ。でもさすがに鎮圧の当事者が不在はマズいということで、第二王子が有無を言わさず呼び戻したようです」
思わず言葉を失ってしまった。
義兄さまはオレンダイが攻めてきたと聞いて、私のことを案じて駆け付けてくれたんだ。
「義兄さまにも、心配かけちゃった」
本当に、私は無力だ。
もっと強くなって、自分一人でも領を守れる人間にならないと。義兄さまが心配しなくてもいいくらいに。
キッと唇を引き結んだ私を見て、マリエッタがそっと肩に手を置いてきた。
「フィーネ様のせいではありませんよ。……ああそれと、ウォルム様からお手紙を預かっております」
「手紙?」
マリエッタから受け取り目を通す。貴族特有の回りくどい文章がずらっと並んでいるが要約すると――。
『庭での鍛錬は止めるように。絶対安静』
『僕が王都から戻るまで外出禁止。何があっても』
……うん、予想通りだ。エラと脱出の算段を立てておいてよかった。
「それとフィーネ様、第二王子率いる征伐軍が本日屋敷にいらっしゃるようです」
「え、ここへ?」
「はい、軍隊長にオレンダイの状況を確認したいとのことです。エルドアの民の救護活動に治癒師を動員してくれるそうですよ」
「ほんとに!? そっか、良かった……!」
ほっと胸をなでおろす。
王都の腕利きの治癒師が何人も来てくれるなら百人力だ。
……でも、複雑な気持ちもある。
征伐軍ということは戦をするということだ。
また、人が死ぬ。
下唇を噛んでいると、マリエッタが別の手紙を差し出してきた。そこには王家の紋章が刻まれている。
「これは?」
「こちらは今朝、屋敷に届きました。第二王子からフィーネ様宛です」
「え、私!?」
封蝋を剥がし、中身を開く。
『第二王子として、領主代行フィーネに会談を申し込みたい』
要約するとそんなことが書かれてあった。
「マリエッタ、第二王子が私と会談したいって」
「まあっ、第二王子直々にですか!?」
マリエッタが大げさに驚く。
この前お忍びで訪れた第一王子と違って、今回は第二王子としての正式な会談の申し込みだ。それも片田舎の領主代行なんかに……マリエッタが驚くのも無理はない。
「……お義兄さまはこのことを?」
「この手紙は今朝、ウォルム様が発った後に入れ違いで届いたのでご存知ないかと」
「そっか」
きっと義兄さまは何がなんでもダメって言うだろう。さっきの手紙にも表に出るなと書いてあった。私をドロドロした内乱の渦中に巻き込みたくないはずだ。
でも個人的に、征伐軍にはどうしても伝えたいことがある。
「フィーネ様、お受けいたしますか? ウォルム様はおそらく――」
「受けるよ。準備をお願いね、マリエッタ」
領主代行として侍女に告げる。ちょっと低い声で言ってみた。
「……承知しました。ちなみに会談はいつと?」
「えっとね、今日のお昼頃って書いてある」
「まあっ、急いでご準備をしませんと!」
マリエッタがまた大げさに飛び上がり、そのままどこかへ駆けていった。
---
第二王子が屋敷にやってくる。
屋敷内はオレンダイが攻めてきたときと同じくらい騒然としていた。使用人たちが忙しなく動き回り、その目は血走っていた。
肝心の私はというと。
「よし、こんなもんかな」
鏡に映る自分の姿を見て、深くうなずいていた。
そこには貴族令嬢の正装ドレス……ではなく、男物の茶色いジャケットとズボンに身を包んだ私がいた。男性貴族の礼服だ。肩まで伸びた髪を後ろで結び、ピンと背を伸ばした姿はまさに貴公子。
うん、かっこいい。
当初マリエッタが用意したのは白を基調としたオフショルダーのドレスだった。でも、私が突っぱねた。
これから戦地へ赴く人たちを前に浮ついた服装は失礼だとか、領主代行としての威厳を示すべきだとか、いろいろ理由を並び立てた。
でも真の狙いは、この動きやすい男装ならそのまま征伐軍の救助隊に飛び入り参加できるかもと思ったのだ。
それにあのドレスはなんとなく……ウェディングドレスみたいで恥ずかしかったから。
ということで、この凛々しさ全開の服にしてみた。
こんなこともあろうかと以前から用意しておいて良かった。
「うん、いいかも」
もう一度鏡を見てうなずく。
これはもしやイケメンと言えるのでは?
父の血を引いているからか、かなり様になっている……気がする!
「……男装なんて、せっかくのフィーネ様の可憐さが……もったいない」
背後から、何やら不満げなマリエッタのつぶやきが聞こえる。
私は精一杯の王子様笑顔を作り、彼女のほうに振り向いた。
「マリエッタどうかな、似合う?」
自然と口調も男らしくなってしまうから不思議だ。
「……っ! こ、これはこれでアリ……ええ、よく似合っております!」
マリエッタが頬を赤らめる。
(ふふ、マリエッタは可愛いな。なんちゃって)
なんだか異様にテンションが上がってきた。
幼馴染のトマたちが見たらびっくりするだろうな。「フィーネかっこいいー!」なんて言ってくれたりして。
自分のお小遣いで年に一着、こっそり仕立ててもらっていたのだ。
最後に合わせたのが半年前。それから仕立て直すヒマがなかったので、少しサイズが窮屈になってしまったのが難点か。
成長期の体はすぐに大きくなってしまう。胸や腰周りが圧迫されて息苦しいけど、無理をすればなんとかいける。
コンコン――。
寝室の扉がノックされ、使用人が声を掛けてきた。
『フィーネ様、まもなく第二王子殿下がご到着されます』
来たか。
「よし、行こうかマリエッタ」
「はい……フィーネ様」
可愛く頬を染めるマリエッタを連れ立って、私は威勢よく扉を開けた。
颯爽と廊下を歩き、階段を降り、エントランスに向かう。
集まっていた軍隊長や使用人たちが、私を見るなり目を見開き、息をのんだ。
(ふふ……みんな驚いてる)
出迎えるために両側に整列した彼らの間を歩き、真ん中あたりで立ち止まる。背すじを伸ばして玄関を見据えた。
「セダイト第二王子殿下、ゴーゼ司教様のご到着です」
王家の近衛兵の声が響く。
一気に空気が張り詰める。
私たちは全員で片膝をつき、頭を下げた。
開け放たれた扉から、コツコツと淀みのない靴音が近づいてくる。
「征伐軍指揮官セダイト・オリミナスです。あなたが領主代行フィーネ・ドゥ・エルドア……ですか?」
……ん?
頭上から降ってきた低くて凛々しい声が、疑問形だった。
私は下を向いたまま挨拶を返す。
「火急の道中よくお越しいただきました。はい、
私が、のところを強調してみる。
「……失礼。聞いていた印象と少し相違があったもので。本日は領主代行としてではなく、聖女としてのあなたに会いに来ました。貴族の礼式にこだわらず、どうかお立ちください」
高貴な位の方にも関わらず、さっきから第一王子みたいに若干フランクな口調なのが気になっていたけど……聖女、か。
この国で、聖女の肩書きを持つのは教会に任命された、たった一人だけだ。
でもそれとは別に、民たちは治癒魔法の使い手である女性を、敬愛を込めて聖女と呼ぶ。
以前から、領民たちの間で私もそう呼ばれているのは知っていた。
今回はオレンダイ戦で治癒魔法をバーゲンセールみたいに掛けまくったし、そのせいで攫われもした。
聖女と呼ばれるのは正直慣れないけど、まあ仕方ない。
堅苦しい貴族の礼儀は私も苦手だし、殿下が良いと言うなら、ここはありがたくお言葉に甘えよう。
「承知いたしました。では改めて、エルドア領によくお越し下さいました、セダイト殿下」
すっくと立ち上がり、目の前にある黄金色の胸当て……ではなくその上の殿下のお顔を見上げる。
第一王子と同じくらい高い背、輝くような銀髪。
その下にあるエメラルドグリーンの瞳と目が合った。
……ので、視線をちょっと逸らして整った鼻筋を見つめる。
初対面で見つめ合うのは、コミュ症には少しハードルが高いのだ。
マリエッタによると、殿下は今年で二十一歳。奔放な第一王子と違って勉学や国政に明け暮れていたため、いまだに特定のお相手がいないらしい。
と、マリエッタが聞いてもいないのに教えてくれた。
「…………」
「…………」
あらかた顔の造形を眺め終わって、ハッと気づく。
さっきから殿下が私を見たまま硬直している。瞳孔が開いて、ちょっと驚いているように見える。
(あ、やっちゃったかも……)
コミュ症なのに相手の顔をジロジロ見てしまうこのクセ、失礼になるからやめるようマリエッタやエラに注意されていたのに。
じっと見つめるくせに話しかけられると上手い返しができない、私はそんな迷惑コミュ症なのだった。男装に浮かれてすっかり忘れていた。
慌てて視線を泳がせる。
ふと殿下の斜め後ろに、司祭服をまとったお爺さんが立っているのが見えた。さっき紹介のあったゴーゼ司教だろうか。教会では一番偉いのが大司教で、次代の大司教は司教の中から選ばれる。
「…………」
(ヒエッ)
ゴーゼ司教も目を見開いて私を凝視している。というかちょっと震えていた。
これは、盛大な粗相をしてしまったかもしれない。
挨拶の作法をミスした? じっと見つめたのが悪かった? ……分からない。
でも礼儀にこだわらなくていいって言ってくれたのは殿下だし。
え、どうしよう。
かれこれ一分くらいは沈黙が続いている気がする。
ツーっと背中に嫌な汗が流れてくる。
このエントランスなんだか暑いな。いや私だけか。
「いひ」
あまりの気まずさに耐えられなくなった私の口から、気味の悪い愛想笑いがこぼれる。
ごめんなさい、日本人はプレッシャーに弱いんです。
「……っ、これはウォルムが隠したがるのもうなずける。あの兄上を魅了したのも納得だ」
隠したいほど恥ずかしい妹でごめんなさい!
ん、第二王子の兄上……ってことは第一王子? ミリョウ?
「ええ、まさに新たな聖女にふさわしい美しさですな」
ゴーゼ司教が感じ入ったようにうなずいている。
ん? なんか衝撃的なことを言われたような。
「新たな、聖女……?」
ゴーゼ司教に問いかけてみる。
なんだか嫌な予感がする。
「これは失礼。我々王国教会は、あなたを正式な聖女に任命したいのです」
「へ?」
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