第12話 束の間の特訓
「フィーネ様、受ける際の腰のふんばりが足りません!」
「くぅっ……」
軍隊長の横薙ぎの一閃を木剣の柄で受ける。衝撃で両手が痺れ、勢いのまま尻もちをつきそうになった。
「隙あり!」
軍隊長が木剣を振りかぶり、縦に一閃。さっきは避けきれずに肩をポンと叩かれてしまったので、今度はかわしたい。
尻もちをつきそうになる勢いを利用して、後ろに半歩跳ぶ。木剣が前髪をかすめ、胸当てを
なんとか、避けられた。
「フィーネ様、お見事です」
軍隊長が目を丸くしてから、ニッコリと微笑んだ。
「はぁっ……はぁっ……軍隊長さん、ありがとうございます」
私も同じように笑い返す。
すると軍隊長の頬がみるみる赤くなり、その場にあぐらをかいてしゃがみ込んだ。
「その笑顔は反則です」
何事かをつぶやきながら、うつむいてしまった。
「あ、ご、ごめんなさい……忙しいのに、こんなワガママに付き合わせてしまって」
軍隊長は激務だ。しかも今はオレンダイ侵攻の戦後処理で休むヒマもないだろう。
貴族令嬢としての立場を利用して、拘束し続けてはダメだ。
「あの、ありがとうございました。軍隊長の特訓のお陰で、咄嗟のときの身のこなしは身についた気がします。エラが快復したら彼女に頼みますから――」
「いえ! 問題ないですっ」
軍隊長が目を見開いて叫ぶ。
「フィーネ様の身に何が起きてからでは遅いのです! 主人が自衛できる術をしっかり教え込むのも軍隊長としての務め。ああそうだ、他の兵士には任せられんのです、私がフィーネ様を、手取り……足取り……」
(えっ……?)
軍隊長の視線にゾッとして、半歩下がる。
一瞬、つま先から頭のてっぺんまでを舐め回すように見られた、気がしたから。
(フィーネのばか)
私は自分の頬を両手で叩いた。
軍隊長は、あの人――エコンドとは違う。
あの凶暴で野獣のような視線を思い出すと体が震える。あれは、キツかった。
侵略のために……王国の力を削ぐために聖女でありエルドア領主令嬢である私を傷つけ、
パァンッと何かが破裂するような音がした。
見れば軍隊長が、私と同じように自分の頬を両手で押し潰している。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ええフィーネ様、大丈夫です。少し自制心を失いかけまして、自らを律したところです。お見苦しいところをお見せしました。私には妻子もいるというのに、よりにもよって自らが身命を賭す主によくじょ……おほんっ、と、とにかく私は大丈夫です。少しこうして休めばおさまりますので」
やはり軍隊長の様子がおかしい。立てないほど疲労も溜まっているのだろうか。
「今、治癒をかけますね」
私が近寄ろうとすると軍隊長が両手を突き出した。
「い、いえ、結構ですっ! これは身体的なアレではなく、いや身体的なアレではあるのですが俺の未熟さゆえの
軍隊長が大柄な体をアタフタと揺らして焦っている。その必死な形相から「近づくな」という強い意思を感じる。どうして――。
「フィーネ様、軍隊長が困っていますよ。そのへんで勘弁してあげてください」
背後から落ち着く女性の声が聞こえた。
振り向くと、そこにはずっと待ちわびていた護衛騎士――エラが立っていた。
ショートの黒髪を風になびかせ、ふんわりと微笑んでいる。
「エラ! もう動いて大丈夫なの?」
私は飼い主を見つけた子犬のような気分でエラに走り寄る。尻尾があったらブンブン振っていただろう。
「はい、お陰様で。すっかり元気になりました」
エラが優しく私の頭を撫でてくる。やばい、泣きそうだ。
「エラ、よかった」
「フィーネ様……これは、特訓ですか?」
エラが私の背後にいる軍隊長を見据えたのが分かった。
なんだかイタズラが見つかったような気持ちになり、私はエラの視線から軍隊長の姿を隠すように横へ移動する。
「え、あーっと、私も、せめて自分の身くらい守れるようになりたくて」
するとエラが悲しそうに瞳を揺らす。
「そうですか…………いえ、フィーネ様は十分過ぎるほど自衛の術を身に着けているのです。防護魔法を会得され、私たちの命さえ守ってくださいました。それなのにフィーネ様を危ない目に遭わせてしまい――」
「エラ、心配かけてごめんね」
今にも泣き出しそうなエラの頬に手を伸ばす。少しだけ治癒をかける。
「フィーネ様……」
「私はみんなを守りたい。危ない場所に首を突っ込むかもしれない。でもみんなに心配もかけたくない。だから、強くなりたい」
しばしエラと見つめ合う。
「はぁ」とエラの口から諦めたようなため息が漏れた。
「まったくフィーネ様は、ワガママですね」
肩を落として微笑むエラに、私はもう一度「ごめん」と謝る。
「いえ、いいのです。フィーネ様の決めたことを全力で支えるのも護衛騎士の務め。私も特訓に協力しますよ」
「ほんと!? 良かった、ありがとう!」
しばしエラと笑い合う。
背後でのそりと軍隊長の立ち上がる気配がした。調子が戻ったらしい。
「フィーネ様、今日はここいらで特訓は止めておきましょう。フィーネ様も病み上がりなんですから」
心配そうな声色を発する軍隊長のほうに振り向く。
確かにちょっとは疲れた。でも、不思議なことに疲労がどんどん回復している気がする。以前よりも疲れにくくなっているような、体力がどんどん湧き上がってくるような感じだ。
もしかしたら、一度魔力がカラカラになった影響かもしれない。
とにもかくにも、まだ特訓は続けられる。
私はシャツの袖をめくって、軽くガッツポーズをして見せた。
「大丈夫だよ、私は元気だけが取り柄だから」
「……うぐっ」
軍隊長が地べたにへたり込み、前のめりになって草をつかむ。
「軍隊長さん!?」
尋常でない様子に思わず駆け寄ろうとすると、エラに両肩を掴まれた。
「フィーネ様、なりません。あれは男性特有の……いえ、最近のフィーネ様なら女性も……まあとにかく発作のようなものです。今度詳しくご説明しますので今は放っておいてやりましょう」
肩に置かれたエラの手に力が入る。
有無を言わさない彼女の口調に、私は首を縦に振るしかなかった。
軍隊長のことは心配だけど、今度詳しく教えてくれるらしいし。
でも、なんでだろう。
なんとなく、知りたくないな。
「ああそういえば、ウォルム様が帰還されているようですよ。もう起きるころでしょうからご挨拶に行かれては?」
「お
私はエラに肩を押されるようにして、屋敷の中に入った。
---
エラを伴って
扉の前に立ち、コンコンとノックしてみた。
「お義兄さま、フィーネです。帰還されたと聞きました。入ってもよろしいですか?」
しばらく待っても返事はない。
でもなんとなく、中から人の気配がした。
「お義兄さま、寝ているのかな?」
エラを振り返る。
彼女は無表情のまま私の視線から目を逸らした。その瞳に何だか冷たいものが宿っている気がする。
「そう、かもしれませんね。フィーネ様、また出直しましょう」
「うん、そうだね。夕食はご一緒できるかな」
「……どうでしょうね。今日は難しいかもしれません」
「そっか」
正直、ちょっとだけホッとしてしまった。
もしエコンドにされたことを知られたらと思うと、背すじがぞっとする。もしかしたら一生屋敷から出るな、なんて言われてしまうかも……。
それは困る。
明日からは救助隊に加わりたいと思っているのだ。軍隊長によると命に関わるような重傷者はもう応急処置が済んでいるそうだけど、まだまだ私の治癒魔法を必要とする人は多いはず。
「……エラ、裏の森を散歩してもいいかな? ちょっと相談があるんだ」
「敷地内ならいいですよ。私もご一緒します」
いざとなったら、エラに協力してもらって屋敷を抜け出そう。
いよいよ貴族令嬢にあるまじきお転婆娘だ。
私は「義兄さまごめんなさい」と心の中で土下座をしながら、義兄さまの寝室前を後にした。
結局その日、義兄さまは夕食の席に姿を現すことはなく。
翌日、義兄さまは私と顔を合わせないまま屋敷を発ってしまった。
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